「わたくしの前夫は、参謀ではありましたが、貴族ではありません」 「……は?」
王都に帰り着いた後。
アルゴは、最初にスオーチェラ夫人に報告を行った。
自分自身で魔物狩りギルドに報告したところで、下手をすれば握り潰されるだろうという予測をしていたからだ。
それを告げると夫人も、いつも通りの無表情でアルゴの言葉にうなずいた。
「いいでしょう。わたくしの方から話を通しておきます」
「感謝いたします」
「本当にSランクダンジョンを攻略した英傑に、恩を売れるのなら安い仕事です」
それは最大級の
アルゴは、この女傑にさえ手を尽くさせることを『安い』と思わせられたことに、満足していた。
彼女が評価した自分の価値が、本当にそれに値するかは、まだこれからの話だが。
「貴方がたの発見も、下手をすれば世界を変えるでしょう。……イーサの目は、間違ってはいなかったようです」
「発見の管理は、彼に任せようと思っています。俺には魔導の知識はありませんしね。そちらに対しても、助力を賜っても?」
「王家に話を通します」
彼女が口にしたのは、アルゴの狙い通りの言葉だった。
しかし実際に聞いてみると、肩の上に重く何かがのしかかったような気がした。
もう、この責任から後戻りは出来ない。
身一つの頃とは確実に違う……失敗すれば、二度と這い上がることすら出来ないだろう道に、足を踏み入れたのだ。
ーーー上等だ。
そう思いながら、アルゴは笑みを浮かべた。
「忙しくなりますよ。市場の仕切りなど比ではないほどに」
「望んだことです」
これから先に待ち受けているものこそ、真に途方もない困難を伴う仕事である。
だが、夢の道程であることを思えば、高揚こそすれ、怯む理由などないのだ。
「この件に関しては、貴方の一報が入った時点ですでに王に伝えてあります。トレメンス公爵家のみならず、ペンタメローネ王家も、貴方と第一王子アズールの面会を望んでいます」
「第一王子……」
それは、スオーチェラ夫人の養子である姫、ゼゾッラと婚姻を結んだ王子のはずだ。
「本当によろしいのですか?」
「試練を越えれば全面的な支援をすると口にした以上、その約束を違えるつもりはありません」
スオーチェラ夫人が呼び鈴を鳴らすと、長女のアナスタシアが、大量の証文を持って現れた。
「……それは?」
「古代文明の遺産、シミュレートスライムの炸裂薬と精製によるアダマンタイトの価値に比すれば、今更意味のない紙切れですが。貴方の借金の証文、その全てです」
スオーチェラ夫人は、それを前に交渉に入る。
「完済、あるいは無効とするのを望むのであれば、貴方の持つ権利の、一部譲渡を求めます」
「具体的には?」
「古代文明の遺産調査の際に、魔導士ギルドやそれを望む研究者たちに、立ち入り許可の献金を求めます。その金額を折半。また、成果物について利益が出ると判断された場合に、その利益の一部を徴収した際に、協力費として3割を」
あまりにも、こちらに不利な交渉内容だった。
ーーー試しているのか?
金に対するがめつさを持つとは思えない夫人からの提案に、アルゴはその意図を探る。
そして、答えの代わりに問いかけた。
「その利益を、どのような目的で使われるおつもりでしょう? ギルドの運営費に将来的な支障が出る可能性もある額です」
「得た利益の半分を、イーサを頭に据えた共同研究機関に。残りの半分を教会の手を通さない、国営の治癒院と慈悲院の費用に充てます」
夫人の答えは明確だった。
共同研究機関を新設するということは、そこに参画した魔導士ギルド員や研究者にのみ、古代文明の遺産に関する研究の許可を出すということだ。
治療院は、病気などにかかった際に治療を受けられる施設であり、慈悲院は独り子……つまるところは親や身寄りのない、子どもらを保護する施設である。
「市場を仕切っていた時、貴方が慈悲院に莫大な寄付をしていたことを突き止めました。使い道として、悪くはないと思いますが」
「……そうですね」
寄付は匿名だったというのに、突き止めたらしい。
彼女の調査能力に舌を巻きながら、アルゴは息を吐いた。
ーーーまだ、敵わんな。
そうした子どもらが保護される先として、一番多い場所は……アルゴの出身である、スラム街だ。
だが、現在の慈悲院は、スラムに暮らすのと変わらないくらい酷い場所であることが多い。
無駄金になるかもしれないと思いつつも、少しでも楽になればとやっていたことの先を、夫人は見つめていた。
アルゴの目的は、誰にでも平等なチャンスを与える場を作ること。
そのための手段として、腐敗した各ギルドの弱体化をまず目指したのだが、彼女の目はもう既に、さらにその先を見据えていたのだ。
富を搾取する者たちの引き締めと、貧困に対する底上げを、同時にやろうというのだ。
「イーサは引き受けますかね?」
「断る選択肢は、用意されていません。質問の答えは?」
「呑みましょう」
提案の意図を理解すれば、それを断る理由などなかった。
「……しかし、いつからそうした事を考えていたのです?」
アルゴがギルド構想を持ちかけた時から、なのであれば、頭の回転があまりにも速すぎる。
「ずっと考えていたことです。……先の隣国との戦争が終結し、向こうの国で参謀を務めていた前夫に嫁いだ時から、ずっと」
淡々と口にする彼女の言葉の続きを、アルゴは沈黙して待った。
「トレメンス家に後妻として入る前に嫁いだ前夫は、獣人でした。わたくしは彼と共に、一度、旅をしたことがあります。そこで目の当たりにしたのは、華やかな貴族たちの生活の足元で、貧困に喘ぎ、飢餓に苦しむ者たちの姿でした」
「……なるほど」
その言葉に。
アルゴは、彼女が、国民に対して献身的なまでの救いの手を差し伸べようとする姿勢の一端を、見た気がした。
「しかし、それをもたらした戦争の傷跡と腐敗は、一朝一夕に排除できるものではありませんでした。未だなお、どちらの国にも燻り続けています」
「俺の提案はちょうど良かった、ということですね」
「富を作ることを覚えたのは、そうした状況を目の当たりにした後です。今までの蓄財と、首脳部の是正。貴方のもたらした叡智の鍵によって、ようやく、準備が整ったと判断しました」
夫人の胸の内、そして狙いの吐露は、アルゴに対する信頼の証のように思えた。
「貴女の信頼を裏切らぬよう、俺も真摯に務めさせていただきます」
「その心配は、ないとは思いますがね」
スオーチェラは、そこで薄く微笑みを見せた。
「貴方は幼い頃に、白い
「……なぜそれを?」
「わたくしは、前夫とともにこっそりと、お忍びでこの国に戻ったことがあります。隣国の惨状を目の当たりにして、我々の足元でも同じことが起こっているのではないか、と」
「ほう」
「予想通りでした。わたくしは、何も見えていなかった自らを恥じ、消沈していましたが……前夫がある時、機嫌良く宿に戻ってきたのです」
面白いヤツに会った、と彼は言ったのだという。
「『アレは絶対に頭角を現すぞ』と彼は言いました。その後、しばらくの間は忘れていましたが……貴方が商会ギルドで頭角を表した時に、スラムの出身と聞いてその話を思い出したのです」
あの時の獣人は、隣国の参謀だった。
なるほど、スラムにそぐわない雰囲気を持っていたわけだ、とアルゴは納得した。
しかしそうなると、彼女の連れ子であるアナスタシアは獣人のはずだが……と目を向けるが、そんな雰囲気は全くない。
どう見ても人間に見えるのだが、何か複雑な事情でもあるのだろうか。
しかしそれを問いかけるのは流石に
「あの獣人……前夫殿は、貴族にしては、ずいぶん路地裏に馴染んでおられましたが」
「わたくしの前夫は、参謀ではありましたが、貴族ではありません」
「……は?」
貴族ではない。
その話は、あまりにも意外な話だった。
スオーチェラは、どこか懐かしむように目を細めると、不意に優しげな印象になる。
「あの方も、平民の出身でした。隣国では、獣人の地位はこの国よりもさらに低い。おそらくは、貴方と変わらないようなところから……元は傭兵から、成り上がったのです」
「なるほど……それが、貴族の子女を娶るところまで?」
破格の成り上がりだ。
そう思っていると、スオーチェラはさらにおかしそうな表情を浮かべる。
「あの方は、最初嫌がって逃げようとなさいました。『柄じゃない』と。でも、わたくしの方が気に入って追いかけたのです」
「先ほどから、意外な話ばかりですね。貴女の情熱も、平民と結婚したという事実も」
「わたくしとて、うら若き頃はありました。それに、私の前夫は強く気高く、そして賢い方でした。出自は能力や魅力に関係はございません」
公爵家の夫人がはっきりとそう言い切るのに、アルゴは彼女の芯の強さを感じた。
そしてアルゴ自身や、イーサの選択を認めた理由も、そうした彼女の経験に遠因があったのだろう。
「昔話は終わりです。仕事の詳細は、また後日詰めましょう。色々と準備もあります。……最後に」
スオーチェラは、笑みを消すと、元通りの無表情になって告げた。
「オデッセイ殿に、証文を売った金貸しにお会いなさい。貴方と直接話がしたいということでしたので」
「すぐに向かいましょう」
オデッセイへの報酬支払いで証文がチャラになったとはいえ、約束を反故にした理由は詰めなければならないとは思っていたのである。
アルゴは丁寧に礼をして、その場を後にした。
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