『……俺にもっと、金や権力があれば、話も違うんだがな……』


 アルゴは、スラム街の出身だ。


 幼い頃、隣国に住んでいた村を攻め滅ぼされて、両親と共に王都に逃げた、と聞いている。


 まだ物心つく前の話で、父親はその戦災で怪我を負い、治療も受けられないまま腕が腐って死んだそうだ。


 母親は、体を売った。

 そして病にかかり、最後までアルゴの身を案じながら息を引き取った。


 スラム街ならどこでも毎日聞くような、ありふれた話だ。


 その境遇の不幸を嘆いてどうこう、などという生ぬるい話ではなかった。

 

 孤児になろうと、生きるためには食わなければならないし、暴力から逃げなければならなかった。

 1人ではどうしようもないので、孤児だけで徒党を組んだ。


 その頃のツレも、ほとんどが死んでいる。

 冬の寒さに、飢えに、そして暴力に喰われてしまった。


 幸いアルゴは、体は頑丈なほうで、足もそれなりに速かったので、そこは両親に感謝している。


 アルゴの転機となった相手に出会ったのは、ゴミ漁りで暮らしていたある日のことだった。


 ゴミ漁りも見つかれば追い払われるが、物を盗むよりは手軽で危険が少なかったからだ。


『精が出るな、少年。金がないのか?』


 そう声をかけてきたのは、一人の獣人だった。


 真っ白なたてがみを持つ、獅子の獣人。

 この辺りで見かけるのは珍しい上に、革鎧を身につけた冒険者姿ながら、小汚い様子ではなかったのが目を引いた。


 どことなく、スラム街にはいそうにないタイプだったのにも関わらず、どこか空気に馴染んで、懐かしそうな顔をしていた。


『誰だ、あんた』


 何かあればすぐに逃げられるように警戒しながら、アルゴが問いかけると、彼はおかしそうに笑う。


『別に取って食おうとは思っちゃいない。そうして落ち着いた面でゴミ漁りをしているのが、昔の自分に被って懐かしくなっただけだ』


 そう言うと、獣人は手にした袋の中から野菜と肉を挟んだパンを取り出してこちらに差し出す。


『何かの縁だ。一個やるから、昼飯食いながら少し話さないか?』

 

 言われて、アルゴはうなずいた。


 普段は決して、そんな奴甘い話を持ってくる奴は信用しないが、カンが働いたのだ。

 彼からは、自分と同じ匂いがする、とアルゴは思った。

 

 話したのは、たわいもないことだけだったように思う。


 だが、その中でひとつだけ鮮明に覚えている話があった。


『俺は傭兵でな。戦争があったから、ちょっとばかり運が良いのか悪いのか、出世した。元はお前と同じような境遇だった』

『へぇ』

『こういうところで、くたばるような奴を減らしたいと思ってるんだが、中々上手くいかない』

『そりゃ無理だろ』


 アルゴは鼻で笑った。


 こういう暮らしをしている奴が、表通りで買い物するような連中に混じれるようになることなんか、どんな奇跡が起こってもない、と、なんとなく察していたからだ。


『もちろん全員は無理だ。そもそも、性根からまっとうに生きられない奴だって、中にはいるだろうしな。だが、そのままくたばらせるのが惜しい奴もまた、いる。お前みたいにな』

『俺?』

『そうだ』


 獣人は、どこか遠くを見るような目で路地裏から見える表通りをジッと眺めていた。


『お前みたいなのがここから這い上がるのに必要なのは、チャンスなんだよ。そして、その窓口になるような場所だ。傭兵ギルドも、魔物狩りギルドも腐ってて、なかなか這い上がることは出来ないしな……』

『よく分かんねーな』

『だろうよ。俺もそんなことが出来るのかも分かんねぇし、手探りだ。……俺にもっと、金や権力があれば、話も違うんだがな……』


 たった、それだけのことだった。


 アルゴと獣人はお互いに名前も告げないまま別れたが……彼の言葉だけが、妙に耳に残った。


 ーーー金と、チャンスがあれば。

 

 そうすりゃ、こういう場所でくたばって死ぬ奴が減る、という話は、どういう意味なのかは分からなかったが、なぜか魅力的だった。


 だからとりあえずは、自分でそれが出来るか試してみた。


 最初は小さなことから、成功したり失敗したりしながら、チャンスとやらを探っているうちに、徐々に知恵も知識もついた。


 そうしてアルゴは、やがて使い走りからツテを得て、商人になったのだ。


 ーーー冒険者ギルド構想の種は、多分そこだ。


 あの獣人の言葉が、アルゴの中で芽吹き、自分を突き動かした。


 ーーーおとう。おかあ。


 アルゴは、オデッセイの肩を借りて、慎重にイーサとエルフィリア、そしてゴーレムが死闘を繰り広げている戦場を回り込み、穴の前に立つ。


 顔も知らない父親と、ほとんど覚えていない母親に、心の中で謝りながら。


 ーーー今から、あんたらに貰って、生き抜く役に立った体を、傷つけちまうがよ。


 腕を失う。


 それは重く、そして高い対価だが。


 ーーーこんな俺についてきてくれた連中を救えるなら、安いと思えるんだよ。


 オデッセイに礼を言いながら、アルゴは1人、穴を見つめる。

 その奥にある古代魔導文字を消せば、ゴーレムが動かなくなる。


 ーーーそして、本当にここから、始まるんだ。


 両親のような連中を。

 死んでいった、同じ境遇のガキどものような連中を。

 そして、腐った奴らや組織に搾取されて、困窮しちまう連中を。


 少しでも多く拾い上げるための、挑戦が。


 アルゴは、オデッセイが息を呑む間もないほど、一切ためらわずに。



 ーーー右腕を、穴の中に突っ込んだ。

 


 

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