「走りなさい、シシリィ!」「もう、もう無理だよぉ……!」

「走りなさい、シシリィ!」


 魔物の襲撃を受け、悲鳴を上げて伏せてしまったダークエルフの少女に、エルフのサンドラは叱咤の言葉を投げかけた。


「もう、もう無理だよぉ……!」


 涙を流す彼女の腕には【拘束の腕輪】が嵌っていた。

 自分の腕にも同様のものが嵌っている。

 

 ベーオ・ウルフと呼ばれる鋼の毛並みを持つ魔物は、興奮状態でこちらに襲いかかってきている。


 それも複数……森の狩人である彼らに対して、サンドラたちは丸腰だった。

 ほとんど裸に近い布切れしか身に纏わず、ここに放り出されたのである。


 浅はかだった。


 サンドラたちは、魔物狩りを生業にしている。

 立ち寄った街の魔物狩りギルドで、良い依頼があると提示されたのは、ある金持ちの依頼で、Cランクの自分たちにとっては難度も少し高いが、かなりの高額を提示されたのだ。


 前払いで半額……それが罠だった。


 値段が高いからと、【契約の腕輪】での契約を持ちかけられて了承したところ、腕輪は見た目だけを似せた【拘束の腕輪】だったのだ。


 契約主命令に逆らえば麻痺させられる効果で、魔法も抵抗も封じられて身ぐるみを剥がされ、今こうして、命の危機に瀕している。


 サンドラは、噛まれて折れた左腕をもう片方の腕で押さえつけながら、脂汗が滲むような苦痛に耐えつつ、仲間の少女にまた声を掛ける。


「逃げなければ、死ぬのよ!? シシリィ!」


 しかしシシリィは、首を小さく横に振るだけで、動こうとしない。


 このままでは囲まれる。

 襲ってくるベーオ・ウルフも、金持ちの子飼いだった。


 自分たちに噛みつけば、魔物たちにも電撃が走るようで即座に殺されることはないが……向こうも、そいつらの命令で殺すまで追うようにしつけられているようだった。


 ジワジワと嬲り殺しにするのを楽しむ、下種の所業。


 側についている魔導士が操る使い魔が、こちらをずっと監視しており、金持ちの娯楽として提供しているのだ。


「シシリィ……!」


 だんだんと、音が近付いてきたところで。




「ヒャッハァーーーーッッ!! パァアティィタァアアアアアイム!!!www」




 場違いなほど軽薄な声が辺りに響くと同時に、こちらを監視していた小悪魔のような姿の使い魔が、いきなり炎に包まれた。


「え……?」


 とてつもない魔力の波動を感じたサンドラは、そちらに目を向ける。


 すると、一人の魔導士が立っていた。


 細身でとてつもなくスタイルが良く、万人の目を惹きつけるような美貌を持つ青年で、飾り気はないが高級そうな魔導士ローブを銀の装飾でオシャレに着こなしている。


 しかしその全身から滲むのは、ひどく軽薄な印象だった。


「ビンゴォオ!!www」


 満面の笑顔で、パチンと指を鳴らした彼の腕に嵌っている木製の腕輪は、魔導士の杖と同様の効果と呪玉を持つ【魔導リング】。


 それが赤く輝いていて、今もまだ魔法が発動中であることが分かる。


 魔法によって、召喚されたモノが、彼の後ろに浮かんでいた。


 森の巨大な木々ほどのサイズがあるそれは人型で、ねじくれたツノと獣の顔と尾を備えている。

 首から腕にかけて鬣(たてがみ)のような毛並みに覆われた赤い肌と、同色の瞳孔のない瞳。


 両腕は地面につくほどに長く、凶悪な四本のかぎ爪。

 そして全身を覆い、呼吸のたびに吐き出される炎を纏う化け物ーーー。


「イ……!?」

「ウェーーーーーーイ!! 魔物どもを焼き払うんスよ、イフリィイイイイイイイトォオッッ!!www」


 彼の言葉とともに、上位召喚魔法によって招来される《|炎の精霊(イフリート)》がグッと全身をたわめ、大きく両腕を振るう。


 類稀な資質を備えた魔導士が、精霊自身に認められ、契約と制約を交わした上でしか現れない神話級の存在が放った複数の炎の球が。


 木々の間をすり抜けて、魔物たちを直撃する。


 するとその熱に炙られたかのように、二体の魔物たちが森の中を駆け抜けて、サンドラたちに飛びかかってきた。


「ーーー!」


 サンドラは呆気に取られて反応が遅れ、シシリィはそもそも顔を伏せているため気づいてもいない。


 しかしその牙が突き立つ前に、さらに二つの影が視界の隅に現れた。


「だぁらっしゃァアアアアアッッ!!」

「ガルルルゥ!! です!!」


 巨大なヒゲモジャの大男が、バカでかい雄叫びを上げながら、手にしたウォーハンマーでサンドラに向かってきた魔物の腹を横薙ぎにして吹き飛ばした。


 もう一つの小さなフードの影は、真正面からシシリィを襲おうとしたベーオ・ウルフと正面からぶつかってその動きを止める。


 小さな影が衝突した直後に、バチン! と雷が弾けた。


「「ギャン!!」」


 ベーオ・ウルフたちが、苦悶の声を上げて地面に転がると、ヒゲモジャはこちらを守るようにウォーハンマーを構え、小さな影はその前に立ち、ベーオ・ウルフたちを睨みつけた。


 激突でフードが脱げて、サンドラが少女だと認識するのと同時に、銀色の狼に似た獣耳が見える。


「下がれ、ウルズ!」

「平気ですよ!! この程度の魔物なら……」


 と、彼女が口にした途端。




 ーーーその全身から、高位の魔獣に似た強烈な覇気が放たれた。




 ベーオ・ウルフたちは、その気配に慄いて動きをピタリと止める。


「伏せ!!」


 ウルズと呼ばれた獣人少女の言葉に従って、魔物たちが伏せると……主人以外の命令に従った彼らに嵌められた【拘束の腕輪】が麻痺の効果を発動して、気絶した。


 あまりにも急転した状況と予想外の出来事に、考えが追いつかないままサンドラが呆然としていると。


「無事か? ーーーこうした場所で見るには、少し扇情的な姿だな」


 パサリ、と肩に外套がかけられた。

 

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