「はふぅ〜……緊張しましたねぇ!」 「お前は何もしていないだろうが」

 スオーチェラは、軽く息を吐いた。


 理解し難い……瞳にはそうした色がありありと浮かんでいるが、同時にどこか、思慮深しりょぶかく別の気持ちを抱いているようにも見える。


「……なぜそこまで、冒険者ギルド構想に懸けるのです?」

「金の為ですよ」


 アルゴは即答したが、彼女は首を小さく横に振る。


「それは貴方の本心ではないでしょう。いえ、本心ではあるのかも知れませんね。しかし本質ではない……」


 何かを探り出そうとするように、スオーチェラは顎先に軽く指で触れると、小さく目を伏せた。

 フッと彼女の放っていたこれ見よがしの威圧感が消え、代わりにそれを濃縮し、研ぎ澄ました刃のような気配が顔を見せる。


「貴方が金銭を求めるのは、動機ではなく手段であるように感じます」


 アルゴは、組んだ両手の指に力が籠りそうになるのを意思の力で押さえつける。


 ーーーこの女傑の思考は、どこまでの切れ味を持っている?


 大体の交渉相手は、弱みを見せ、手の内を軽く晒し、逆に熱を込めて切り込んでやれば落ちるというのに。


 彼女はまだ、アルゴを探り出そうとしている。


「如何です?」


 ここが最後の正念場だった。

 生半可なはぐらかしをすれば、この交渉は決裂する。


「俺は、昔から気に入らないことが我慢できない」


 アルゴは、本心を話す選択をした。


 スオーチェラという女傑を落とすことには、それだけの価値がある。

 そして同時に、語ることでしか彼女は落とせないだろうと察したからだ。


「俺はスラムで生まれた。悪人に搾取されて死んでいく連中も、飢えて食い物を盗む連中も、安い金で犯罪に手を染めて捕まる連中も、山ほど見てきた」


 イーサに語ったのと同じことを、より深く掘り下げて吐露する。


「借金があっても死なないが、飯が食えなければ人は死ぬ。……稼げなくて死ぬなら、死ねばいい。だがそれは、の話です」

「機会……弱きを救う機会、という意味ですか?」

「違います。俺は救う気などありません。ただ、我慢がならないだけです」


 壮健な者も病弱な者も。

 老人も子どもも。

 獣人も人間も。

 男も女も。

 

 人は、ありとあらゆる立場によって不公平の中に生きている。


「平等に機会が与えられているのなら、負けた奴はそいつがバカだっただけの話。だが現実は、そうではない。機会すら与えられず、搾取され、死ぬ者が多くいる」


 アルゴがぶち壊そうとしているのは、決して誰か特定の個人の悪意ではない。

 そんな矮小なものにこだわっているのではないのだ。


「俺にはその状況こそが、ゴミにしか思えない。だから作る……誰しもが自らの選択次第で、金がなくても平等な機会が与えられる『場』を。正しく価値が作られる『場』を」


 生きるも死ぬも、挑戦するもしないも好きにすればいい。

 万人にチャンスをモノにする可能性がある状況が、アルゴの考える公平さが、今はどこにもないのだ。


 人によっては傲慢にも思える考えだろう。

 それを重々承知の上で、傲慢だからこそ、やろうと考えた。


 他の誰も、諦め、受け入れ、やろうとはしていないから。


 だからこれは、正義感などという、反吐が出るようなものではない。

 高尚な精神なんて持ち合わせちゃいない。


「俺が、俺の為に望んでいるんです。他人頼りで甘い汁を吸えるだけではない世界を。俺が苛立つことがない世界を。どんな奴でも、成り上がれるだけの機会を与えられる状況を」


 話し終えて、アルゴは最後に一言だけ付け加えた。


「それが、冒険者ギルドを作ろうと考えた動機です」


 スオーチェラは、話を聞いても反応を見せなかった。

 やがて、ス、と立ち上がると、不意にまた、微笑みを浮かべた。


「アルゴ様。……貴方のような者を〝高貴〟と呼ぶのですよ」

「……?」

「高貴とは、清廉潔白な貴族や、所作が美しい者を指す言葉ではありません。己の能力や立場に見合った義務を果たそうとする精神性を持つ者を、そう呼ぶのです」


 スオーチェラは、完璧な仕草で頭を下げた。


「貴方の気高さに、敬意を評します。貴方は紛れもなく〝高貴なる者の義務ノブレス・オブリージュ〟を果たさんと努める者です」


 その様子に、横でアナスタシアが呆然としているのを見て、どうやらアルゴはよほど珍しいものを目にしているらしい、とどこか他人事のように考える。


 頭を上げたスオーチェラは、そのまま淡々と言葉を重ねた。


「わたくしは貴方の選択を支持しましょう。Sランクダンジョンへの挑戦権を与えるよう、魔物狩りギルドに申し伝えます」


 そのように取り計らうように、と彼女がアナスタシアに伝えると、ハッと我に返ったアナスタシアがうなずき、場を辞した。


「見事、踏破を果たした暁には、貴方の冒険者ギルド構想への出資と助力を約束しましょう」

「ご厚意に感謝いたします」


 今度はアルゴが立ち上がって逆に頭を下げると、後ろでウルズも慌てて頭を下げたらしく、ゴチン! とソファに頭をぶつける音が聞こえた。


 ーーー何をやっている。


 アルゴが呆れながらも特に反応せず、『では、これで失礼いたします』とスオーチェラに伝える。


「お時間を割いていただき、ありがとうございました」

「貴方に、イーサが身を預けようとした理由が分かりました。商人アルゴ・リズムに幸運の加護が在らんことを」

「夫人にも」


 すると帰り際に、ふとスオーチェラが口にする。


「荷を奪われた馬車の運び先は、隣国でしたね」

「ええ。その山間になります」

「芸がないこと、と思ったことが一つあります」

「どういう意味でしょう?」


 スオーチェラは、アルゴの問いかけにさらりと答えた。

 

「亡夫も、隣国行きの馬車に乗り山の中でしいされました。実行犯は捕らえましたが、手口が同じである以上、根は一緒でしょうね」


 ーーー隣国の間者スパイが、この国の中に紛れ込んでいる、ということか。


 各ギルドの腐敗の原因は、それだけではないだろうが。


「私を狙ったのではなく、荷物の方に用があったのでしょうかね」

「分かりません。アルゴ様のように有能な者の台頭を嫌った可能性もあります。くれぐれも、国を出るまで身辺にはご注意を」

「最大限に」


 そうしてスオーチェラと別れると、門を出たところでウルズが大きく息を吐く。


「はふぅ〜……緊張しましたねぇ!」

「お前は何もしていないだろうが」

「なんと失礼な! スオーチェラ様やアナスタシア様の麗しいご尊顔に溶けないように頑張りました!!」

「バカか」

「イモい私には大変なことなのです!」


 言いながら、ウルズは頬に手を当ててモジモジと身をくねらせる。


「素晴らしいお顔でしたねぇ…… ! 緊張してお腹が空きました!」

「さっき食ったばかりだろう。我慢しろ」

「そんな殺生せっしょうな!」


 なぜかショックを受けたような顔をした後、ウルズはさらにやかましく言葉を重ねる。


「そういえば、ご主人様の言葉にも感動しました! 一生ついて行きます!」

「……あんなもの、ただの演技だ」


 軽く崩したオールバックの髪に指を通しながら、アルゴは片頬に笑みを浮かべてウルズに小馬鹿にした目を向ける。


「あの程度で騙されるなど、お前も夫人もチョロ過ぎる。利用されないように気を付けろ」

 

 しかし、ウルズは逆にこちらを呆れたような目で見てきた。


「……ご主人様、よく素直じゃないって言われません?」

「俺にそんな事をわざわざ言う奴はいない」


 良い奴だ、などと他人に思われるのはひどく心外だ。

 そう考えながら、アルゴはさっさと店に帰ろうと歩みを進めた。

 

 今夜はまだ仕事が残っている。

 エルフィリアに残りのポーションを納入し、ついでに荒くれ者たちの間で高騰の噂をばら撒きに行くのだ。

 

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