1件目 妖狐(ようこ)の怒りを買った人④

〈依頼人視点〉

それからしばらくたっても仲介人からの連絡は来なかった。

そんなある日、俺は腕の激痛で目を覚ました。

脂汗が背中を伝って、俺は腕をまくった。

「ヒっ……。」

紫の枝のような筋は腕全体に回り、服には血がにじみ出ていた。

それはやけどのように腕を発熱させ、まるで石のように動きが取れなくなっていた。

「……もう無理だ……。」

要は、あの石像を直せば解決するんだ。

俺は、パテの袋をリュックに詰めてもう一度祠に足を運んだ。念のために眼鏡をかけて。

鳥居代わりのように枝葉を伸ばす大きな木の間をくぐると、体中を氷のような冷たさが這い上がった。

そして賽銭箱に胡坐をかいている狐を見つけてしまった。

狐のしっぽは狐の体ほどの長さで太くて、まるで狐が二人いるような姿にゾッと背筋に冷や汗が伝った。

すると狐はこちらを見てあっという間に俺の顔を覗き込んだ。

「殺されに来たか。」

ダメだ……これは視線を合わせてはだめだ。


俺はきつく目をつむった。

しかし、狐の鋭い爪で瞼が押し開かれた。

視界一杯に狐の顔が映って息が止まりそうになる。

「なんだ、こないだ来たときは俺の姿はお前の水晶体には映っていなかったはずだが。」

「み、見えていません。」

「見えない奴はわざわざそんなことは言わない。声も聞こえないはずだ。」

「あ……。」

すると、狐の爪は俺の眼鏡を取り上げた。

「ほぉ、これは珍しい。眼鏡に式神が練りこまれているのか。あの男はなかなかやり手と見える。」

俺は視界から消えたのに聞こえる狐の声に唾を飲み込んだ。

狐の威圧に体が押しつぶされる感覚がして、俺は咄嗟に狐の声のするほうに平伏した。

「す、すみませんでした!!俺、こんなに怒られることなんて思わなくて……こんな怖いのがいるってわかってたらこんなことッ!」

「怒られなくてはやめられないのか。」

「へ?」

俺が顔を上げると、こめかみに眼鏡のフレームが通った。

視界からは狐の吊り上がった目の奥が赤く血走っているのが見えた。

「怖くなければ繰り返すのかと聞いている。」

「いぃえ?!ち、違います!!」

「何が違う。わしは愚かものを見るのは虫唾が走るのだ!!出ていけ、わしの縄張りから出て行け!!」

突如強い風が吹いて、俺の体は鳥居からはじき出されてしまった。


次の日、俺はもう一度材料を持って鳥居代わりの大きな木の間をくぐった。

枝葉は昨日より絡まり、人一人が通るのがギリギリなほど小さな入り口になっていた。

祠にはやはりあの狐が賽銭箱の上に座り、太い尻尾を左右に大きく揺らしていた。

狐はその場から動くこともなく、無言で俺を睨みつけていた。

俺は締め付けられるほどの威圧感を振り払うように大きく深呼吸をした。

足を踏み出して祠の前に腰を下ろす。リュックを開けて、パテとコテを引っ張り出すと首元にごわごわした獣の毛が当たるのを感じた。

「何のつもりだ。」

「……今日は……石像を直しに来ました。」

俺の答えに狐は鼻で笑ったが、俺は手を動かすことにした。

粉上のパテに水を入れてコテを使ってこねていくと、ドロッと粘着質な手触りに代わっていく。

俺は目の前の石像に手を伸ばし、割れ目にパテを塗り付けてパズルを組むようにくっつけた。

「珍しい方法を知っているものだな。」

「え?」

「これは昭和初期からある修繕方法だ。」

「あ……ネットで見て買ってきました。」

狐は俺を見て目を細めた。

「こんなことで許すと思っているのか?」

「ダメ……ですか。」

俺が視線を逸らすと狐は尻尾をなびかせて祠の中に入って行ってしまった。

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