持つべき覚悟
フェルきってのお願いとあって特別に演習場を貸してもらったのだが、いささかやりすぎてしまい、腕試しは強制的にお開きとなった。
床にヒビが入る程度ならまだしも、大きな亀裂が走っているのだから弁解の余地もない。
直接的な魔法を使用しないとの話だったが、騎士団の団長を務める彼ならば訓練用の剣ですらやってのけるか、と勘違いしてくれたことは幸いだった。
真実は会場に被害を与えたのは学生である雄也なのだが、知られてしまうと面倒なことになるのは必至。
フェルは雄也の爆発的な力が一時期的かつ条件付きなことを見抜いていた。そのため、勘違いに乗じて上手く誤魔化した。
初めて意図して“英雄の記憶”の力を使ったとは言え、もう一度やれと言われてもやれる自信がない雄也としてもありがたい話だった。
そもそも、フェルの魔法により魔力が暴走した状態であったため、0から同じことをするのはほぼほぼ無理である。
魔力は感情に呼応する性質を持っており、個々にベストな精神状態があるとされる。
雄也のそれは激しい感情の高ぶりであった。激怒、渇望、歓喜などなど意志を強くした時なのだが本人はまだ気づいていない。
「これからの学園生活でコントロールする術を学びなさい」
とはフェル談である。
持っている力が如何に強くとも、戦場では自分を知り、自分をコントロールできる人間の方が生き残る可能性が高い。
己を知り、操る術を身に付けることこそ雄也に求められる最大の課題。フェルの言葉を雄也は教訓として心に刻み込んだ。
“英雄の記憶”の力を初めて見せた相手がフェルだったのは雄也にとって幸運であった。
多くの才ある者と組み、時には駆け上がる姿を見守り、時には散っていく姿に涙した。
武術や魔法の才能と、精神の成熟具合は別個のものであることをフェルは良く知っている。
当たり前の話ではあるが、圧倒的な才覚の前ではついつい忘れがちになってしまうのだ。故に、潰れてしまう若者の数は少なくない。
雄也の才覚はフェルの眼から見ても常人離れしている。行く行くは世に名前を残すだろうと確信すらしている。
だが、反面雄也の精神はとても穏やかだった。幼い、成熟しているなどではなく、穏やかなのだ。
魔王が封印されてからおよそ百年、近頃では国同士、人間同士のいざこざが増えている。魔族や魔物の被害も少なくないのにだ。
そのような世で生まれ育ったにしては、雄也は酷く純粋だった。平和ボケしているとも言える。
話を聞けば、マスターゴブリンと対峙する前にもエレシスの森で魔物と相対したとのこと。死にかけた経験をしても尚揺らがない在り方に危うさを覚えた。
それは、雄也が地球の、その中でも平和とされる日本で育ったことが関係しているのだが、フェルがわかるはずもない。
――雄也は危うい存在と言えた。
“眠れる龍”と評したのは、龍は幸福と災厄の象徴とされているからだ。
龍の姿が確認された場所では、近いうちに何かが起きる。日照り続きの土地に恵み雨が降ったり、栄えた王朝を地震が飲み込んだこともあった。
演習場に現れた龍、唯一目撃したフェルはそれがどちらなのか判断できなかった。
彼は英雄になる可能性がある。裏返せば人類の敵になる可能性すらあるのだ。そして、もちろん彼が一人の凡人として一生を終える可能性も僅かながらある。
いずれにせよ、選択するのは雄也と世界である。フェルは希望を信じ、雄也へとアドバイスを送ることにした。
「私はどれだけ力があっても、心が伴わなければ意味がないと思っている」
「はい」
「力は力だ。それだけで意味を成す、成してしまう」
神妙な面持ちで拝聴する雄也とは対照的にフェルは穏やかに語る。
「君の力なら目的を達する方法はいくらでもある。……手段を選ばなければだが」
「できれば、手段は選びたいです」
「それは良かった」
雄也の答えにフェルが満足げに微笑む。
力尽くでの解決は雄也の望むところではなかった。それではアリシアと変わらない。
されど説得は難しい。否、不可能だと言っても過言ではない。
「だけど、アイリスは覚悟を決めてる……」
「何者であろうとも、誰かが一度決めた覚悟を塗り替えるのは難しい」
最愛の姉の言葉ですら止まらなかったのだ。今更、止まるとは思えない。
力尽くが嫌でも、説得の段階は過ぎていた。
「詳しい事情は知らないが、アイリス君はどのような結果になったとしても受け入れる覚悟を決めたのだろう」
「だと思います」
「ならば、見守ることも一つの選択肢だ」
「そんな……!」
思わず椅子から立ち上がり、前のめりになる。
見守る、それだけは絶対に選ばないと決めていた。
「あくまで一つの選択肢と言うだけだ」
「それは、わかりますけど」
「それに、ユーヤ君はまだ直接説得はしていないのだろう?」
「あ、はい」
「無駄だと思っていても、まずは説得してみるべきではないかな」
「……そうですね」
アリシアですら無理なのだから自分などと雄也は考えていた。
しかし、やりもせずに決めつけるのは良くないとも言われて思い、まずは止めてみようと決意する。
「予想通りダメだった時は……覚悟を決めるしかない」
「覚悟、ですか」
「――誰かの覚悟を踏みにじる覚悟だ」
アイリスの覚悟はある種尊い物かもしれない。
少なくとも雄也にそれを否定する確固たる材料はなかった。
だからこそ、彼の守りたいとの気持ちは相手を考慮しない独りよがりな物だ。
それは、雄也もわかっていた。わかった上で自分が納得できないから、勝手に守ろう――押し付けようとしている。
(アイリス……。アリシアさん……)
今一度、フェルに問われたことで自問自答を行う。
悲壮な覚悟を決めた二人。二人の覚悟は入り混じらない。
どちらの結末も嫌だとはっきりと言える。
「覚悟は出来ています」
フェルの眼を真っすぐ見て、きっぱりと答えた。
その内に宿る覚悟にフェルは再び重しを乗せる。
「では、死ぬ覚悟は、出来ているかね」
「えっ」
動揺を隠せない雄也を真っすぐ見据え、フェルは繰り返す。
「死ぬ覚悟は、出来ているか」
「…………」
即座に返事は出来なかった。
何故なら、そこまでの覚悟は出来ていなかったからだ。出来ていない所か考えもしなかった。
アイリスの縁談を止めさせたい。アリシアさんの無茶を止めたい。雄也が望むことはそれらだった。
唯の脅しでないことはフェルの態度からはっきりとわかる。本当に命の危険があるのだ。
「忘れてはいけない。これは貴族同士のやり取りだ」
「はい……」
自分の覚悟の浅さに気づかされ、羞恥で顔を伏せたくなる。しかし、反省はしても恥じてはいけないと無理やり前を見据える。
(そうだ……。ここは地球じゃないんだ)
お家騒動は地球でもある話なのだが、雄也の周りではなく、あくまでテレビドラマなど遠い世界の出来事でしかなかった。
想像する覚悟よりよほど大きな覚悟が必要となる。雄也は事が大きくなろうとも受け止める覚悟が必要なことを悟った。
そして、自分の行動次第ではカーティス家にも迷惑をかけるかもしれないことを改めて自覚する。
(難しいな……)
自嘲気味に口角をあげる。
自分が如何に子供で、如何に考えなしで、如何に自分勝手なのかを少しだけ理解できた。
一種の開き直りだろう。雄也はどこかスッキリした気分だった。胸のつっかえが取れた様な。
「死ぬ覚悟は――」
この世界でお世話になっている人々を思い返す。
彼らに迷惑をかけてしまうかもしれない。その申し訳なさを考えると死ぬ覚悟は重いものではなかった。
だからこそ、
「出来ません」
――するわけにはいかなかった。
「……理由を聞こうか」
「俺が死ぬと目的が達成できませんので。だから、死ぬわけにはいきません」
「死ぬかもしれない覚悟は必要だろう」
「いえ、死ぬとしても死ぬわけにはいきません」
子供じみた言い訳を並べ立てる。自分自身ですら酷い言い分だと呆れる。
それでも雄也は覚悟を決めた。この件において自分の死を誰かに背負わせないと。
なればこそ、死なない覚悟を決めるしかなかった。
「そんな屁理屈がまかり通るとでも思うのか」
「通るとか通らないとかじゃなくて、通すんですよ。通せないのならこじ開けてでも通します」
ペラペラと軽快に言葉が出てくる感覚に、雄也は自身が自覚していた以上に思い悩んでいたことに気づく。
理性や理屈を大事にしすぎた。……いや、大事にするのは良いことなのだが。
「力は、心を伴ってこそ」
「その通りだ」
「なので、心を殺さないために力でこじ開けます」
「……簡単な道ではないぞ」
「かもしれません」
雄也の才覚があればある程度通りを曲げることが出来るかもしれない。
しかし、所詮は未熟者。調子の波に左右されてしまう現状では力の意味は半分もない。
「アイリスと話して、アリシアさんと話して、フェルさんと話して……。自分のちっぽけさがよくわかりました。考えなしのガキだってことも。多分、俺の決めた覚悟なんて薄っぺらいものだと思います」
あっちを立てればこっちが立たず。両方を上手く立てるなんて器用なことは自分には出来ない。
相手の想いを尊重し、自分の想いとぶつからない様にすることも出来ない。
自分勝手に、自分の意見を押し付ける。追い込まれてしまえば、そんな酷いことしか出来ない。
「正直、自分の情けなさに泣きたくなります。けど、色々な理屈を立てたって、相手の気持ちを考えたって」
――嫌なんだ。アイリスの寂しげな横顔も、アリシアさんの悲壮な決意も、二人がすれ違ってしまうことも。
「俺は自分が一番なんです。だから、死ぬ覚悟なんてしない。やり遂げて、満足するまで諦めません」
「…………まさか、そんな答えを聞けるとはね」
フェルは苦笑を浮かべ、ため息を吐いた。
怒られる、もしくは呆れられると考えていた雄也は拍子抜けする。
「君は若い頃の妻に似ているな。昔を思い出したよ」
「そう、なんですか?」
「ああ、彼女は豪快な人間でね。何かある度にぐちぐち言わないで私についてきなさいと皆を引っ張っていたよ」
「そ、それは凄いですね。俺、そこまでではないと思うんですけど」
戦場魔導士として活躍していたのは聞いていたが、そこまで豪気にあふれた人だとは思っていなかった雄也は苦笑を浮かべる。
「フィオが懐くのもわかる気がするよ」
「あ、あははっ」
何と答えていいものかわからず、愛想笑いを浮かべる。
「だからこそ、君の進む道のことはそれなりに知っているつもりだ。当事者でない分、端で見ていたからね」
フェルが遠い目で過去を思い出す。
妻の豪快さは美徳であり、批判や非難、妬みの原因にもなった。
傍らで支えていた自分でさえ、感情の本流に飲まれそうになったことがある。
「大変だよ。おそらく、君が想像している以上に。妻や君は心の軸を持っているからね」
「俺のは軸なんて大層なものじゃないですよ……。ただの開き直りですから」
「今は頼りない軸かもしれないが、きっと逞しく成長していくと私は思う。いや、願う」
「……ありがとうございます。成長できる様に頑張り――」
言葉を切り、胸を拳でたたく。情けない自身に渇を入れたのだ。
あえて大胆不敵にニヤッと笑ってみせる。
「見ててください。絶対に成長してやりますよ!」
「楽しみにしているよ」
まるで息子を見守る様な暖かい眼差しを雄也へと向ける。
彼の進む道は妻と同じ……妻よりも困難な道となるだろう。
(誰かの支えなしには難しい道だが)
彼の側に寄り添い、支えてくれる人が現れるだろう。
それが誰なのかはわからないが。
(うちの娘だったら…………ぐ、複雑だ)
彼と出会ってから日に日に明るくなっていく娘は間違いなく候補の一人。まだまだ子離れできない父親としては複雑な思いである。
おそらく、母親に雄也の事を語っているであろう娘の姿を想像し、
(複雑だが、楽しみでもあるな)
その時はもう一度模擬戦を申し込もうと心に決める。
力試しではない。親として憂さ晴らしをするためだ。
だからこそ、あらゆる手を使って翻弄してやろうと。
絶好調であれば総合力は雄也が上であるが、自分より格上の相手と戦う術は用意してあるものだ。そもそも、調子に乗らせないのも実力の一部。
いつの日にか訪れるであろう未来に向け、より一層精進に励むことを心に誓ったフェルであった。
「さて、そろそろ具体的な話に移ろうか」
「お願いします」
そのためにはまず彼は一つのハードルを乗り越えなければならないが、這いつくばってでも達成することをフェルは知っていた。
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