最後の問いかけ

「……ごめんね」

「そうか」


 申し訳なさそうに眼を細めるアイリスに、雄也はあえて笑いかける。


「アイリスが決めたんなら仕方がないよな」

「ごめん……。わかってるんだけど……だけど、だけど」

「良いじゃねえか」


 眼の端に涙を浮かべるアイリスの言葉を遮る。

 まさか肯定されるとは思っていなかったアイリスは目を丸くして驚く。

 自分の知っている友人ならば、止めこそしなくても受け入れることはないと思っていたからだ。


「わかってて、それでも諦めきれないって言うのなら良いじゃないか」

「……ありがとう」


 穏やかに自分を見つめてくれる雄也にアイリスは安堵した。

 自分の馬鹿げた行為に愛想をつかされるのではないかと怯えていたからだ。

 愛する姉とは壁が出来てしまっている。自分の事を大事に思ってくれているからこその壁に嬉しくもあり、辛くもあった。


「本当はお姉ちゃんのことを一番に考えるべきだって、そうするべきなのはわかってるんだ」

「そうかもな」

「酷い妹だよね。お姉ちゃんはいつも僕の事を考えてくれているのに」

「かもな」

「ユーヤ」

「何だ?」


 アイリスの表情から雄也はこの先に続く言葉を察した。


「頼み事、しても良いかな?」

「聞けるかはわからんけど、言うだけならタダだぜ」

「ふふっ、じゃあ聞いてくれるかな」

「おうよ」

「お姉ちゃんをお願い。僕がこんなことを言える義理はないんだけど、お姉ちゃんが無茶をしないように、止めてくれないかな」


 ――だと思った。

 あの時のアリシアと同じ、血を分けた姉妹を心配している顔をしていた。


(ったく、二人とも後々の処理を俺に任せるんじゃないっての)


 雄也は心の中で嘆息する。同時に似ていないようで、やっぱり似ている姉妹に苦笑する。

 それに加え、おそらく一番無茶なことをする自分にお願いしてくる点でも笑えた。

 雄也がアイリスの意見を肯定したのは、その上で自分の意見を押し通す覚悟を決めていたからだ。

 故に、雄也はアイリスの覚悟を受け入れる。受け入れて尚、己の描く結末に無理やり持っていく。


「約束はできないな。アリシアさんパワフルだから」

「そうだね。だから、お願い」

「……アリシアさんが無茶しなければ良いんだよな?」


 頭を下げ、真摯に頼むアイリスに上から声をかける。


「うん」

「わかった。アリシアさんに無茶はさせない。約束する」

「ありがとう。本当にありがとう、ユーヤ」


 雄也の真っすぐな答えに、信頼を寄せているアイリスは一つ憂いを解消した。

 自分たちの問題に巻き込んでしまい申し訳ないと思っているが、雄也が知ってくれて心強いとも感じていた。

 目の前の少年は、どこか抜けていて頼りなく見えるかもしれないが、交わした約束は破らないはずだ。


「ユーヤ、僕ね」

「ん?」


 生まれてこの方、そのような余裕はなかった。

 身体が弱い時は生きることに必死だったし、治ってからは自分の価値を探すのに必死だった。

 レイナと知り合うまで友人らしい友人はおらず、ましてや歳の近い異性と関わることなんて学園に入るまで皆無だった。

 アイリスは自分の心が周りに比べて未成熟なのを理解している。だから、確信が持てなかった。


 雄也といると自然と明るくなれる。演じていたはずの自分が、本当の自分になっていた。

 雄也といると安らげる。気を張っていたはずなのに、いつの間にかほどかれていた。

 雄也といると……ドキドキする。余裕などないはずなのに、仲良くなりたいと願わずにいられなかった。


 だけど、雄也がレイナの横で、親友の横で笑っている姿はとても自然で。

 二人が楽しそうにしているのを見るのが好きだった。


「……ううん、何でもない」

「何だよ、最後だからとかで告白でもされるかと思ったぜ」


 雄也は軽口を叩くが、正解に近かったためアイリスは吹き出してしまった。


「にゃはは、僕がユーヤに告白? ないない!」

「そんなきっぱり言われるとショックだわ! ほらほら、照れなくても良いんだぜ? 俺に惚れてしまうのは仕方がないことだからな!」

「ないわあ」

「そんな冷めた眼で見ないで……!」

「ねえねえ、自意識過剰って言葉知ってる?」

「知らない! 知ってるけど知らない!」

「自意識過剰の例としてユーヤを語り継ぎたいね」

「ちょっとした軽口が語り継がれるとか絶望だわ!」

「デリカシーがないからだよ。ノリが良いのはユーヤの長所だけど、言葉を選ばないのは短所だからね」


 そうでないと女の子を困らせちゃうよ、とアドバイスを送るアイリスは笑顔なのにとても寂しげだった。

 

「まあまあ、そこら辺は追々学ぶとして」

「その言い方は信用ならないよ!」

「善処する善処する」

「もっと信用できない!」

「できたらするできたらする」

「絶対しないよね!」

「気が向いたらな」

「もはや前向きですらなくなった……!」


 こいつは駄目だと言わんばかりにジト目を向けられ、雄也はグッと親指を立てた握りこぶしを突き出す。

 その拳をアイリスが即座にはたく。


「今の流れで自信満々なのはおかしいから」

「今の流れなら謎の自信が溢れるのが正解だろ」


 喰い違う両者の認識。いや、ある意味共通していた。

 証拠に不満がある様に振る舞うアイリスの口角が少し上がっている。


「ユーヤは無駄に自信満々だもんね」

「無駄にって言うな。無駄にって。俺がバカみたいじゃないか」

「え、バカじゃなかったの?」

「本気で驚くのやめてもらえませんかね!?」

「もしかして、自分の事を賢いとか」

「思ってないけどさ! バカだと自覚してるから、深刻そうにしないでくれ!」

「にゃはは、わかってるわかってる。冗談だよ、冗、談」

「つまり、やっぱり告白だと」

「戻しすぎ!? 冗談はバカの部分だけだから!」

「ちっ、アイリスラブラブ大作戦は失敗に終わったか」

「そんなこと企んでたの!?」


 もちろんそんな作戦などない。口から適当に出てきたワードである。

 自分で言っておきながら、雄也はアイリスが誰かに惚れたら目的が達成できることに気が付いた。


「おお、アイリスが誰かに恋をしたら事態が丸く収まるじゃないか。流石は俺」

「全然流石じゃないから! そんなことで収まらないよ!」

「融通の利かない奴だな。お餅みたいな頬をしておいて」

「頬は関係ないでしょ!」

「髪もふわふわと柔らかいくせに」

「髪も関係ないから!」

「なのに頭は固いときた。一番柔らかくあるべきところなのに。全く、これだからアイリスは」

「何で呆れられてるの!?」

「脳トレをしろ、脳トレを。年取ったら急激にボケるぞ」

「良くわからないけど、馬鹿にされていることだけはわかった……!」


 脳トレが上手く伝わらなかったが、ニュアンスは理解できたためアイリスが威嚇する様にうなり声をあげる。それに合わせて雄也が背筋を伸ばし、アイリスの事を見下す。ついでに鼻で笑ってみたりする。

 冒頭のしんみりとした空気はどこに行ったのかと言わんばかりに、彼らはいつもみたいにじゃれ合う。


「はあ、最後かもしれないのにユーヤってば」


 不意にアイリスはため息を吐き、目の前の少年へと恨み言をつぶやく。

 自分と彼の別れはこんな形が似合っていると思いつつ、もっと甘い雰囲気でも良いではないかと。


「仮に縁談が上手くいったとして、学園はどうするんだ?」

「わからない。でも、多分やめることになるんじゃないかな。……相手の家は魔導士とかいないし」


 胸に鋭い痛みが走り、左手で押さえつける。

 覚悟は決めたはずなのに、雄也とのいつものやり取りが棘となって刺さるのだ。


「そうか……。まあ、そもそも上手くいくとは限らないしな」

「ひどーい。アイリスちゃんなら絶対上手くいくし」


 冗談めかす雄也に対してアイリスは頬を膨らませ、明後日の方向に顔を向ける。

 怒ったアピールをするのもあったが、顔を見られたくなかったからだ。

 アイリスの閉じられた眼からは涙が零れそうになっている。


(楽しい……。ユーヤといると楽しい……)


 彼との軽快なやり取りは心が踊る。

 去来する寂しさにアイリスは背けてきた、隠してきた想いをはっきりと自覚した。


(きっと、僕は彼に恋をしている)


 しかし、それは自分に残された微かな希望と相反してしまう。

 両親からの愛か、彼への愛か。


(レイナ……)


 親友を思い浮かべる。

 彼女の頑張る姿を、彼女の無理する姿を、彼女の苦しむ姿をアイリスは知っていた。

 少しでも負担を減らしてあげたかった。けれど、出来なかった。

 そんな願いを雄也はあっさりと叶えてしまったのだから驚きだ。

 今はまだ友人でしかないが、そう遠くない未来、二人の関係は進むだろうとアイリスは予感していた。


(レイナが、いるもんね……)


 未だチクチクと棘が刺さっている心の呻きが少しだけ和らぐ。

 縁談などなくても雄也の隣に立つのは自分ではない。

 レイナだけでなく、雄也の故郷にもおそらく彼を想う人がいるだろう。

 その事実をアイリスは何となくだが感づいていた。彼を構成する一部に誰かがいる気がするのだ。


「ユーヤ」


 整理はついた。彼に別れを告げようと名を呼ぶ。


「アイリス?」


 視線が絡み合う。鼓膜が彼の声によって震える。

 それだけで、それだけの事でアイリスの喉が言葉を飲み込む。

 終わってしまう。始まってもいないのに終わる。

 足が、手が、震えてしまう。それは身体が出すSOSであった。

 欲張りな本能が雄也の事も捨てたくないと叫ぶのだ。


「大丈夫か?」

「ッ!」


 心配そうに雄也が顔を覗き込んだ。

 一歩踏み出せば触れてしまう距離にアイリスが息を飲む。


「おいおい、本当に大丈夫かよ」

「……大、丈夫」


 掠れる声で答えるが、説得力は皆無だった。

 これ以上、雄也といられない。


「そろそろ、帰るね」

「送って「大丈夫」いや、どう見たって大丈夫じゃないから」

「大丈夫……。大丈夫だから……」


 尚も心配そうにしている雄也に、アイリスは精一杯の笑顔を送ろうとする。

 しかし、その笑顔は今にも泣きだしそうで、お世辞にも雄也を安心させることはできない。


「ごめんね。……さようなら」


 別れの言葉は風にかき消され、雄也の耳へは届かなかった。

 アイリスの後姿が壁の奥へと消える。


「アイリス……」


 彼女の名を呟く。その表情は戦場に赴く戦士のそれであった。

 雄也は踵を返し、カーティス家に駆け戻る。


「ユーヤ君」


 家の前で待機している馬車に乗り込んだ雄也の姿にフェルは失敗を悟った。

 彼はこれから賭けへと出る。

 鬼が出るか蛇が出るか。それは誰にもわからない。

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