覚悟を示せ
ローランス学園第三演習場にて二人の男が対峙していた。
片や175cm程度、中肉中背、年の頃は10代半ばから後半だろうか。学園の生徒だと思われる。
片や190cm弱の長身に加え、四肢がまるで丸太の様に鍛え上げられた筋肉隆々の大男、年の頃は40前後といったところか。教員にしては存在感が並外れていた。
各々利き手に獲物を握っている。訓練用の模造刀ではあるが、両者の表情は訓練のそれではなかった。
少年は険しい顔で切っ掛けを探し、大男は悠然と構えている。
旋回しつつ、じりじりと距離を詰めていく。間合いを図っているのだ。
(あと、一歩)
少年――藤堂雄也は、目前まで迫った目標地点へと視線を向ける。否、向けてしまった。
瞬間、大男――フェルディナンド・カーティスの眼が細まる。
「はあっ!」
「ぐっ!」
一歩で距離を詰めると、勢いをそのままに体重を乗せた重い一振りを見舞う。
それをギリギリの所で気づいた雄也が寸でのところで受け止めた。
(速い……!)
(今のを止めるか)
互いに心の内で感嘆の声をあげる。
目の前にいる男の技量に、目の前にいる男の才能に、男たちは羨望を抱く。
それも束の間、フェルが一旦飛びき、再びにらみ合いが始まる、かと思われた。
「はあああっ!」
(読まれたか……!)
フェルの行動を先読みした雄也が飛びのくのと同時に前へ駆け出した。
着地するタイミングに合わせ、右足を強く前へ突き出す。遅れて速度を増した切っ先がフェルを襲う。
「甘い!」
「なっ!?」
剣での防御は間に合わない。即座に判断したフェルは向かってくる一撃に対し、魔力を無手である左手に込め、剣の側頭部を引っ叩いたのだ。
英雄の記憶の副作用で雄也の能力は唯の学生を遥かにしのいでいた。特に身体強化魔法だけ見れば、既に相当な使い手である。
故に、雄也の全力を込めた突きは、フェルと言えども簡単に反応できる物ではなかった。
一歩間違えば致命傷を負う一撃を、限界寸前まで冷静に見極め、対処したのだ。
「はああああっ!」
「く、そったれええええっ!」
力を流される形となった雄也がバランスを崩す。
たたらを踏みながらも何とか踏んばる雄也だったが、がら空きとなった左わき腹に放たれた一閃に躊躇なく体を捨てた。
体重のかかっていた右足で地面を蹴り、空中で一回転、床に激突しながらも勢いのまま転がり、追撃から逃れる。
受け身を取らず落ちたため打ち付けた肩が少し痛むが、そんな泣き言を言っている暇はない。すぐさま起き上がり、フェルを見据える。
(強い……。わかってたけど、親父さんめちゃくちゃ強い!)
(実践不足、が素材は申し分ない。咄嗟の判断もまあまあ、か)
互いの評論は概ね合っていた。
肉体こそ全盛期を過ぎたが、元々持っていた才能に加え、重ねてきた弛まぬ努力と経験はそれをカバーしてあまりある力を持っている。
一方、雄也は龍之介、エクレールといった武闘派を身におろした時の経験、更に発動後副作用として体に残る魔力は絶大な物があり、才能の一点ではトップクラスの物を有している。しかし、今まで生きてきた藤堂雄也としての一般的感性が成長を妨げていた。
(その程度は既に知っていること。知りたいのは奥に眠る本能だ)
雄也はアイリスの件について全てを話し、フェルに助言を求めた。
内容を、取り分け結婚相手の名前を聞いた時、フェルの脳裏に一つの手段が思い浮かぶ。
それを達することが出来るか、教える価値があるか、見極めるために模擬戦を申し込んだのだ。
自分に出来ることがあるならばと雄也はためらうことなく頷いた。男の顔に、フェルは満足げに皺を深くする。
そうして始まったこの一戦。フェルが見極めたいことは才覚ではなかった。
「次はこっちから行くぜっ!」
受け身に回っては危険だと悟った雄也が姿勢を低くし、弾丸の様に飛び出した。
身長差は元々で15cmほどあり、差は現在更に広がっている。
(突き上げ、かわされる……薙ぎ払う!)
上段、中段からの攻撃はかわされるリスクが高い。
カウンターを狙うのも雄也の反射神経を考えると万が一がある。
ならばと突き進んでくれば回避不可能な横なぎを選択した。
「だと、思ったぜッ!」
適切な判断、フェルなら落ち着いて対処してくるだろうと信じ、間合いに入る寸前に大きく飛び上がっていた。
攻撃は空を切り、無防備な頭上から剣が振り下ろされる。
「ッ!」
「ぐぅ!?」
雄也が横なぎを選択させたのには理由があった。
攻撃をかわすことが出来ても左手が空いていたら先ほどの様に防がれてしまうかもしれない。
だからこそ、両手で放つ技を使わせたのだ。
だが、フェルは空を切るとわかると同時に両手から力を抜いた。当然、剣は両手から飛び出し、床を転がっていく。
その質量分だけ反動が減り、対処の時間を稼いだフェルは右手で頭部をガードしつつ、足払いを放つ。
防がれる可能性こそ考慮に入れていたが、相手が得物を失ったことに意識の一部を持っていかれてしまった。
足を払われ、視界が傾いていく中、咄嗟に左手で体を支え、ほぼロスなく立ち上がる。
しかし、フェルが得物を拾うだけの時間は十二分にあり、勝負は振り出しへと戻った。
両者ダメージを多少負ってはいるが、体力や魔力に衰えは見えない。
切り合いを行えば技量、判断力で劣る自分が不利と雄也が考えていることも影響している。
「ユーヤ君」
「……何ですか」
唐突に話しかけられ、警戒を解かずに返答する。
「君はアイリス君を助けたいんだね」
「そうです」
「そうか……。――なら、私をアイリス君を苦しめる元凶だと思ってきなさい」
「え?」
いきなりの提案に間抜けな声をあげてしまう。
元凶と思えと言われても、お世話になっている人の良いフェルに悪感情を持てない。
「やりなさい。そして心の奥底に眠る本能をぶつけてきなさい。でなければ――」
声のトーンが下がり、表情から善が消え去り、残されたのはただの鬼だった。
雄也は胸がざわつくのを感じた。はりつめた空気が皮膚をさし、ただの風すら痛みを伴っている錯覚に陥る。
息が浅くなる。肺が酸素を求め、呼吸をしろと命令してくるが、本能が気配を殺せ、息を潜めろと訴えかけてきた。
先ほどまでのただの強者ではなく、凶悪な力を秘めた自分に害を成す者。
その口から告げられた言葉は――
「――全てを失う」
叫び声をあげるどころか、ボリュームとしてはごくごく普通だった。しかし、言葉が空気を裂き、胸の奥へと突き刺さる。
モノクロの映像が、過去の記憶が、誰かとの想い出が流れ始めた。
音はない。色もない。絵すら劣化している。
しかし、彼女と過ごした日々は宝石のように輝いていた。
『――――』
太陽の光を浴びて輝く彼女は綺麗な笑顔を咲かせていた。
『ずっと一緒にいようね』
涙が頬を伝う。彼女が誰かわからない。――わからないのだ。
『ごめんね……。約束、守れなくて』
だがしかし、去っていく彼女の背をどうしても引き止めたい自分がいた。その姿にアリシアさんが、アイリスが重なった。
『――――ッ!』
――失わない。もう二度と失わないと決めたんだ。
「失くす、ものか……」
「むっ」
心を折るつもりで叩き付けた魔力を乗せた言葉の一撃。
対処方法を知らなければ、最悪精神崩壊すら起こしかねない魔法。
己の直感に身をゆだね。彼へと放った言葉のナイフが音を立てて崩壊していく幻覚が見えた気がする。
――萎んでいた闘気が収縮し、破裂した。
雄也の全身から立ち昇る圧倒的な魔力にフェルの頬から顎にかけて汗が垂れる。
彼ほどの騎士ですら、これほどの規模を間近で見たことはなかったからだ。
(眠れる龍を起こしたか……!)
未熟な者、器が足りない者に使えば凶器となる言葉の魔法は、時として眠った本質を表へ引きずり出してしまう。
「二度と……! 二度と失うものか……ッ!」
この世界では自然災害も元を正せば魔力であり、莫大な魔力によって現象が引き起こされる。
しばしば龍が災害前に確認されるのだが、彼らはドラゴンなどの生命体とは違い、自然――原初の魔力に近い。故にそれらが起きるほどの魔力が存在する場所には龍が観測されやすい。
フェルは空を見上げる。薄っすらと、だが確かに、龍が舞っていた。
(そのために力がいる。倒すだけの、救うだけの……!)
魔力の本流の中、雄也は己が内に眠る“英雄の記憶”に叫びかける。
誰か、誰でもいいから力を貸してくれ、と。
(力が、力が必要なんだ……! 超えられるだけの、救うだけの…………ッ!)
そんな都合の良い呼びかけの答える者など――
「来いっ!」
光の柱と共に現れた“英雄の記憶”……を構成する魔力。
それを無理やり取り込む。
「ぐ、あ、ああああああああああああああああッ!!!」
それは原初の魔力、始まりの魔力、終わりの魔力。
形を成さないまま取り込むことなど、毒を直接体に投入するようなものだった。
このままでは五分としない内に雄也の体は魔力まで分解されてしまうだろう。
「ああああああっ! ぐふ、ううぅうぅううううううああああああああッ!!!!!」
血反吐を吐き、魂が空気へと溶けていく感覚に生理的嫌悪感を覚えながらも必死に呼びかけを続ける。
(誰か力を貸してくれ……! 誰か……! アイリスを、アリシアさんを守りたいんだ! 彼女たちの笑顔を、守りたいんだああああああッ!)
心の声の咆哮が苦痛であげる叫び声を上回る。
それを合図として、光の柱が雄也を包んだ。
――“アレス・クライン”の記憶が解放される。
「本流が、止む」
中心から響いてくる雄也の絶叫に、わが身を捨てて特攻を仕掛けようと思っていたフェルが呟く。
全てを飲み込まんばかりの魔力が徐々に収まり、ただ静かに佇んでいる雄也へと吸い込まれていった。
静寂が世界へと戻ると、雄也はゆっくりと眼を開ける。その眼には強い意志が浮かんでいた。
(よくぞ耐えきった。よくぞ己を制御した)
その姿に雄也が己の才覚を従えたことを理解し、心の中で称賛を送る。
この時点でフェルは満足していた。今の彼ならば問題なかろうと。
だが、フェルは剣を構え、臨戦態勢に入る。
騎士として、一人の武人として目の前にいる雄也と手合わせがしたい。純粋にそう思ったのだ。
「はああああああっ!」
未だ動こうとしない雄也へと猛然と襲い掛かる。
肌を刺すプレッシャー。今は己が挑戦者であることをフェルは自覚していた。
全力を込めた一振り。二手目以降は考えない。そんな余裕はないからだ。
刀身が雄也へと向かっていく。雄也は動かない。
残り1m。雄也は動かない。
残り80cm。雄也は動かない。
残り50cm。雄也は動かない。
残り30cm。雄也は動か――
「ッ!?」
剣を振り下ろした姿勢でフェルが固まる。その顔は驚愕に包まれていた。
視線の先にある模造刀がゆっくりと滑る様にして真っ二つになる。
フェルは確かに見た。渾身の一撃が雄也へと届くその矢先、動き出した彼の一振りが先にフェルの剣を切断したのだ。
まさに一閃。光速と評さざるを得ない最速の一手。
「ふふ、ふははは、ははははははっ!」
「フェ、フェルさん?」
突然笑い出したフェルに雄也が一瞬ビクつく。
その姿は先ほどのやり取りがまるで嘘のようでフェルはますます笑い声を大きくした。
覚醒した龍、彼が突き進む道は英雄か、それとも――。
フェルは未来に思いを馳せ、笑い続けるのであった。
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