二人の笑顔を守るために

「結婚、ですか」

「ええ」


 日課である朝の鍛錬を終えると、リビングでアリシアさんが待っていた。

 先日の光景とそっくりだった。違うのはアリシアさんが沈痛たる面持ちだったことだけだ。

 良い報告でないのは火を見るよりも明らかだったが、告げられた内容は驚きこそすれ、意外な物ではなかった。


「えっと、前にも聞きましたけど、俺に言っても良いんですか?」

「誰に許可をもらわないといけないのかしら?」

「そりゃ、当人であるアイリスとか」

「そうね。アイリスが本当に当人だったのなら、勝手に話すことはしなかったわ」


 政略結婚の四文字が脳裏に浮かぶ。

 知識としては知っていたが、現実に起きると中々どうしてピンと来ない。

 そもそも、結婚そのものがあやふやなのだから当たり前か。


「どういうことですか。アイリスが結婚するんですよね」

「そうよ。あの男は、父は幼い頃は病弱だったアイリスをいない者扱いして、治った後も爪はじきにしてきたのに、いきなり結婚しろだって」


 笑えるわ、と続けるアリシアさんの表情はお世辞にも明かる物ではなく、むしろ真逆、憤怒を必死で抑えているようだった。

 扱いについては本人から聞いていたが、淡々と語っていたアイリスとは違い、感情が溢れてしまっているアリシアさんの姿に感化される。


「……確かに虫が良いにも程がありますね」

「でしょ!? そんなこと絶対に許さない!」


 “許せない”ではなく“許さない”

 父より先にあの男と呼んだことから、アリシアさんはもはや肉親と思っていないのかもしれない。それほどの憎悪が感じ取れた。


「でも」


 ふとアリシアさんが激情をひっこめ、悲しそうに視線を落とす。

 声には相手への思いやりがあふれている。


「でも、アイリスは両親の愛が欲しいの。褒めてほしいって、期待を裏切りたくない、もしかしたら……って」

「――その可能性は」


 友人の寂しげな横顔が脳裏を過り、微かな希望にかけて問いかける。

 しかし、アリシアさんは厳しい表情で首を横に振った。


「それはないわ。たまたま、性別が女だったから送り込んでみるだけよ。成功すれば儲けものってね」

「そんな……!」

「あの男の秘書を兼任している執事が言っていたわ」


 その執事さんは幼少期からアイリスやアリシアさんの面倒を見ており、表立って支援こそできないが眼を盗んで助けてくれる人とのこと。

 情報の信憑性は高い。そもそもからして分の悪い賭けではあったが、わずかな希望すら打ち砕かれると自分の事の様に胸が痛い。


「アイリスには」

「言ったわ……」


 手紙の内容は二人で一緒に確認した。だから、アイリスは知っている。

 けれど、それでもアイリスは縋ろうとしているらしい。


「…………アイリスが物心ついてから、あの男が自ら声をかけたのは今回が初めてなの」

「ッ!?」


 あまりにも酷い事実に声を失う。

 あんなに明るいアイリスが、あんなに元気なアイリスが、あんなにやさしいアイリスが――。


 ――笑顔の奥にどれほどの想いを押し殺してきたことか。


 怒りのあまり両手を力いっぱい握りしめ、歯をくいしばる。

 そうでもしないと感情の赴くまま叫びだしてしまいそうだった。


「きっとアイリスは止まらないわ」

「はい……」


 儚い希望すら踏みにじられるのがわかった上で、アイリスは自分を投げ出してまで愛を求める。

 アリシアさんの言葉ですらダメだったのだ。俺の言葉で止まるわけがない。


「だから、力尽くでも止めるわ。たとえ、アイリスから恨まれたとしても、こんな身投げみたいなことさせられない。させたくない……!」

「そんなことしたらアリシアさんの立場が!」


 両親との仲が上手くいっていないなど関係ない。アリシアさんはコーンウェル家の人間で、ローランス学園の教員なのだ。

 貴族相手に問題を起こして、ただで済むとは思えない。


「ええ、問題になるわね。家は別にどうでも良いんだけど、学園には申し訳ないわね」

「それにアイリスが悲しみますよ!?」

「大丈夫。どんなに酷くても殺されることはないわ。だから、また会える」


 アリシアさんの瞳には一片の曇りもなかった。既に覚悟を固めてしまっているのだろう。

 アイリス同様、今のアリシアさんの決意を俺が動かすことはできない。

 だけど、黙っているわけにはいかなかった。いられなかった。


「ダメですよ! アイリスにとってアリシアさんは全てです! あなたがこれ以上アイリスのために業を背負えば、一生苦しんでしまいます! ……今だって、今だってあいつは悩んでるんですよ!?」

「それでも……やるしかないじゃ、ない…………」

「……アリシアさん」


 俯いたアリシアさんの声が震えていた。机に水滴が滴る。

 その姿に水を差されたわけではないが、急速に頭が冷えていく。

 そうなのだ。代案があるわけでもないのに、アリシアさんを止めることなんてできないんだ。

 正論をぶつけてもアリシアさんを傷つけるだけ。


「くそっ……」


 唇をかむ。強く噛みすぎて血の味がするが構わない。

 わからない。

 どうすれば二人を救えるのか。どうすれば二人が笑っていられるのか。どうすれば二人が一緒にいられるのか。

 妙案など出てくるはずもないのに、思考が止まらず、延々と二人の笑顔を背景にループする。


「ごめんなさい。少しはしゃぎすぎたわ。話がそれちゃった」


 数分間の沈黙の後、顔をあげたアリシアさんは苦笑していた。

 眼に残る涙の跡が胸を締め付ける。


「ユーヤ君に頼みたいことがあったの」

「俺に出来ることなら……」

「もし、もしもだけど、私がいなくなったらアイリスをお願いね」

「…………」

「レイナちゃんも良い子なんだけど、あの子自身も色々あるし、アイリスからしたら理想の女の子なのよね」


 それは知っていた。あの時のアイリスはまるでレイナに負い目があるようですらあった。


「その点、理由はわからないけどユーヤ君とは気兼ねなく接しているのよね」

「そう、なんですか?」

「もちろん、レイナちゃんといる時も気兼ねしてるわけではないんだけど。……何て言ったら良いかしら。ユーヤ君といるアイリスは、私でも知らない顔をしてることがあるのよ」

「ピンときませんね」

「そんなんじゃダメよ。ちゃんと気づいてあげなさい」


 人差し指を口元に持ってき、ウィンクでいたずらっぽく微笑む。

 先生というよりは近所に住むお姉さんにたしなめられた感じだ。


「えっと、努力します」

「頑張りなさい。……じゃあ、そろそろ帰るわ。約束、お願いね」

「アリシアさん……!」


 去っていくアリシアさんの背にかける言葉を俺は持っていなかった。

 伸ばした手が力なく落ちる。

 “英雄の記憶”なんて変な力を持っていても、所詮は一介の小市民でしかないことを自覚させられた。

 だけど……。


「ジッとしてるわけにはいかない」


 それだけは確かだった。

 このまま動かなかったら結末はどうあれアイリスから笑顔が失われる。

 アイリスがどうとか、アリシアさんがどうとか、そんな建前はどうでも良い。

 俺が嫌なんだ。純粋に迎えるであろうラストが納得できない。

 独りよがりにも程がある。けれど、それがどうした。

 俺はハッピーエンドが好きなんだ。バットエンドなんてまっぴらごめんだ。

 動くことは決まっている。後はどのように動くかだ。

 困ったとき頼りになる親友は生憎実家へと帰省中、レイナも王都の方へ家族で行っているとかで不在。

 他に頼れる知り合いはクレアさんぐらいだが、彼女がどこにいるか知らない。


「とりあえず学園に行ってみるか」


 いなかったら残っている教員か何かに聞くしかない。

 善は急げと駆けだそうとした俺の前に――


「おや、どうしたんだい。――その顔は、もしかして悩み事でもあるのかね」


 190cm弱の恵まれた身長に加え、その巨体を支える足腰はまるで丸太かのように鍛え上げられ、上半身も下半身に負けじと筋肉隆々、その肉体から放たれる一振りは防御越しでも痺れるほどだった。

 しかし、そんな鍛え上げられた肉体とは裏腹に髭を蓄えた顔つきは人の良さを窺わせ、サファイアブルーの瞳は無邪気さを投影している。

 フィオの実父にして騎士団団長――フェルディナンド・カーティスがそこにいた。

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