フラグ
人生とはわからないものだ。
地球で過ごしてきた十数年、疑うことすらしなかった常識がたった数か月でひっくり返された。
異世界に転移したこと(そもそも生れからしてこちらなのだが)、そこは剣と魔法の世界だったこと、更に見眼麗しい人間が本当に存在したこと――などなど細かいことまで挙げたらキリがない。
しかし、そんなことなどちっぽけだと言わざるを得ないほどの“非常識”が俺を襲っている。
「ユーヤ……」
上気したように赤くなった頬、快楽に喜びを覚える瞳、吐息と共に名前を漏らす唇。
年の頃は10代後半、身長は俺より一回り程小さく160cm前半程度、肩程までに伸びたきめ細やかな紺色の髪、顔立ちは整っており、童顔ぎみではあるが可愛さと綺麗さを両立させている。
なまじ外見に幼さを少し残すため、艶やかな雰囲気がギャップとなり必要以上に色気を感じてしまう。
一見すると少女――それもまるで精巧につくられたお人形の様に美しさに溢れている――なのだが、目の前にいる親友――フィオ・カーティスはれっきとした男である。
前期試験が間近に迫った頃、図書館で起きたある事件をきっかけに、フィオは定期的に俺の魔力を摂取しなければならない体となった。
だが、その摂取方法に少し問題があり……粘膜接触、所謂キスでしかとることができないのだ。
まあ、他にも方法がある――ない、ないんだ。ないんだよ! できないことはないと同じだ!
「ん」
「……ん」
眼を閉じ、顔を上げてくるフィオの唇に唇を重ねる。今日だけで何度目になるだろうか。
このような関係になってから早2週間、頻度こそ変わらないが一回当たりの回数が明らかに増えている。
最初は照れが先行し、中々進まなかった作業も今ではテンポよく――とまではいかないが、それなりに慣れてきた。
何よりフィオのおねだりが段々上手くなってい……いや、深く考えるのはやめておこう。
ノーマルだと自覚している俺だが、フィオは容姿のこともあり、正直同性同士だという感覚が薄い。特にこの時のフィオはまさに女の子をしているため尚更だった。
かといって、ずっと続けるわけにもいかない。対処方法は探していかなければ。
「そろそろ大丈夫なんじゃないか」
感覚的に譲渡が十分だと判断し、確認を取るとフィオが少し不服そうにしながらもうなずいた。
「…………そうだね。大丈夫かな。いつもありがとう」
「気にするなって、そもそも俺が原因なわけだし」
魔力欠乏症に陥ったフィオを救うため魔力譲渡を選んだのだが、その結果としてフィオの体内では俺とフィオの魔力が混じり合う形となった。
体質を変化させてしまった、ようなものだと理解している。ならば、責任を取るのも務めだ。
「そういえば、明日だよな。実家に帰るの」
「その予定だよ」
明日から十日ほどフィオは母のいる実家に帰るのだ。
親父さんは騎士団の仕事次第なので確定はしていないが、何としてでも帰ると先日立ち寄った時に強く宣言していた。
家族を大事に思っているのは傍目からも明らかで、フィオの様子から見てももはや確定だろう。
「でも、本当に良いのかい?」
「いいよいいよ。折角の家族水入らずだ。ゆっくり甘えて来いよ」
フィオに、親父さん、それとまだ会ったことのないおばさんと三人に一緒に来たらどうだと誘われた。
ありがたかったが、流石に邪魔するのも嫌なので丁重に断った。
それに家族団らんというものに縁遠いため、勝手に居心地の悪さを感じてしまいそうなのだ。
そんな恩を仇で返すことはしたくない。
「そうか……。母上も父上も君に会いたがっているのに」
「まあ、おばさんには挨拶にうかがわないとな」
親父さんはたまに様子を見にやってくるため、何度か言葉をかわしている。この間は剣の手ほどきも受けた。
反面、おばさんは病弱なふりをしていることもあり、中々遠出することが難しいので会ったことがない。
フィオはもちろんカーティス家の方々には足を向けて眠れないので、せめて挨拶ぐらいはきちんとしなければ。
「それなら一緒に来れば良いのに」
「今回は、ちょっと行き辛いんだよなあ」
「何でさ」
どうしてもついてきてほしいのか、フィオが食い下がってくる。
辛気臭い話なので流したかったのだが、納得してくれそうにもないし素直に話すか。
「まあ、なんだ。家族揃った空間って、居づらいんだよ」
「……すまない」
笑って答えたのだが、意味を察したフィオが表情を暗くする。
フィオが好意で誘ってくれていたのはわかっている。だから、そんな顔をしてほしくない。
「気にするなって。実際、誘ってもらえて嬉しかったし」
「そう、か」
フィオの顔色は優れない。無理して明るくしようとしているのが見て取れる。
本心からそう思っているのだが、中々どうして気持ちを伝えるとは難しい。
「ただ、時間が欲しいだけだ。次は多分大丈夫」
「無理をしなくても」
「無理なんかしてねーよ。言ったろ、嬉しかったって。今回はいきなりのことだったから決心がつかないだけ」
「……ありがとう」
「何だよ、礼を言うのはこっちだっての」
あえて調子よくフィオの額を人差し指で押しながらウィンクしてみる。
「このタイミングでやられるとツッコミを入れにくいんだが」
「タイミングなんて気にするな! かもーんべいべー!」
「……」
「あた」
傍らにあったハリセンで頭を一叩き。
力はこもっていないが、まあ良いとしましょう。
「全く、ユーヤは」
「出た」
「口癖にさせたのは誰だい」
本人曰く、俺と出会ってから使用頻度が著しく増えたとのことだ。
あくまで自己申告なので信憑性は甚だ疑問である。
「信憑性がないとか思ってる顔だね」
「どんな顔だよ!?」
心が読まれることなどそろそろ慣れてきたが、ピンポイントすぎませんかね。
どんな顔だよ。例え、魔力を見てたとしてもわかるとは思えない。
「どんな顔だよ、魔力を見たとしてもわからないだろって顔」
「こわ!? もはやそこまでくると怖いんですけど!!?」
いっそ読心術を極めていると言われた方がまだ安心するわ。
あまりの読まれ具合に軽く恐怖を覚える。
「大丈夫、ユーヤ以外は読めないから」
「何一つ大丈夫な要素がない……!」
「大丈夫、読心術が出来る様になってもユーヤ以外には使わないから」
「もはや大丈夫の意味が変わったことを疑うわ!」
俺の反応にフィオが楽しそうに笑う。
大事な人が楽しそうにしてくれていると俺も楽しい。楽しいのだが、できればプライバシーは守ってほしい。
「大事なことはわからないから大丈夫だよ」
「今のも結構大事なんですけどね!?」
口に出さなくても会話が成立するとか……一瞬楽だなとの感想が浮かんだ。
「そう上手くはいかないよ。大雑把にしかわからないからね。そもそも、ユーヤがわかりやすくやっている時だけだし」
「いやいやいや、確かにわかりやすく振ってる時もあるけど、本気で驚いてる時もあるからな」
「そこはほら、親友だからね」
「親友って言葉重いっすね! 俺、そこまでわからないっすわ!」
「むっ」
「何故に不満顔? 読めと? そんな超絶テクニックを習得せよと?」
「そんなことはないけど」
言いながらフィオが視線を左へと移す。
俺は机の上にあったカップを取るとフィオへと渡す。
「ありがとう」
「どういたしまして」
適当に相槌を打ちつつ焼き菓子を探す。
「はい」
「さんくす」
「どうも」
焼き菓子を受け取り、口の中へと投下する。
さくさくとした触感と共に甘みとほのかな酸味が鼻を突き抜けた。
薄味だが、だからこそいくらでも食べられそうな焼き菓子はミハエルさんのお手製だ。
「そうそうユーヤ」
「ノー」
「……僕の体調が悪くなってもいいのか?」
「ぐっ、それを出すのはずるいぞ。ってか、だから今日は多めに渡したろ?」
明日の昼頃に出かけるから朝に魔力供給してくれ、との要求をバッサリ切ったのだが、半眼で睨んでくるフィオは勢いを緩める気配はない。
「確かに大丈夫だとは思う。けど、万が一を考えたらやっておいた方が良い」
「万が一とか言われたら反論できないんだけど」
なら、今日やらずに明日まとめてやればいい……とは行かないのが難しいところだ。
枯渇状態になると図書館の時みたいに、むさぼられる可能性が出てくる。状況が状況だっただけに耐えられたが、自室でああなったら大人の階段を一段どころか数段飛ばしかねない。
俺はノーマルなんだ。ノーマルなんです。
「……そうだね。ユーヤが嫌なら仕方がない」
「え」
「今日もらった分でも恐らく大丈夫だと思う。ありがとう」
「う」
「ユーヤも僕なんかとキスはしたくないだろうし、最低限にしていかないとね」
「ぐ」
ずるい。そんなことを悲し気に言われたら、
「……はあ、しゃーないな。軽くだぞ」
「……良いのかい?」
「まあ、フィオの体調が第一だからな。それに役得、とまでは言わんがフィオは可愛いしな。嫌ではない」
「そ、そうか」
後半は本音半分冗談半分だったのだが、フィオは本気で受け取ったのか恥ずかしげに体をもじもじさせる。
「おりゃ」
「いたっ!」
そんなフィオには手刀を喰らわせてやる。
力がそれなりに込められていたため、フィオが少し大きな声をあげた。
「調子に乗るな。リップサービスだ」
「本音は?」
「……リップサービスだ」
カウンターパンチに本音が飛び出しかけたが、すんでのところで踏んばる。
「そうか」
しかし、フィオにはわかってしまったらしく嬉しそうだ。
……第三者が俺とフィオを見て、何を思うかが凄く怖い。
ああ、空。俺は異世界の地で新しい境地を開拓してしまいそうだぜ。その時、お前はどんな反応をするんだろうな。
「殴り飛ばされる未来しか見えない……」
理不尽極まりない光景が目に浮かんだ。
可愛いなら誰でも良いの、と叫びそう。
「ユーヤ?」
「あ、いや、何でもない」
尚も不思議そうなフィオを誤魔化すために話題を変える。
「休みの間に遊びに行きたいよな。レイナとかアイリスも誘って」
「遊びに、か。学園外に出るには許可書がいるから」
どこなら良いかな、とフィオが考え込む。
ここら辺もとい異世界の土地勘など皆無な俺はジッとフィオを待つ。
「こっち方面は僕もちょっとわからないな。調べておくよ」
「あらそうか。んじゃま、頼むわ」
「任せて」
頼りになる親友に行き先を任せ、レイナやアイリスの都合を聞かないととプランを考える。
レイナは実家がこっちにもあるが、どこかで王都に行くと言っていた。
アイリスは今現在実家に帰省中。
フィオが明日から十日ほど出かける。
休みは残り一か月もないので、結構ギリギリかも。
最初の二週間は課題を片付けるために勉強会を行ったり、集まって駄弁る程度はしたが折角の長期休暇。どうせならどっかに行きたい。
海とかは内陸の方だし難しそうだ。そもそも海があるのかすらわからない。
「王都に行けば色々あるけど、ユーヤが入れるかわからないし……」
「え、入れないの?」
フィオのひとり言に反応すると、呆れた表情を向けられる。すっかり慣れてしまった。
「王都は最近きな臭くてね。身元不明の者はほとんど入れないんだ」
「きな臭い、のか」
王都ってことは王族がいるんだよな。テロ組織にでも狙われているのか。
フィオの話だと、王都近辺の街で被害が出ており、被害の内容は公表されていないが、噂では魔族が関係しているとか。
「魔族って魔物の凄いバージョンってことだろ?」
「雑な表現だね……。まあ、魔族と言ってもピンキリだけど、魔王軍幹部は全員魔族だと言われている」
「なるほど」
数十年前、魔王が撃ち滅ぼされて魔の一族は弱体化した。それがこの世界で信じられている歴史。
しかし、幹部は健在で魔王復活を企んでいるとか。そのため、幹部討伐が一番の懸念事項だと言う。
魔王がやられた後、それぞれが潜伏してしまったため見つけることができず、未だに生きながらえているとのこと。
故に、魔王討伐の中心を担ったこの国は魔族の動きに敏感なのだ。
「魔族の中には人の姿に化ける物もいるからね。警備は厳重になるさ」
「そりゃなるわな」
むしろ厳重にしていない方が正気を疑う。
となると王都に行くのは難しそうだな。宮廷魔導士になりたいのに困ったものだ。
「手っ取り早いのは戦果を挙げることだけど、立場上早々ないだろう」
「学生が手柄をあげる機会があったら、それは死に戦だろ」
「そうでもないよ。優れた成績を残した者が招集されたことは幾度となくある」
「……招集されたくねえ」
二度、死にそうな戦いを経験したが、興奮状態だと向かい合う勇気を持てる。
だが、一旦落ち着くと良く動けたものだと自分で自分に感心するレベルだ。
「そうなのかい?」
「フィオは時折俺をバトルジャンキー扱いするよな」
「そうじゃないのか?」
「やるしかなかったらやるけど、やらなくていいならやりたくないっす」
「ふーん」
「ふーんって……」
「どっちでも良いよ。どちらにせよ、そんな無茶はしないで欲しい。心配だからね」
真っすぐな瞳には本気の色が浮かんでいた。
「頼まれたって危ない橋は渡らんよ」
「どうだか」
嘆息をつくフィオに文句の一つでも言ってやろうかと思ったが、時刻も時刻だったためやめる。
頼まれても――その言葉をすぐに撤回するはめになるとは、この時の俺は知る由もなかった。
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