第三章 紅龍咆える

プロローグ

「――以上だ」

「わかりました」


 男の話が終わると、小柄な少女――年の頃は10代中盤ほどか、背丈は低いが発育が悪いわけではない――が一言返すと、会話は終わりを告げた。

 柔らかくふわふわとした茶髪に、くりくりとした眼、可愛らしい容姿だと言えよう。しかし、今はその眼から生気はなく、ただただ無感情である。

 だが、どうしてか中々去ろうとはしない。


「何だ」

「…………いえ、失礼します」


 男の問いかけに少女は一瞬瞳を揺らすが、首を横に振り、部屋を後にした。


「アイリス」

「……お姉ちゃん」


 部屋の外には少女の姉――アリシアが立っていた。

 姉の笑顔に緊張で凝り固まっていた表情を少しだけ綻ばす。


「……それで?」


 アイリスの部屋に着き、紅茶と焼き菓子を頬張ったところでアリシアが尋ねた。

 具体的な問いかけではなかったが、言わんとしていることはすぐにわかる。


「大丈夫だよ、お姉ちゃん」

「アイリス……」


 いつもの無邪気な笑顔とは違い、諦めの笑顔でアリシアの質問を流す。

 この家にいる時はよく浮かべている顔だった。


「アイリス、無理しなくて良いのよ。あんな男の命令なんて」

「お姉ちゃん」


 アリシアの言葉を遮る。

 この家で、あの男の陰口をたたくのは賢い選択とは言えない。


「壁に耳あり障子に目あり、だよ」


 いたずらっぽく片目をつぶり、人差し指を口の前にやる。


「障子?」

「窓みたいな物かな。ユーヤに教えてもらったんだ」


 聞きなれない単語に疑問符をつけるとアイリスが説明してくれた。


(ああ、東方のね。そういえば、聞いたことがあるような。って、それより――)


 妹の屈託のない笑顔に一人の生徒を思い出す。


「ねぇ、アイリス。ユーヤ君に「ダメだよ」


 相談してみたら、と続くはずだった言葉は鋭く切られる。

 先ほどのアリシアを想ってのそれとは込められたものが明らかに違った。


「ダメだよ……。ユーヤを巻き込んじゃ」


 そう言って寂しげに視線を床へと落とす。

 アリシアは尚も説得を試みようとして……やめた。

 妹は昔から頑固だったのだ。一度決めてしまえば、テコでも考えを変えない。


「アイリス、何でダメなのかだけでも教えてくれない?」

「え?」


 斜め上からの質問にアイリスは面食らう。 

 説得が始まると思っていたからだ。

 からかわれているのかとも思ったが、姉の表情は真剣そのもの。


「だ、だって、ユーヤには関係ないことだし」

「そうね。まだ関係ないわね」

「まだって……!」


 動揺する妹の姿に、アリシアは自分の勘が間違っていないことを確信した。


「アイリスの気持ち次第じゃないかしら。あなたはどうしたいの? 彼の事をどう思っているの?」

「……仲の良い友達。それだけ」

「随分仲が良いわよね。あんなにはしゃぐアイリスは初めて見たわ」

「そ、そうかな? レイナといる時もはしゃいでたと思うけど」


 そりゃレイナは大人しいからユーヤ相手よりは大人しめだったけど、と早口で付け加える。

 その様子にアリシアがくすっと笑う。


「あ、笑った! ひどーい!」

「ふふっ、ごめんね。アイリスがあまりに可愛かったから」

「ぶーぶー」


 やっとこさ本調子になってきた妹にアリシアは安堵する。

 この姿を見たいがために、自分は教員に彼女は生徒となったのだ。


「ごめんごめん。話を続けて」

「もう話すことないよ! ユーヤは友達、それだけ!」


 両手を組み、頬を膨らませて怒ってますアピールをしてくるアイリスに、アリシアはこれ以上の揺さぶりは逆効果と判断した。


(脈があるなら、後は事を起こすだけ)


 アイリスの姉だけあり、アリシアも非常に頑固なのであった。


(期待してるわよ、ユーヤ君)


 ご機嫌を取るため秘蔵のお菓子を出すことを検討しつつ、心の中で雄也へとエールを送る。

 その時、自室にいた雄也がくしゃみをしたとかしないとか。

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