後編

 雄也と空が暮らす街では花見ができる場所は限られている。

 そのため時期になると争奪戦となり、多くの人が諦めるか適していない角度から桜を眺めることになる。

 だが、二人は陽が落ち始めた時刻に待ち合わせをしていた。


「お待たせ」

「おう」


 三十分前から待っていた雄也が軽く手を挙げる。

 空の事だから15分前に来るだろうわかっていたが、龍之介に急かされ少し早めに出たのだ。


「そこは俺も今来たところだよって言うシーンでしょ」

「俺も15分前に来たところだよ」

「それはそれで雄也らしいか」

「ちょっと待てーい! リテイク、リテイクを要求する!」

「却下します」


 スカートを翻し、雄也を置いて奥へと進んでいく。


「あ、待て待て」

「何?」


 本気の静止に空が振り返る。


「ほらよ」


 羽織っていたコートを空にかける。ついでに巻いていたマフラーも頭にのせる。


「あ、ありがとう」


 この展開を狙っていたにも関わらず、空は照れから目を伏せる。

 実際に起きると素面ではいられない。

 頬が赤くなる。寒さが原因ではないのだが、雄也は気づかない。


「顔、赤くなってるし。全く、おしゃれも良いけど防寒も考えろよな」

「……う、うん」

「まあ、こうなると思ったからな。いいべいいべ」

「うん……」

「……どうした?」

「うん……」


 反応の悪い空に雄也は顎に手をやり、しばし考える。


「寒いのか?」

「うん……」

「空って男らしいよな」

「うん……」

「スレンダーだし」

「うん……」

「おうとつが、な」

「うん……」

「ふむ」


 デコピンでもして正気に戻してやろうかとも思ったが、視界の端を空の手がかすった。

 視線を落とすとバスケットを持った手が映る。手袋はつけていなかった。


「…………」


 着けていた手袋を握らせようとしたところで、イタズラ心がむくむくと湧きだした。


「ほら、行こうぜ」


 言いながら何も持っていない方の手を取り、もう片方でバスケットを引き受ける。


「ゆ、雄也ッ!?」

「聞こえない聞こえなーい」


 驚きで甲高い声をあげる幼馴染を無視し、しっかりと手を握った。

 すっかり冷えていた空の手を温める様に強弱をつける。


「う、うぅ……」

「手を繋ぐのも久しぶりだよな。あの時は同じくらいだったの、に……」


 親友だった頃はほとんど変わらなかったが、今では男女の差が出ていた。

 自分のとは違い小さく柔らかい空の手に、今更ながら緊張してきた雄也である。

 空も大きく逞しい雄也の手に脳が沸騰しかけていた。

 その様子も目に入り、雄也も頬を朱に染める。もちろん、寒さが原因ではない。


「…………」

「…………」


 いつもの騒がしさはどこへやら、無言のまま歩みを進める。

 恥ずかしさや緊張はあるものの嫌な静寂ではなかった。

 というか、そんな事を感じている余裕はない。


(や、やばい……! 空の手ってこんなに女の子らしいのかよ!?)

(雄也の手……)


 思考がパンクしかけている雄也とは対照的に空は夢見心地だった。


「雄也」

「お、おう!?」

「懐かしいね」

「……だな」


 過去を思い返し、柔らかく微笑む空の姿に雄也も冷静さを取り戻す。

 そして、一緒になって想い出を振り返る。

 これから向かう場所にもたくさん眠っている。


「初めて来たのはいつだっけ」

「二年生の時だったから8歳かな」

「じいちゃんが連れてきてくれたんだよな」

「三人だけの秘密の基地だってね」


 草むらの間に出来た獣道を渡っていく。

 ほどなくして開けた場所に出る。


「うわ……」

「綺麗……」


 昔からの遊び場所であったが、夜に行くことはなかった。

 中学生になってもちょくちょくやってきていたが、少し外れた道なので危険を考えて止めていたのだ。

 故に、夜の風景を見るのは二人とも初めてである。

 中央にある桜の木は他と比べて一回りも二回りも大きい。

 風で揺れ動く葉の間から月明りがまるで踊っているかのように差し込む。

 街灯はないが、それだけで灯りは十分だった。

 眼前に広がる幻想的な光景に二人は動くことを忘れ、見入っている。

 人が踏み入れてはいけない領域、初めてきた者ならそんな印象すら受けてしまうだろう。


「行こうぜ」

「うん」


 しばしの間、見とれていた二人だったが、臆することなく進んでいく。

 二人に足取りは軽い。


「しっかし、夜に見ると別人だな」

「すっごく綺麗よ」

「ほんとほんと」


 幹を優しく触りながら、友人に軽口を叩くような口調で話しかける。

 これも二人の子供の頃からの慣習だ。

 ここを教えた時に龍之介が科したルールである。

 それに従っていたこともあり、二人にとってこの桜の木は友人当然であった。

 だからこそ、桜の木も二人を受け入れる。


「でも、いつきても誰もいないよな」

「そうね。そんなに離れてないはずだけど」


 穴場であるここならば場所取りをする必要はない。

 そうわかっていたからこそ待ち合わせを夜にしたのだが、やはり疑問に思ってしまう。

 教えてはいけない三人の秘密基地。

 誰かを連れてきたことがないから二人は知らないが、この場所にたどり着ける人は限られている。

 距離がどうとかではなく、ここには魔力が満ちており、結界の役目を果たしているからだ。

 二人はまだ知らないが、龍之介は持って生まれた資質により、この場へと迷い込んで異世界に召喚された。

 ある魔法を使用することでエレシスのとある桜の木とここの桜の木が繋がる。


「まあ、都合が良いけどな」

「正直、他の人がいたら嫌よね」

「んだんだ」


 挨拶も終えたのでシートをひき、腰を下ろす。

 昔は地べたに座ってたよなとの雄也の台詞で笑い合う。

 そしてどちらからともなく肩を寄せ合い、桜を見上げる。

 一際強い風が吹き、桜の葉がせわしなく音を立てた。仲間外れにされてぶーたれているのか、それとも笑っているのか。

 眼を閉じ、桜の声に耳を澄ませる。

 くすくすと楽しそうに微笑んでいる気がした。


「空」


 隣にいる幼馴染の名前を呼ぶ。


「何?」

「呼んだだけ」


 特に理由はなかった。


「雄也」


 隣にいる幼馴染の名前を呼ぶ。


「おう」

「呼んだだけ」


 特に理由はなかった。


「そろそろ、ご飯にしよっか」

「おっ、待ってまし……」


 体を起こしたまま雄也が固まる。

 台詞を遮るように彼のお腹が大きな自己主張を始めたからだ。

 時間にしては一瞬だが、その後の硬直を含めると十数秒かかった。


「ぷっ」


 必死に笑いを堪えていた空だったが、限界だった。


「あはははははっ!」

「だー! 笑うな!」

「だ、だってだって! あはははっ!」

「ぐぬぬぬぬぬっ!」


 お腹を押さえて笑い続ける空を睨むが、それがむしろ笑いを誘ってしまう。


「ご飯が美味しいのが悪いんだからな!」

「へえ」


 終いには訳の分からない理屈を立てるが、それを聞いて空がにやにやと悪い笑みを浮かべる。

 しまったと雄也が思った時には遅かった。


「いらないんだあ。折角、昨日の晩から漬け込んでたのになあ」

「ぐ、ぐぐぐっ」

「から揚げ、冷めても美味しいように工夫凝らしたのに、雄也の好きな味なのに」

「う、うう」

「おにぎりも用意してるのに、雄也は食べないの「ごめんなさーい!」どうしたの?」

「どうしたってわかってるだろ!」

「空わかんなーい」

「ぶりっ子やめーい!」


 ご丁寧に人差し指で頬を抑える空に対し、劣勢を覆そうと必死にツッコミを入れる雄也。

 しかし、お腹を鳴らした上に相手には人質(弁当)がいるため勝てる見込みはなかった。


「あー! 俺が悪かったって! お願いだから食べさせてくれよ!」

「ふふっ、どうしようかなあ」


 口ではいじわるなことを言いつつ、手際よくタッパーや紙皿、割り箸を並べる。もちろん、二人分だ。

 そわそわと落ち着きのない様子の雄也は飲み物を用意する。

 

「ほい」

「ありがとう」


 紙コップにアップルティーを注ぎ、空へと渡す。


「はい」

「せんきゅー」


 紙コップにレモンティーを注ぎ、雄也へと渡す。

 自分の好きな飲み物を持ってくれば良いだけなのだが、二人が気づく様子はない。


「あー、五臓六腑に染みわたるぜ」

「はい、どうぞ」

「これはどうもどうも。美味そうッ!」


 おにぎり、から揚げ、卵焼きにプチトマトをとりわけた紙皿を渡す。

 雄也の好物ばかりである。流石のチョイスだ。


「それじゃあ、いただきまーす!」

「召し上がれ」


 小さいながら真っ赤な球体で彩り鮮やかに仕立て上げるプチトマトを一口、みずみずしい。うん美味い。

 ふんわりと幾重にも撒かれた黄金の巻物のごとき卵焼きを一口、甘さに頬が緩む。うん美味い。

 きつね色に輝く大本命手間暇かけて作られたエースであるから揚げを一口――行くと見せかけて鮭フレークが混ぜられたおにぎりを一口、これだけでも食べていける美味しさだ。うん美味い。

 さて、今度こそエースストライカーであるから揚げを持ち上げ、ゆっくりと口の中へ。


「おいひい! おいひいっふ! おいひー!!」

「わかったから、ちゃんと食べなさいよ」


 あまりの感動に口に含んだまま喋り始める雄也に苦笑しつつ空が食べることを促す。

 大げさなリアクションだが作った身としては非情に嬉しい。

 けれど、大げさ故に喜ぶタイミングを逸してしまった。


「はああああ、うめええええええ」

「大げさすぎよ」

「いやいやいや、大げさなもんか! マジで美味いって! 腕上げたなあ、本当に。――うん、美味いッ!」


 褒めながらから揚げを一口、漬け込んだ鶏肉は冷めた状態でも芳醇な風味を口内に届けてくれる。うん美味い。


「まあ、そこまで喜んでくれると作った甲斐があるわ」

「喜びますとも。これ食べて喜ばない奴はいないね!」

「そうかな」

「他の奴なんか良いじゃないか。少なくとも俺は喜ぶぜ!」

「雄也が言い出したくせに……。でも、雄也が喜んでくれるなら他の人はどうでも良いけどね」

「泣かせてくれるねえ。素晴らしい幼馴染を持ったもんだ」

「でしょでしょ。もっと感謝しなさい」

「ありがたやーありがたやー」


 拝むついでにから揚げを一口、すぐさまおにぎりを。米とから揚げがまた合う。うん美味い。

 量は二人分にしては多めだが、このために昼飯を抜いてきた雄也にとって敵ではなかった。

 空は少量で良いとのことなので、大半が雄也のお腹へと消えていく。

 特にから揚げは五人前はあったはずなのだが、ペロリと食べきってしまう。好物は伊達ではない。

 これには作った本人も苦笑い。張り切りすぎて困った自分がバカみたいだ。


「ふひー、ごっそさん」

「お粗末様。多いかなって心配だったんだけど」

「はっはっは、男の胃袋をなめないでいただこうか」

「なめてました。……お腹いっぱいになった?」

「お腹いっぱいだぜ。幸せだあ」


 花より団子、最初に比べて膨らんだお腹を摩りながら満足げに呟く。

 メインの一つが終わったので、残りは二人並んでのんびりと桜観賞だ。

 食べてすぐにとは行儀が悪いが、横になって桜を眺める。


「大丈夫? 苦しくない?」

「へーきへーき」


 明らかに食べ過ぎなため逆流性食道炎などが心配な空をよそに、当の本人は両手を枕にし、のんびりと上空を眺めている。

 その様子に空は嘆息するが、気を取り直して同じく横たわる。


「小学生の時、よくこうしてたよな」

「夏休みとかよくお昼寝しに来たっけ」

「日陰だからか、涼しいんだよなあ」

「でも、冬とかは暖かいのよね」

「それな。不思議だ」


 不思議な現象の理由はもちろん魔力である。桜に適した気温に寄ろうとするのだ。


「雄也」

「なんぞ?」

「楽しい?」


 不安そうな声に視線を横へ落とすと視線が絡み合う。

 月明りで微かに照らされた空はとても綺麗だった。思わず目を奪われる。

 しかし、すぐに眼を閉じて落ち着きを取り戻す。慣れた行為だった。


「楽しいぜ」

「良かった」


 花が咲いた様にふにゃっと破顔した。

 どちらかというと大人びている空の子供っぽい笑顔。

 昔の面影が残っており、懐かしさを感じると共に成長の跡も見て取れた。


「……雄也?」

「……空」

「な、なに?」


 珍しく真剣な面持ちの雄也に空の胸が高鳴る。

 幼馴染と夜桜見物、シチュエーションは完璧であった。


(で、でも、雄也に限って……!)


 冷静な自分は否定する。期待しても無駄なのは散々体験してきた。


(だ、だけど、いつもと違う環境になると気づかなかった気持ちに気づくって)


 恋愛豊富な友達談である。

 本人は信じていないと断言していたが、花見を夜へと変更した事から嘘であったことがわかる。


「空」

「は、はいッ!」


 緊張から語気が強くなってしまい、慌てて手で口を塞ぐ。

 しかし、雄也は気にしていないようで話を続ける。


「また来ような」

「……はい?」

「ん? だから、また花見しようなって」

「…………わかってた。わかってたもん」

「空?」


 いつもながら自分が先走っただけだった結果にボソボソと呟く。

 だが、毎度の事なので切り替えも早い。

 雄也の台詞は期待したものではなかったが、嬉しい物には違いなかった。


「うん、また来ようね」

「来年は……受験次第か」

「何よ。行けない可能性があるの?」

「それはないけど……」


 声に力がない。自分と空との学力差は楽観視できるレベルではないのだ。


「勉強会で頑張るからさ」

「信じてるわよ」

「お、おう。信じとけ」


 頬を伝う汗は見ないフリ。

 一年後、何とか同じ高校へと合格することができたが、相応の努力は求められた。

 残念ながら来年は空が直前に体調を崩してしまい流れてしまうが。再来年は――


「あ!」

「お!」


 夜空から降り注ぐ白い結晶に歓喜と驚愕で上半身を起こす。

 寒くなるとは聞いていたが、まさか雪が振る程とは。


「マジかよ……」

「凄い……」


 夜桜だけでも十分幻想的であったのに、そこに季節外れの雪が合わさると言葉など出てくるわけがなかった。

 儚い光に照らされる桜の葉に白い装飾が施される。

 その光景を目に焼き付けんばかりに一心不乱に見つめる。


(雪……桜……白……桜……)


 不意に雄也の脳裏を誰かが掠めた、気がした。

 同時に喪失感を覚え、必死にその誰かを思い出そうと――


(……空?)


 腕に違和感を覚え、視線を隣へと移すと空の腕と自分の腕と組まれていた。

 やった本人は無意識なのか気づいた様子はなく、風景に眼を奪われている。

 キラキラと眼を輝かせる空の姿に胸の喪失感はあっさりと消え去った。

 そして、この一瞬を記憶に刻むために今一度空を仰ぐのであった。

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