中編
「お花見?」
始業式を三日後に控えた四月の初め、何とか春休みの宿題を終わらせた雄也の顔は引きつっていた。
だが、花見の提案を言い出した空は気づいていないのか、それとも無視しているのか話を続ける。
「うん。久しくやってないじゃない? だから、やろうよ」
「まあ、確かにだいぶやってないけどさ。本気?」
「本気も本気」
「まじか……」
ここ最近、勉強を見てもらったためできる限り空の希望を叶えてあげたいのだが、中々どうして踏ん切りがつかない。
それと言うのも先週空が言っていたように今週は真冬並みの寒さなのである。二人の恰好も冬仕様だ。
お花見とは当たり前だが外でやるものであり、冷気が攻め立ててくるのは火を見るよりも明らかである。
暑さには強いものの、寒さに弱い雄也の反応が悪くなるのは当然であった。
「お弁当作るから、ね?」
「うぬぬ、空の弁当かあ」
空のお母さんが料理上手なこともあり、空自身の腕前も高い。
雄也はもちろん、龍之介も料理が不得手であるため、二人してよく世話になっている。
体育大会などの行事では雄也の好物を詰めた弁当を用意してくれるため、男子の怒りを買っていた。
好きでもない相手にそんな弁当を作るわけないだろうがとは友人談である。
小学生の頃からの慣習であるが故に気づかないわけだが、それにしてもだ。
ちなみに、当時はお母さんと一緒に作っており、進学してからは一人で作っている。
「からあげいっぱい入れるから!」
「よし、行くか!」
大好物増量が決め手になった。
先ほどとは打って変わって行く気満々な雄也に気づかれない様に空がチロッと舌を出す。
(元々、いっぱい入れる予定だったけどね)
操縦はお手の物と言うわけだ。
アメをぶら下げなくても最終的には折れてくれるのはわかっている。
だが、それはそれ。このやり取りも大事なのだ。
「あ、そうそう」
「んぬ?」
「夜に行こうよ」
「夜桜ってやつか」
「うん、一度夜桜見物やってみたかったんだ。どうかな?」
「まあ、うちはじいちゃんはあれだし大丈夫だけど、そっちは良いのかよ。俺たち二人だけなんだろ?」
男っぷりに定評のあるお母さんはともかく、空のお父さんは割と心配性である。
夜に男と夜桜見物など許すとは思えなかった。
「大丈夫よ」
「親父さんも?」
「うん、雄也とだし」
「雄也とだしって、俺は何だと思われてるんだか。まあ、空とは兄妹みたいなもんだけどさ」
(姉弟みたいって……。そんな理由じゃないんだけど)
どちらも自分を上にしている事から似た者同士であることがわかる。
それは置いといて、両親は娘の気持ちを知っていた。父は最近になってやっとこさ気づいたが。
その上で雄也の事を信頼しているのだ。そうでなければ、毎日の様に通うことも許さない。
身の上を知っているのはもちろん、二人にとって雄也は息子みたいなものである。
それが戸籍上でも息子になるだけだ。その程度の認識だった。
思春期の娘は顔を真っ赤にして、恥ずかしがっていたが。
「じゃあ、夜桜で花見としゃれこみますか」
「やったー!」
「夜だと冷えるから暖かい格好してこいよ。寒がっても貸してやんねーからな」
「またまた素直じゃないんだから。そう言いながらいざとなったら貸してくれるくせに」
「う、うっせー! 空がこれ見よがしに寒そうにするからだろ!」
「その節はどうもどうも」
初詣に行った際、可愛く見せることに意識が行き過ぎて防寒意識が低く、結果として寒さに震える羽目となった。
仕方なく雄也は上着を貸し、空としては新年早々幸せいっぱいであり、雄也としてはちょっとした満足と引き換えに身震いすることとなったのだ。
「感謝はいいから暖かくして来いよ。学校も始まるし、風邪をひいたら困るだろ」
「…………」
「答えろ! 答えて! 答えてください!」
「てへっ」
舌を出し、あざとくウィンクする空を雄也が半眼に睨む。
だが、全く効かないのか涼しい顔をしている。
「こ、この野郎ッ」
「野郎じゃありませーん。女の子でーす」
「こ、この女ッ」
ご丁寧に言いなおしながら、雄也は説得するより自分が一枚多めに着て行く方が確実だと判断する。
眼を閉じ、体を明後日の方へ向けて拗ねたフリをしている空は雄也の考えを完全に把握していた。
(ごめんね)
そして心の内で謝る。
前回、雄也の服を貸してもらった時、空はとても幸福だった。
雄也が自分を気遣ってくれた事もだが、好きな人の上着に身を包まれる嬉しさを知ってしまったのだ。
かと言って、素直に頼む事なんてできるわけもない。だが、前みたく雄也に寒い思いはしてほしくない。
そこで一芝居うち、事前に知らせることとしたわけだ。
たまたま雄也から言い出したが、言わなかったら言わなかったで空がそれとなく話題を振るつもりだった。
(もしかして、私のこと心配してくれてる、とか)
真っ先に格好の話をしてくれたので、そんな期待もしてしまう。
ただ単に寒い思いをしたからかもしれないが、プラスに考えてもいいではないか。
(ったく、女子ってのはおしゃれ命なんだから。風邪ひいちまったらどうするつもりなんだか)
事実、雄也は自身ではなく空の心配をしていた。
面と向かって言うのは気恥ずかしいので言わないが。
(温かい飲み物でも持っていくか)
(温かい飲み物持っていかなくちゃ)
互いに相手の事を思い浮かべながら同じことを考えていた。
まあ、好きな飲み物が入った水筒が一本ずつ揃うでの丁度良いのだが。
「そういえばおじいちゃんは?」
「今日も朝早くに出て行ったけど、どこに行ったかは知らねー。ゲンちゃんの所にでも行ってるんじゃね」
ゲンちゃんとは龍之介と仲の良い八百屋の店主であり、よく二人で将棋をしたりして遊んでいる。
龍之介は友人が多いが、朝早くからとなるとゲンちゃん家に行くことが多い。
「そっか。明日の用事とか聞いてる?」
「聞いてないっす」
「じゃあ、帰ったら夕食いるかどうか聞いておいて」
「うーっす。ってか、夕飯食べていけよ。その頃には帰ってきてるだろうし」
「今日はちょっと用事があるのよ」
「あらまあ」
(お弁当の買い物とか仕込みしないといけないからね)
お世辞にも料理が得意ではない雄也は必要な工程をふんわりとしか理解していない。
特に仕込みなどはしたことがないため、教えようものならかけられる労力に頭を垂れるだろう。
褒めてほしくないわけではないが、下手したら遠慮して今後弁当などを断られる恐れがある。
雄也のために料理をするのは苦痛ではない。それに主婦と違って毎日するわけでもないのだ。
なので、空はちょっとした用事と誤魔化した。
「あいよ。じゃあ、聞いとくわ」
「お願い」
「任された」
「ところで雄也」
「なんぞなんぞ?」
「晩御飯って決まってるの?」
「いや、決まってない。適当にコンビニで弁当でも買ってこようかなって」
「コンビニ弁当……」
上記でも述べた通り藤堂家の人間は料理が苦手である。
そして、当たり前だが峰岸家の施しを受けられない日の方が多い。
そのため、雄也はよくコンビニの弁当を食べていた。
米を炊き、買ってきた総菜を食べることもあるが、近年は売り場が減ったことやコンビニ弁当の向上により回数が激減している。
一応、野菜も採っているため著しくバランスを欠いているわけではないが、空としてはどうしても気になった。
育った環境の違いである。ちなみに龍之介はつまみと酒だけで問題ない人種だ。
「何かあったかしら……」
呟きながら台所へ、勝手知ったる他人の家と手早く冷蔵庫を開け、材料を確認する。
その流れで戸棚の中身も確認、把握を終えた。
「野菜炒めで良い?」
「用事あるんじゃなかったか?」
「まだ大丈夫よ。ちゃちゃっと作っちゃうし」
「んじゃ、お言葉に甘えて」
「任された」
台所に仕舞われている唯一のエプロン――ほぼほぼ空専用だが――を身に纏い、手早く調理に取り掛かる。
その見慣れた後姿を見つめつつ、雄也は他愛のない話を始めた。
これもまた幾度となく繰り返されたいつもの光景なのだった。
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