外伝 桜の思い出

前編

 藤堂雄也が異世界に召喚される二年ほど前の事である。

 藤堂家のリビングには家主である龍之介の姿はなく、孫の雄也と幼馴染である峰岸空がいた。

 二人は机の上に開かれている教科書を食い入るように見ている。いや、睨んでいると言った方が正しいか。

 窓の外で桜の木が揺らめている。淡紅色――桜色の葉も一緒になって踊っていた。

 ふとその事に気が付いた雄也はぼんやりと桜の葉を眺める。

 雄也は桜が好きだ。

 いつからだったのかは本人も覚えていない。自然と眼を奪われていたのだ。

 ただ、綺麗だなと感じると同時に物足りなさを覚える。

 美しい桜色……物足りないのではなく、多いのかもしれない。


(サクラ、桜、桜の葉、桜餅……。お腹すいたなあ)


 いくら眼を奪われるとはいえ、空腹に勝るものはなく、連想ゲームのように桜餅を思い浮かべてお腹をさする。

 この辺りの桜は三月の下旬に咲き始める。そして、桜は最近咲き始めた。

 それが学生にとって意味することは一つ、春休みが終わるのだ。

 四月から学年を一つ上げ、三年生となる彼だが、今のままでは開始早々に先生の怒りを買ってしまう。

 要するに――


「ほら、手を止めない。まだまだ残ってるんだからね」

「わかってるって。あー、春休みに宿題なんか出すなよなあ。休みだぜ、休み」

「夏も冬も同じことを言ってたわね」

「休みの度に思うからな!」

「はいはい、いくら嘆いても無くならないわよ」

「うへぇ」


 目の前に積み上げられた敵――問題集に辟易する。

 空に手伝ってもらいながら何とか進めているものの、まだまだ時間はかかりそうだ。

 毎日こつこつやれば苦労しないのにとは空談。

 彼女は長期休暇になる度にこの台詞を言っている。つまり、学ばないのだ。

 中学生になってから毎度の事なので片手の指では足りない。

 ……空としては雄也と二人きりでいられるので満更ではないのだが。


「数学とか大人になって役に立つのかよ」

「将来とかはどうでもいいからやったやった」

「ぶーぶー、そこは無理やりにでもひねり出せよ。やる気ださせてえ」


 後半はあえて駄々っ子の様に甘えた声を出す。

 しかし、空の対応は慣れたもので鞄から箱を取り出し、雄也の前に置く。


「その問題集を終わらせたら食べて良し」

「さっすがは空さん! 気が利くね! よーし、俺、頑張っちゃうぞ!」

「ふふっ」


 食べ物に釣られ、わかりやすくやる気を出す雄也を楽しそうに眺める。

 それこそ数えきれないくらい交わした些細なやり取り。だが、何度やっても飽きるものではない。

 

「お茶入れてくるね」

「うい!」


 見た目からは箱の中身は予測できないが、空のお母さんは和菓子を作るのが上手いことから、桜餅であることを雄也は確信していた。先ほど脳裏に浮かんだからと言うのも多少ある。

 となると、熱いお茶が欲しくなるところ。しかし、雄也は空に頼むことはしない。


「はい」

「せんきゅー」


 そんな事を言わずとも持ってきてくれるからだ。

 出会ってから約10年、多少距離が空いた期間はあったものの、ほとんどの時間を共にしてきた。

 故に、それなりに互いの事を理解している。


「あ」

「ほい」

「ありがとう」


 雄也が空に消しゴムを渡す。


「あれ?」

「教科書の下」

「さんきゅさんきゅ」


 空にアドバイスに従い、雄也が教科書に埋もれていた筆箱を救出する。


「…………」

「そこは代入するだけよ」

「なるほど! 天才だな!」

「雄也に比べたら天才かもね」

「うわー、天狗だ天狗がおるぞー!」

「そろそろ帰ろ「すんませんしたー!」よろしい」


 軽いじゃれ合いが入るのもいつものことである。

 友人に女子と二人きりの勉強会を羨ましがられる雄也だが、彼としては甘々な雰囲気になどならないのに嫉妬だけ買うのは理不尽だと感じないこともない。

 しかし、性別なんて関係なしに空とのやり取りは楽しい。

 また空は文武両道に加え、さばさばしている性格なこともあり、男女問わず人気者だ。

 それに容姿だって十二分に整っていると言って良いだろう。スレンダーなスタイルも一部男子以外には受けがいい。

 恥ずかしくて面と向かっては言わないが、内心雄也はそのように評価していた。

 そりゃ、嫉妬もされるはずだと甘んじて受け入れる。


「おーわり!」

「お疲れ様」

「へっへっへっ、今日は一体どんな子だろうかねえ」

「何でゲスな感じなのよ」

「気分だ!」

「知ってた」

「知ってたなら聞くなよなあ……」


 ぶつぶつ言いながら箱を開ける。中身は予想通り、桜餅であった。


「勝利は我の手の中にッ!」


 桜餅を持った右腕を高々と掲げる雄也に空が一言、


「ばーか」


 シンプルかつ雄也の事を見事に説明した一言である。

 だが、楽しそうに笑顔で眺めているのだから本心でないことがうかがえた。


「いただきまーす!」


 時に桜餅には二種類あり、関西と関東で分かれているとかいないとか。

 空の母は生れは関西、育ちは関東なため二種類を気分で作り分けている。

 今回は関東風であった。雄也に両者の違いを明確に理解できる舌などないが。

 いつもより少し無骨な作りであるが、雄也はその事に全く気が付かず、口へと含む。

 咀嚼する雄也を、空が固唾をのんで見守っていた。


「ん?」


 幸せそうな表情で食べていた雄也だが、徐々に怪訝な面持ちへと変化していった。

 その事に釣られてなのか、空の表情も暗くなる。


「お、美味しくなかった?」

「いや、美味しい。美味しいんだけど……」


 うーんと雄也が両手を組み、数秒考えこんだ後、


「これ、もしかして空が作ったとか?」

「え!? ど、どうして?」

「んー、何となく空が作ってくれた気がした。味はいつもと同じだと思うんだけど」


 どうやら確証はないようだ。


「わ、私が作ったけど」

「あ、やっぱり? だと思った」


 味以外の部分であれば、作りが手馴れている母と比べ、形が少々いびつなことぐらいなのだが。

 気を遣って、触れない様にするほど雄也は気が利かない。その事を重々承知している空は思わず頬を染める。

 無意識に自分だと気づいてくれたからだ。恥ずかしいので理由を聞かれたらはぐらかすが。


「あ、味は大丈夫だったかな」

「おう! おばさんに勝るとも劣らずの味だったぜ。腕をあげたの、褒めてやろう」

「ふふっ、何で偉そうなのよ」

「ははー、偉大なる空様。今後とも私めにお慈悲を、どうかお慈悲を」

「仕方がないんだから」


 即座に態度を180度変える雄也に空が笑みをこぼす。頭を下げる雄也も楽しそうに同じ表情を浮かべる。

 よくある二人のやり取りである。

 小学生の頃は互いに馬鹿をやり合ったが、歳を重ねるにつれて空はそれなりにおしとやかになり、雄也がひたすら馬鹿をやるようになった。

 絡み方は変わったものの一緒にいて楽しいことだけは変わりなかった。


「にしても、すっかり春だよなあ」


 桜餅を食べ終わり、一服し終えた雄也がポツリと呟く。


「暖かくなってきたもんね。たまに寒いけど」

「三、四日に一回は冬に戻るもんな。やめてほしいぜ」

「ほんとほんと」

「せめて、学校始まる頃までには安定してほしいもんだけど」

「ざんねーん。来週は寒くなるって」

「うげえ」


 空から告げられた残酷なニュースに倒れこむ。

 それなりの時間、宿題をこなすために脳みそを使っていたため、横たわる姿勢はとても心地よかった。

 このまま寝てしまいたい。そう考える雄也だったが、寝るには少し肌寒い。


「コタツが恋しい」

「ねー。真冬並みに寒いって話よ」

「やめてくれー。もうその日は布団から出ない」

「バカなこと言わないの」

「冗談だよ冗談」


 嘘である。結構、真面目に自主休校を検討していた。

 暑さには強い雄也だったが、寒さには弱いのだ。

 祖父である龍之介は比較的放任主義なため、留年でもしない限り何か言われることはないだろう。

 故に、本当に嫌になったら休む。

 もちろん、空は知っているわけで雄也の言葉を微塵も信じない。


「寒かったら本当に休むくせに」

「…………」

「まあ、どっちでも良いけど。迎えにいくし」

「うっへ」


 寝たふりで誤魔化そうとしていた雄也だったが思わず呻いてしまう。

 空が迎えに来る、それすなわち自主休校が禁止されることを意味していたからだ。

 雄也の演技力は人並み程度である。空を騙すことなど逆立ちしてもできない。


「今のは何? 行くなら嫌がる必要ないでしょ」

「う、嬉しいなって」

「何が?」

「えー、空が迎えに来てくれるのが」

「じゃあ、毎日行ってあげる」

「多忙な空さんにそんな負担をかけさせるわけにはッ!」

「私と雄也の仲じゃない」

「うぐ」


 学校の男どもが眼を奪われる花が咲いたような笑顔。

 だが、雄也にだけはわかった。その裏にある男勝り時代の空の顔が。

 つまり、最初から雄也に選択権などないわけだ。


「もう受験生の自覚あるの?」

「正直ないな!」

「自信満々に言わないの」

「自信満々に言うのが趣味です!」

「人様の前では言わないでね!?」

「どうして!?」

「説明必要かしら!」

「ホワイ!?」

「発音が日本人!」

「WHY!?」

「うん、頑張ったね!」

「さんきゅー!」


 などとよくわからないタイミングでテンションをあげる二人であった。


「約束」

「ん?」

「……約束、覚えてるよね」

「もちろん」

「ならば良し」


 同じ高校に進学すること、二人が交わした約束である。

 正確に言えば小学生低学年の頃に、中学、高校、大学も同じところに行こうと指切りを交わしたのだ。

 地区が同じであるため中学は大丈夫であったが、高校では学力に左右される。

 雄也の成績は特別良くも悪くもない。しかし、空は上から数えた方が早い。

 このままでは空がランクを下げないといけなくなる。それは雄也も本意ではない。


(勉強しないとなあ)


 別に勉強が嫌いなわけではなかった。

 授業を理解する程度には基礎もあり、テスト前には一通り範囲は見直す。

 バイトこそしているが、代わりに部活はしていないため時間はある。

 小学生の頃、学校の野球クラブに所属していた雄也だが、祖父の負担を減らすためバイトをすることに決めたのだ。

 

「しかし、空は頭いいよな。塾に行ってるわけでもないのに」

「学校のテストは復習をちゃんとすれば取れるからね」

「そういうもんなのか」

「そういうもんなのよ」

(確かに定期テストは授業中でやった所を出すしな)

「実力テストとかの方が大事かもね」

「かもな」


 相槌を打ちながら二年の生の時に受けた実力テストの結果を思い出す。

 定期テストと変わらず平均程度であった。


「雄也が嫌じゃないなら定期的に勉強会しない?」


 空の提案は渡りに船であった。

 というか空が気を利かせてくれたのだ。


「そりゃ、俺としてはありがたいけど、空は大丈夫なのか?」

「私は全然大丈夫! むしろ……」

「むしろ?」

「な、何でもないっ!」

「そ、そっか」


 思わず本音が飛び出しかけたが、済んでのところで留まった。


(雄也はまだ色恋沙汰に疎いもんね)


 半分本心であり、半分は言い訳であった。

 男性に比べて、女性の方が精神年齢が高いと言われがちな思春期真っただ中、例に漏れず二人の通う学校も似たような傾向であった。

 そんな中、雄也は女子の間で大人気……ではないが、全く話題にあがらないわけではない。

 その大半が空が何故雄也を気に入っているのかとの内容なのだが、時たま好意的な感情を持っている女性が出てくる。

 二人の友人を超えた関係は周知されており、今のところ行動に起こす人はいない。

 しかし、友人経由で耳に届く度に空は不安に駆られた。

 空は漠然と高校生辺りで付き合うことを想像していたが、周囲の動きは想像以上に速い。

 半ば流される形で告白をしようとするも、失敗を繰り返していた。

 その度に雄也の未成熟さを理由にしているのだ。


(そういえば今日から開幕か。勝ってほしいなあ)


 チラチラと期待と不安を込めた視線を送る空に対し、贔屓のチームの開幕戦を思う雄也。

 実際、彼は色恋沙汰に疎かった。初恋も彼が認識している範囲ではまだである。

 思春期のリビドーがないわけではない。ただ、付き合うとか彼女と言うものが想像できないのだ。

 その辺に関しては空との距離感が近すぎるのも理由の一つではあるが。


(この顔は野球の事でも考えてるわね……)


 流石は幼馴染、雄也の思考パターンはしっかり把握されていた。

 鈍い想い人にため息をつきたくなるが、気づかれたら気づかれたで困るので水に流す。


「野球?」

「おー、よくわかったな」

「優勝できそうなの?」

「去年は若手も出てきたし、優勝狙えるんじゃないかって期待してるんだ。いや、本当にいい投手でさ! 度胸満点なマウンドさばきってやつ? 憧れるぜ!」

「うんうん」


 雄也が身振り手振りを使い、好きな選手の良さをアピールする。

 普段からテンションの高い雄也だが、好きなことを語るときはとにかく楽しそうだ。


「まあ、俺は少年野球レベルだけどさ。それでもマウンドが怖いって時あったもん。打たれそうで。ハハッ、プロの選手って本当に凄いぜ!」

「そうだね」


 空はそれほど野球に明るくない。

 雄也がやっていたので基本的なルールは知っているが、プロ野球となるとさっぱりである。

 精々、雄也の贔屓のチームと好きな選手がわかる程度だ。

 だが、空が好きなのは楽しそうに話す雄也の姿を見ることなので、聞くのは嫌ではなかった。

 これが父親相手なら適当に対応するのだから恋は盲目とは言ったものだ。


「中学でも続けたら良かったのに」


 だからこそポロッと漏れてしまった。

 タブーなわけではないのだが、わざわざ口に出すことがなかった話題。


「考えなかったわけじゃないけどな。まあ、色々と考えてな」

「……うん、ごめん」

「謝ることじゃないって。じいちゃんが職種を隠すのが悪いんだ!」


 やってしまったと沈痛な面持ちで視線を落とす空の頭をなでながら、家を空けがちな家主へと文句を飛ばす。


「それにその程度だったって事だしな。本当にプロを目指してるとか、好きならやめなかったはず」

「そんなこと、ないと思うけど」

「あるある。うちの中学は結構強いから厳しいしな。こうしてダラダラと空と過ごしてる方が幸せだよ」

「……私と?」


 上目遣いで見てくる空の眼差しに雄也は視線を泳がしながら、


「…………空とだよ」


 小声で答えた。恥ずかしさで耳が赤くなってる。

 その様子がいつもの軽薄な発言とは違うことを示していた。

 胸が暖かくなる返答に、空は手をもじもじとさせながら何度となく頷く。


(へ、返事! 返事しないとッ!)


 テンパりすぎたのか、まるで告白をされたかのような思考へとなっていた。


「わ、私もっ! ……私も、雄也といると、幸せだよ」

「お、おう……」


 友人達が、いや二人の関係性を知らない第三者でもいい。お前らはよ付き合えやとのツッコミを入れる人物の不在が悔やまれる。

 しかし、二人の煮え切らない関係はまだまだ続くのであった。

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