二人だけの秘密
その夜、三人に教えてもらったことを復習しているとコンコンとドアをノックする音が、遅れてフィオの声が聞こえた。
「僕だけど、ちょっと良いかい」
「フィオか。おう、良いぜ」
「勉強していたのか、すまない」
「いやいや、寝る前に見直そうかなってだけだから。気にするな」
時刻は日付が変わるか変わらないかといったところ、明日は休日なので多少寝るのが遅くなっても問題はない。
そこで、今の状況が珍しいことに気づいた。
「そういえば、珍しいな。夜にフィオが俺の部屋に来るなんて」
「そ、そうだったか」
共同スペースで一緒にいることはあっても、夜中にどちらかの部屋に行くことはなかった。
フィオの理由は知らないが、俺としては何故だか夜中にフィオの部屋に行くのは気が引けたのだ。
男友達と夜中に誰かの家で駄弁るなど良くあったのだが、もしかしたらフィオが中性的でたまに心拍数の上昇が避けられないことがあるからかもしれない。……いや、本当に申し訳ない。
「あれ、湯上りか」
「え!? あ、う、うん、そうだけど」
これまた珍しいことにフィオは湯上りだった。頬は薄っすらと赤みがかっており、髪も蒸気のせいか少し湿っているように感じる。
……まずい。早速ドキドキしてしまう。さ、悟られないようにせねば。
同性にも人気なのは本人も知っているのだが――と言うか同性から告白されたことがあったし――近くにいる俺が変な空気を作ってはだめだ。
お、落ち着くんだ。想像しろ。
引くほどイヤらしくエロ本を読む隆司、引くほどエロスについて語る俊哉、引くほど……。
などなど、友人たちの思春期男子っぷりを思い出して冷静を保つ。
「髪、ちゃんとかわかしたか。風邪ひかないように気をつけろよ」
「あ、うん、かわかしたよ。ありがとう。気を付けるよ」
ニコッと笑うフィオの瞳が何だか潤んで――冷めた目で隆司を見る女子、冷めた目で俊哉を見る女子――よし、落ち着いた。
心の平穏を保つ作業、多少慣れているつもりだったが、このケースは想定外だ。
「そ、それで、どうした。勉強でも見に来てくれたのか」
「いや、ユーヤの故郷についてなんだけど、帰省しないとか」
「――ああ、確かに長期休暇まで居候してたら邪魔だよな。親父さんとかも来るんだろ?」
カーティス家のお屋敷だが――流石は有名貴族、いくつも持っており、学園に一番近い物を使用しているだけだと言う。なので、親父さんとも数回しか会ったことがないし、おばさんとは会ったことがない。家にいるのはフィオと俺、後は住み込みの使用人だ。
だからこそ、心苦しいが好意に甘えて居候させてもらっている。
「そ、そんなことはないよ! 邪魔なんてことはない!」
「お、おう。そう言ってもらえると助かるわ」
フィオの勢いに慌てて感謝の意を伝える。
本気で邪魔に思われているとは考えていなかったのだが、言葉のあやと言うやつだ。
「はあ、まったく……。母上も父上もこちらに来る予定はないから、いてくれて全然構わない。まあ、社交界のために僕が帰ることはあるかもしれないけどね」
「社交界かあ。話に聞いたことはあるけど、全然想像つかねえや」
「正直、僕は苦手かな」
「ははっ、何となくわかる」
「ユーヤぐらい単純な人ばかりなら、もう少し楽しめるんだけど」
それは褒められているのだろうか。
「褒めているよ。最大級にね」
「心を読むのはやめーい」
「読まれたくないなら、顔に出さないことだね。特にユーヤはわかりやすいんだから」
「ぐぐ、このままだと俺に不利な話が続きそうなので、本題プリーズ」
本題を促すとフィオは視線を床へと落とし、少しばかり逡巡した後ゆっくりと口を開いた。
「……僕の気のせいかもしれないけど、ユーヤは故郷に帰ることができないんじゃない、かな」
「え」
不意打ちに、本心が口から漏れ出てしまった。恐らく、顔にも表れてしまっている。
しまった、とすぐに取り繕おうとしたが時すでに遅し。
「すまない。聞かない方が良いと思っていた。思っていたんだが、僕が耐えられなかった」
心配してくれたのだろう。伊達に三か月付き合ってきたわけではない。フィオが好奇心だけで聞いてこない奴なのはわかっている。
さて、どうしたものか。本音を言えば、聞いてほしい。けど、本当の事を話すわけにもいかない……。
「……そうだな。まあ、フィオには世話になってるし、お前には言っておいてもいいかもな」
「良いのかい?」
「詳しいことは話せないけど、それでも良いか?」
フィオが無言でうなずく。
異世界にやってきました、とかは置いておいて、今の状況ぐらいは伝えておこう。
「フィオの想像通り、俺はとある事情で故郷に帰ることが出来ない。まあ、会いたい友達はいても肉親は誰もいないから、そこまで問題はないんだけど。んで、事情については、えっとな、話したい気持ちはあるんだけど、理解してもらうのが難しい話でさ」
「事情については良いよ。ユーヤが話したくなったら教えてくれ。……それより、肉親がいないって」
「物心ついた時にはじいちゃんしかいなくてよ。両親の記憶は全くなくて、親戚とも交友とってないとかで、本当にじいちゃんしかいなかった。また、この唯一の肉親であるじいちゃんが酷くてよ。あっちにフラフラ、こっちにフラフラ、何か起こしては女の尻を追っかけて、酒を飲んでは武勇伝を語り、オブラートに包むって繊細さのかけらもないし、友達と馬鹿やって、俺とも馬鹿やって、お互いにしかってしかりあって、喧嘩して」
「ユーヤに似ているな」
「どこがだよ! 似てない、断じて似てない。認めないぞ! 反面教師にして俺はどこにだしても恥ずかしくない真面目なお堅い人間です」
俺のわかりやすいボケにフィオはツッコミをいれることなく、ただただ優しく微笑んでいる。何だか無性に恥ずかしい。
お前は聖母か。マリアなのか。男のくせに。
「まあ、そんなじいちゃんも死んじまったけどな。こっちに来る少し前に」
頬を伝う水分を見られない様に後ろを向く。水分なんだ、水分ったら水分なんだ。
「ユーヤ……」
「い、いや、本当に水分がな! いきなり水分が体から出ていこうとするから、それを抑えようとすると結果として、な!」
訳の分からない言い訳をしているのはわかっているが、口を開いていないと水分が止めどなく出ていきそうだから仕方がない。
「あー、くそ! くそじじいめ! あんたのせいでお天道様が怒ったのか、俺だけ大雨だよ! 喧嘩を売るのは勝手だけど、孫に残すなっての! …………孫だけ残すなっての」
普段、頭なんて回したくても回らないくせに。なんで、こんな時だけ色々なことを思い出してしまうのだろうか。
こうなったら再び隆司や俊哉の黒歴史を思い出して落ち着くしか――
「ッ!?」
その瞬間、何者かが俺の事を抱きしめた。いや、誰かなんてわかっている。フィオだ。
そこまでガタイが良いわけではないため、小柄かつ細身のフィオが抱きしめようとしたら密着せざるを得ない。
まだ暖かい季節なため二人とも薄着である。後ろから抱きしめられる形だが、良い匂いと柔らかい感触に頭が真っ白になる。
経験などほとんどないので比べることはできないが、まるで女性に抱く感想ではないか。男友達に抱きしめられるとか、普通なら嬉しいどころか気持ち悪いぐらいなのに、心臓がうるさい。
いや、冗談ですまないくらいうるさい。薄々わかっていたけど、俺は受け身に回ると弱いみたいだ。
「フィ、フィオ……」
か細い声で離してくれと訴えるが、力が緩まる気配はない。
既に涙は止まっていた。あ、水分は止まっていた。
「も、もう大丈夫だから……!」
「そ、そうか」
やっとのこさ自由を取り戻す。
振り返ると、フィオも恥ずかしかったのか最初より頬を赤く染め、俯いている。
……可愛い、素直にそう感じた。あまりにシンプルな感想に思考をそらす余裕もなかった。
ギャップ萌えとか高等テクニックを使うのはやめてくださいお願いします。
ああ、男友達に萌えとか何を考えているんだ、俺はッ! このド変体野郎が……。
「え、えっと、その、ありがとう」
「ど、どういたしまして」
どうしていいかわからず、とりあえず礼を言っておく。色々と思うことはあるが、俺の事を想ってくれての行為は嬉しい。
ただ、これからは大胆な行動は控えてほしい。深い意味はないが。嫌なわけではないが、むしろ、嬉し……何でもない。
そういえば、空も俺が落ち込まないように引っ張りまわしてくれてたな。意地を張って、辛いところを見せないようにしていたから気づくのが随分と遅れてしまった。
……せめて、お礼ぐらいは言っておきたかったな。今となっては後の祭りだが。
「そういえば、ソラ君がこちらに来ることはできないのかい。もしかして、会うことも禁じられているとか」
「あー、禁じられているってわけではないけど、会うのは難しいかな。とある事情が関わっててな」
「そうか……」
「へへっ、ありがとうな」
気落ちするフィオにもう一度ありがとうと告げる。
「まあ、なんだ。眼をそらしていたけど、やっぱり心のどこかで寂しかったんだと思う。だから、話せてスッキリしたし、フィオが俺のことを気にかけてくれたことが嬉しい。本当に良い友達を持てて、俺は幸せだ」
「……ふふっ、ユーヤはどこまでもまっすぐだね。ここまでストレートに感謝されるとは思っていなかったよ」
フィオが照れくさそうに笑う。つられて俺も笑みをこぼす。
「あ、でも、抱きしめるのは勘弁してほしい。嫌とかではなくて、その、まあ、うん、ドキドキして心臓に悪い」
「ッ!? ド、ドキドキって、僕は男、だぞ?」
上目遣いで力なく問いかけてくる。
これ以上、自分を騙す自信はないので、はっきりと告げることにした。
「確かに、男友達相手にドキドキするとかない。実際、今まではなかった。だがしかし、フィオは自覚していないかもしれないけど、吸い込まれそうなほど綺麗な瞳をした容姿端麗な中性的美少年! 中性的ってわかるか? 性別を超えた魅力を持ってるんだよ、フィオは! 言わないでおいたけど、女装とかすっっっごく似合いそうだし、きっと可愛いんだろうなって思ってた! そんなお前が湯上りだか恥ずかしいだか知らないけど、顔を赤く染めて、夜中に部屋にやってきたわけだよ!? その時点で結構心拍数が上昇していたのに、一応ばれないようにしていたことがばれて、昔の話をしていたら大雨が発生し、気づいたら後ろから抱きしめられていたんだぜ……。タイミング次第では押し倒してた。うん、今気づいたけど、その可能性もあったな。ごめん、すまない、申し訳ない、心の底からごめんなさい」
おかしい、ここまではっきりと告げる予定はなかったのに。
じいさんに似ている、との言葉が脳裏をかすめる。悲しいことに血は争えないようだ。
「お、おおおお押し押し押し押し!?」
両手で体を抱きしめながら距離を取るフィオ。混乱しているのか目は白黒させる。当然の反応だった。
ちなみに、俺が男友達にこんなことを言われたら、距離を取るだろうし、下手したら友達から知人にランクダウンするかもしれない。
「そ、それそれそれに可愛いって! 可愛いってー! ……バカ! ユーヤのバカ!」
いつものフィオはどこへやら、やたら可愛らしい反応をする。その様子すらも俺の魂にクリティカルダメージを与えてくる。
俺は投擲される枕や教科書をキャッチしつつ、遠い眼で地球を思う。
―—こんな俺を見たら空は何て思うだろう。
脳内の空は笑顔のまま、拳を握るのであった。
………………
…………
……
「……入学試験の時に、僕の魔力はちょっと変わってるって言ったのを覚えてるかい」
「お、おう。覚えてるけど」
「あれは少し違っていてね。変わってるのは魔力じゃなくて、この眼」
そう言って自分の左手で左眼を覆い、右目だけで俺を見つめてくる。
真剣な表情の中に、不安が透けて見えた。何に対してなのかはわからない。
「……生まれつき、この眼には魔力が映るんだ。人それぞれ色があって、漠然とだが人となりもわかる」
凄いことじゃないか。生まれ持った才能ってやつだよな。
言葉にはしなかったが、表情から考えていることがわかったのか、フィオがほっとしたように唇を緩める。
「常識知らずなユーヤは知らないかもしれないけど、魔力を見ることができる眼――魔眼なんて魔族や魔物しか持っていないとされている」
「え、そうなのかよ」
「ふふっ、そうなんだよ。何度も言うけどユーヤは変わっているね。普通、怖がるところだよ」
「なるほどなあ。まあ、フィオはフィオだからな」
「心からそう言ってくれてるのがわかるから、本当に嬉しい」
フィオの眼は嘘かどうかを見抜くこともできるのだろうか。
察しが良いとは常々思っていたが、理由の一つなのかもしれない。
「そこまで喜んでもらえると俺も心から言ったかいがあるもんだ。だけど、他人の魔力がずっと見えているって眼とか疲れないのか?」
「昔はコントロールできなくて疲れることもあったけど、今では見ないようにできるから問題ないかな。そのせいで試練の洞窟の時は不覚を取ったけど」
「あ、部屋にかけられた魔法か」
「封印の氷地獄(コキュートス)は魔力を大量に消費するから、どうしてもその後は……。使えたとしても部屋全体となると把握し辛いんだけどね」
「あの魔法は凄かったからなあ。そりゃ、疲れるって。やっぱり、魔眼って言うだけあって魔力を使ってるんだな」
「どうなんだろう。歴史上でも人間で魔眼を持っている人は少なくて、研究が進んでいないんだ。まあ、僕みたいに隠してた人も多いだろうけど」
「もしかして、フィオがバレないようにしてるのって」
あえて言葉にしなかった続きに対してフィオが肯定する様に首を縦にふる。
「世の中には色々な人がいてね。最悪、研究材料として攫われかねない、と危うんだ父上が配慮してくださったんだ」
「……だから、親父さん俺にあんなこと言ってきたのか」
「父上がユーヤに? 少ししか顔を合わせていないはずだけど」
「二回だけかな。ほら、この間フィオが用事があるって出かけた時があっただろ。あの時に入れ違いで親父さんが来て、フィオの様子について聞かれたんだ」
「なっ!? き、聞いてないぞ!」
「親父さんに内緒にしてくれって言われたからさ」
親父さんとの会話を思い出していると、フィオがますます慌て始める。
「な、内緒って、何を言われたんだ!」
内緒にしてくれと頼まれたのはフィオの普段の様子を俺に聞いてきたことなんだけど、何やら勘違いしているようだ。
それより親父さん、ごめんなさい。口が滑ってしまいました。まあ、善処すると約束しただけなんだけど。
「だから、家とか学園でフィオがどうしてるかって聞かれたんだよ。それと俺との関係もしつこく聞いてきたな」
「ユーヤとの関係!? あ、あくまで、と、とと友達だからな!」
「わ、わかってるわかってる。落ち着け落ち着け、ちゃんとただの友達だって伝えておいたから」
「ただの……」
何故だか、ただのって部分が気に入らなかったのか、すねた眼で見てくる。今日はフィオの珍しい表情をたくさん見た気がする。
しかし、わからん。フィオはどんな関係だと説明してほしかったんだ。親友? でも、自分から友達の親父さんに言うのは気恥ずかしいから勘弁してくれ。
「ま、まあ、俺とフィオは、その、親友と言っても差し支えない領域まで来てるな! うん、俺はフィオを信頼してるし、一番仲が良い友達だと思っているぜ!」
三か月、寝食を共にし、戦いを一緒に乗り越えたのだ。密度が違う。
口にしてみると、親友と言う言葉が驚くほどしっくりときた。
「そ、そうか! ……しかし、ソラ君は良いのか?」
「あー、空ね。空、かあ。空はなあ。そりゃ、幼馴染だし10年近く一緒にいたけど……」
腕を組み、空との思い出を振り返る。
小、中、高と俺の歴史の大半に空がいた。横で笑顔を向けてくれていた。
「……空は、兄妹、かな」
先ほどとは異なり、しっくりこない。しかし、一番妥当なはずだ。
モヤモヤを振り払うように、うんうん、と頷く。
「うん、俺と空は兄妹みたいなものだ。だから、親友の座は遠慮なく受け取ってくれて構わないぞ。ってか、受け取ってくれないと泣く。引くほど泣くからな!」
「ちゃ、ちゃんと受け取るから、ユーヤが泣く必要はないよ」
「それは何よりだ! ……えっと、それで、親友なんてものは意識してなるもんじゃないけど、まあなんだ、よろしく頼む」
フィオを見据え、あの日とは逆に俺から右手を差し出す。
「こちらこそ!」
満面の笑みと共に、差し出した手を握りしめてくれる。
不器用な友人との友情は時に恥ずかしいこともあるが、悪い気はしなかった。
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