その日の夜

 正座は苦手ではない。

 幼少期、悪いことをしたら正座をさせられていたからだ。慣れるぐらいイタズラをしたとも言える。むしろ、肉体の苦痛より精神的苦痛の方がはるかに効く。

 烈火のごとく怒られるとかなら良いのだが、無言で重い雰囲気を醸し出すだけとかは勘弁してほしい。

 冷や汗をかきながら、たまに近くを通るメイドさんの衣擦れの音しか響かないカーティス家の広いリビングで必死に場を好転させうる一手を考えていた。

 さまざまな方法が思い浮かんでは消えていく。確実な一手を見出せない。

 敵は強力だ。安易な手では逆に追い込まれてしまう。

 慎重に、かつ大胆に。一瞬の隙も見逃さないように相手の動きに眼を凝らす。

 余裕からか敵は背もたれに体重を預け、悠然と紅茶を味わっている。

 だが、俺の眼はごまかせない。

 漂う空気とは裏腹に臨戦態勢。指一本でも動かせば、即座にやられるだろう。

 こう着状態と言えば聞えは良いが、俺は獲物で相手は狩人。疲労から集中力が途切れるのを待っているのだ。

 諦めるしかないのか……? あまりの劣勢に心が折れそうになる。

 けど、何もしないで終わるのだけは嫌だ! 可能性を自分から捨てることだけはしたくない!

 俺は、腹の奥から絞り出すように――。


「すんませんでしたーッ!」


 謝罪の言葉を眼前の敵――フィオにぶつけた。

 同時に額を地面に打ち付ける。まさに土下座。土の上ではないけど土下座。


「どうしたんだい?」


 渾身の攻撃をフィオはあっさりと受け流す。分かってはいたが絶望的な戦力の差だ。

 しかも、妙に優しいトーンなのが威圧感を与えてくる。


「何で黙っているんだい? いきなり謝るということは、何かしら謝罪を要する必要があったということなのかな」

「……うっす」


 フィオ・カーティスと付き合うようになってから色々な表情を見てきたけど、ここまでの笑顔は一度たりとも見たことがない。

 普段は見ることができない表情であるため、容姿も相まって破壊力は抜群だ。……もちろん、俺を追い込む的な意味で。


「えー、その、ですねー。この度は、なんと言いましょうか。同意を得ずに事を進めたことを、ですね……」

「手短に」

「勝手にパーティーメンバーを決めてごめんなさい!」


 先ほどの決意むなしく、おろおろと濁して逃げていたが、フィオの一喝にもう一度頭を下げて謝る。

 何度も言うが笑顔なんだ。満面の笑みなんだが、何故かバックに鬼神が浮かんでいた。

 俗に言うオーラってやつ。本能が逆らうなと叫ぶ。


「ああ、そのことか。別に、僕は、全然、気にしていないよ」

「う、うっす」


 嘘つけ! そんな細かく区切って強調しておいて気にしていないわけないだろ!

 もはや全く表情が変わらなさすぎて笑顔のお面でもつけているようだ……。


「全く、僕が全然気にしていないことで悩んでいたなんて、ユーヤも存外繊細なんだね」


 やれやれ、と言わんばかりにため息をつく。

 立場的に弱いから反論はしないが、挑発まじりの発言をしている時点で怒っているのは確実。

 普段は物腰柔らかい美少年なのに、変なところで感情的になるのだから。……まあ、俺が悪いのだが。


「うっす。もっと豪快な男になるでごわす」

「……ユーヤ、謝罪する気あるの?」


 フィオの発言に合わせ、ちょっとふざけてみたら絶対零度の視線が俺を貫く


「あります! 謝罪する気持ちだけなら誰にも負けません!」


 くっ、こうなったら秘儀・ジャンピング土下座を使うしかないのか。

 使用した者の黒歴史になること間違いなしの、あの技を……!


「……これぐらいにしといてあげるか」

「何か言いましたか?」

「いや、何でも。それより、もう怒っていないから気にしないで良いよ」


 や っ ぱ り 怒 っ て い た ん じ ゃ ん!


 というツッコミをしないのが俺の優しさ。許してくれると言っているのに無駄な荒波を立てる必要などない。

 終始顔面にはりついていた笑顔という名の鬼神も普段のそれに戻っているし、本当に怒っていないのだろう。

 そもそも、俺からフィオに決めてくれと言っておきながら無断で決めたのだ。なんだかんだ許してくれたわけだし、やはりフィオは良い奴だ。

 おおっと、ここで調子のると失礼だな。ちゃんと真面目に対応しないと。


「ありがとう! 愛してる! フィオ様最高ー! 結婚してー!」


 まじでごめんな。任せたって言っておいて、勝手にパーティーメンバーを決めちゃって。


「……はあ」


 あれ? 何で、こいつはダメだ、早くなんとかしないと的な眼で見られないといけないんだ?

 しっかり落ちついて返答したよな、俺。

 …………あっ。

 いつの間にか、立ちあがって両手をバンザイの形であげていることに気づく。


「あれか、本音と建前がひっくり返る」


 ピンポンピンポン、と正解の時になる音が脳内に流れた。

 フィオは肯定するように首を縦にふる。


「よし、言い訳をする時間をください」

「……何だい?」

「俺は心の底からフィオを愛してるんだぁぁぁあああッ!!」


 ――パシン!――


 紙が空気を切る音と破裂音が響く。フィオが近くにあったハリセンで俺の頭をたたいた音だ。

 どうにも望むツッコミをもらえないので自作してプレゼントした。

 やはり、呆れた眼で見られるより、こちらの方がやりがいがある。


「全く、君はすぐにふざけるんだから」

「ほら、言い訳が思いつかなかったから勢いでいけるかなーって」

「はあ、君のそのポジティブなところは紛れもない長所なんだけど……」


 おやおや、何で残念そうに見るのかね? もっと褒めてくださいや。

 だが、俺は紳士。自分から褒めてなんて言うわけにはいかない。


「もっと褒めて良いんだぜ?」


 どうやら脳を介する前に脊髄で反応してしまったようだ。

 我ながら欲望に忠実すぎて笑ってしまう。


「…………」

「無言で上段構え!?」


 隙が大きい構えではあるが、攻撃選択権がない相手にはそんな心配はいらない。

 ただ一重に全力で振り下ろせば良いだけ。


「……次ふざけたら、わかってるよね?」

「サーイエッサー!」


 自分自重します! 上官の命令は絶対!


「やれやれ、何で君は真面目に話すことができないんだ?」

「シリアス値が一定を越えると心の均衡を保つためにボケたくなる」


 ふざけるなと言われているので真剣に答える。

 答えたはずなのに、何故かフィオにため息をつかれた。


「人それぞれ価値観がある……。気にしないことにしておくよ」

「お? 良くわからないが、それでオールオッケー!」

「……それで君がパーティーに加えたい、いや加えたのはフィニアン嬢とコーンウェル嬢で良いんだよね」


 あからさまにスルーされようとも俺の鋼の心は少ししか傷つかない。


「ああ、レイナとアイリスとパーティーを組みたい。ダメか?」

「ダメというわけではない。二人とも真面目な生徒らしいしね」


 言っていることとは裏腹にフィオの表情はすぐれない。

 どうやら、何かしら思うところがあるみたいだ。


「何か気になることがあるのか? もしかして……」


 レイナがクラスで浮いていることが理由なのでは……。


「いや、彼女ら自身に問題はない」

「……ってことは家関係か?」


 フィオが躊躇いがちに頷く。

 確かにレイナとアイリスは貴族だ。だが、それを言ったらフィオだって名家なわけで、問題があると思えない。

 そもそも、ローランス学園には程度の差はあれ、権力者の子どもたちが通っている。


「コーンウェル家はあまり問題はない。けれど、フィニアン家は……」

「レイナの家は何かあるのか」


 言いづらそうに口ごもるフィオに先を促す。

 フィオは少し考え込んだ後、呟くように理由を話してくれた。


「カーティス家とフィニアン家は、その、仲が悪いんだ……」

「…………は?」

「だ、だから、カーティス家とフィニアン家は昔からのライバルなんだ」


 そ、それだけ? あの重々しい雰囲気はライバルの一言で済むものだったのかよ……。

 貴族間でのライバル意識は大きなことなのかもしれないが、庶民であるためピンと来ない。


「貴族のライバル関係というのは結構大変なんだよ。僕らは暗殺とかは行わないから良いけど、普通だったら跡取りなんて真っ先に殺されかねない」


 俺の内心に気づいたのか、フィオが慌てて付け加える。

 怖い。暗殺とか日常生活で使われてはならない単語が平然と混ざっているのだから。

 とはいえ――。


「でも、暗殺は行わないんだろ。なら、普通とか関係ないだろ」

「ぬっ!? ……カ、カーティス家は騎士を輩出する家系でね。元々は魔導師を輩出するフィニアン家とは良く戦場でパートナーを務める関係だったんだ」

「へー。それが何でまたライバルもとい仲が悪くなっちゃったんだ?」


 素朴な疑問を投げかけると、フィオは墓穴を掘ったと言わんばかりに固まってしまった。

 不自然な態度といい、フィオからすると恥ずかしい理由なのだろう。証拠に耳が少し赤い。


「ほら、笑わないからさ。言ってみ?」

「……本当だな」

「もち」


 俺の返事にフィオは一度深呼吸をし、少し震える声で話し始めた。


「好きな人をとられたから、だ……」

「え?」

「っ! 好きな人をとられたから! それで仲が悪くなったと言っているんだ!! 何回言わせる気だ!!」


 聞えなかったわけではなかったのだが、そう勘違いしたフィオは半分怒りながら繰り返す。

 ……いやいや、好きな人をとられたって中学生か!? ってか中学生でもあるかよ!

 内容によっては笑ってしまうかもと心配していたが、一周回って全然笑えない。


「何だ! 文句あるのか!」

「ないから文句なんかないから! 落ちつけって!」


 テンションゲージがふりきれてしまったフィオが詰め寄ってくる。

 必死に落ちつかそうとするが、壊れてしまったフィオを止めることができない。


「ああ、わかっている! くだらない逆恨みだって! そんなの僕だってわかっているさ! でも、幼少の頃から負けてはならないって教えられてきたのだから仕方がないだろ!? あとあと理由を知って愕然としたさ! ほら、笑えば良いさ!? 滑稽な僕を笑えば良い!」

「何もわかっていないよな!? 俺の話なんか全然聞いていないじゃん! いいから落ちつけって! 滑稽じゃないし、笑う気もないからさ!」


 顔を真っ赤にして何故か仁王立ちするフィオの細い肩を掴み、座らせる。

 俺みたいなスベり慣れしている奴ならまだしも、フィオのようなタイプが恥ずかしい過去を暴露するのは通常のテンションでは無理なのだろう。


「ほら、水でも飲んで」


 一息つかせるために近くにあった水を手渡す。

 うなだれているフィオは受け取ると一気にそれを飲み干した。


「すまない……。突然取り乱して」

「気にすんなって! 俺なんていつもさっきのフィオ以上に暴れているわけだし!」

「そうだね」

「…………」


 天国の母さん、父さん、じいちゃんへ。

 今日も雄也は強く生きています。泣いたりなんかしません。

 ちょっと鼻水が眼から出そうになるけど。


「ふう……」

「落ちついたか?」

「ああ」


 やっと本調子に戻ったらしく、声に落ち着きが戻った。

 少し疲れ気味だが、いつもの優しげな表情だ。


「そりゃ良かった」

「すまない。この話は僕の……黒歴史という奴だ」

「まあ、そうなるよな」

「幼いころからフィニアン家の子ども、レイナ君に負けるなと鍛えられてきたんだ……。ははっ、その理由が好きな人をとられたからだよ?」


 あの時は祖先を殴り倒したくなったよ、と低い声でボソッと呟く。

 第三者からしたら面白いけど、当事者にはなりたくないな。


「しかも、フィニアン家はそんなこと知らないから、全然ライバル視してないんだ……」

「うわっ、それは辛い……!」


 しかし、フィニアン家からすれば懇意にしていた相手がいきなりライバルっぽくしてきても困惑するだけだろう。


「そもそも、その前から成績などで勝負をしかけても気づいてもらえなかったらしい」

「あっ、そのパターンね……」

「曽祖父の日記によると、周りが勝手にコンビ扱いにしていただけで曽祖父自身はライバルと思っていたらしい」

「好きな人をとられる前と状況が変わっていないじゃん……」

「いや、それまではパートナーとしては及第点をやっても良いと思っていたらしい。けど、好きな人をとられてからは憎しみを覚えたとか」

「あ、ああ」


 …………大丈夫か、カーティス家。

 フィオの親父さんとか一度しかあっていないが、凄くカッコ良かったのに。祖先は残念さが凄い。


「だから復讐するために二人の子どもにお菓子を買い与えたらしい」

「は? お菓子をあげることの何が復讐になるんだ?」

「将来、太って笑われれば良い! と書いてあったよ」

「せこっ!? 復讐とかものものしい言い方しておいて、何だよその小物!」

「しかも、夕食を食べられなくなっては困るので少しだけあげていたらしい」

「意味なくね!? いや、意味ないことはないけどさ!! でも、太らせるのに少しって!」

「結局、息子――僕からしたら祖父と外で走りまわっていたため太らず、更にお菓子をあげていたことで懐かれてしまったらしい」

「ただの良いおじさんじゃん! 友人の子どもに優しくする良いおじさんだよ! しかも、懐かれとるし!」


 何気に子ども同士は仲よさそうだし! そりゃ、ライバル視してくれないわ!


「だから、息子にフィニアン家の子どもには負けるな。常に強くあれ。と教えたらしい」

「はいはい……。それで、オチは?」

「常に強く、守ってやれと騎士の道を進んでいた息子は勘違い。二人は素晴らしいパートナーであると同時に人生のパートナーとなった」

「結婚しているし! フィニアン家の子どもさん女の子だったんだ! ってか子ども同士が結婚ってライバル視されるか!」

「双子らしいよ。もう一人とも仲が良かったみたいだね」


 どう考えたって仲が良いとしか思えない! さらりと親戚になっているし!

 ……ってことは、フィオとレイナも親戚なのか。まあ、どちらも容姿は群を抜いているし、どことなく似ているから驚きはしないけど。


「孫――僕の父はフィニアン家の血のためか少しのんびりしたところがあってね。何とかして焚きつけようとしたらしいけど、気づいたら親友になっていたとか」

「もう諦めろよ、じいさん……。ってか、何か普通だな」

「初孫だったからね。めっ、と怒られて絶望したらしい」

「普通のおじいちゃんだな! もう復讐する気ないだろ!?」


 この流れで良くフィオだけでもレイナをライバル視させることができたな。

 もしかしてフィオと曽祖父は似ているのか? だったら嫌だな……。


「はあ、フィオは逆に良くフィニアン家をライバルと思えたな。じいさん、ひ孫にはしっかり教えられたのか?」

「……あ、ああ」


 俺の何気ない問いにフィオがきょどる。

 冷や汗をかき、視線をうろうろとさせている姿は何かあると言っているようなものだ。


「もしかして、お前がレイナをライバル視しているのは、じいさん関係ないな?」

「ギクッ!」


 ぎくっと自分で言う奴を初めて見た。

 何というか分かりやすい。とことん嘘がつけないタイプだ。


「へいへい、なるほどな。その理由が恥ずかしくて、じいさんを持ち出して誤魔化したのか」

「うぅ……」

「ほら、言ってみ?」


 にやにやと笑いながら追及する。


「……みたい、だから」

「ん? 小さくて聞えないぞー」


 蚊の鳴くような声は俺の耳には届かなかった。

 少し可哀想な気もしたが、それ以上に知的好奇心がわき出てくるので心の中で謝っておく。

 フィオは涙を浮かべながら、うぅーと唸り声をあげる。

 だが、ジェスチャーで促すと背中を向け、ギリギリ届くぐらいの声で――。


「天使、みたいだったから……」

「……ぷっ、あははははっ!」

「なっ!? 何で笑う!」

「だ、だって、て、天使みたいだったからってのが理由って、あははははっ!」


 なんだよ。結局こいつもレイナのことが好きなんじゃないか。


「笑うな! 叩くぞ!」

「うおっ! あぶね! いきなりハリセンを振り下ろすなっつーの!」

「うるさい! おとなしくやられろー!」

「ぬわっ!? 誰がやられてやるか!」


 ハリセン片手に追いかけてくるフィオとの追いかけっこは、互いの体力がつきるまで続けられたのだった。

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