02


 青山霊園は鈍い灯りがポツリポツリとあるばかりで、おおよそ夜の訪問を想定した配慮がされていない空間だった。墓石のせいで物陰が相当数発生していて、その不確かさが薄気味悪さを作っていく。独りだったらこんなところ、絶対に歩いていないだろうなと苦笑も出るくらい、当たり前に怖かった。


「はあぁ? 流星群?」


 カネコが大声を出しても。周りに人っ子一人もいないせいから、注目を集めることもなかった。別のなにかが寄りついてきそうで、やめて欲しいことに変わりはなかったけれど。


「そう、お墓なら明かりも少なくて、よく見えるんじゃないかと思ったのですよ」


 クスノキは我関せずという調子で先頭を歩く。私とカネコは、心なしかいつもより近い距離で歩いていく。うっそうと茂る木々のざわめきも、彼女にとっては歓迎のあいさつに聞こえていることだろう。彼女が見ているのは、自分が興味を持っている満天だけで、地面の下になにが埋まっているかなんて知ったことではないらしい。


「だってそれを言うならさ、私のバイト先なんて死体の山だよ?」


「そりゃそうだけどさ……」


 そういう問題じゃないでしょうとカネコが呆れている。私は双方の気持ちがなんとなく分かりながら、それでもどちらつかずの恐怖と納得を抱えて歩いていく。メインの区道から逸れて、墓石をいくつも横切っていく私たち。クスノキが納得するような暗がりに到着するころには、私とカネコは肩をぴったりとくっつきあっている格好になっていた。


「……花は、私たちになにもできないからね」


「ん?」


「ううん、なんでもない」


 呟いた私に振り向いたクスノキだったけれど、すぐに天上を見上げ始める。カネコは私の肩に手を置いて、不安そうに震えているばかりだった。


 私といえば呆然と、ただ両手に抱えきれない黒空を眺めていた。焦点が合わなくて気持ちが悪かった。風も寒いし、それでいてマフラーの下には冷や汗が溜まっていく。あべこべな身体と世界だった。



 私たちの足元には、おびただしい数の骨が埋まっている。そのどれもが死して動くことが叶わなくなった者たちだ。そんな物質に恐怖を覚えるのであるなら、私たちが取り扱っているドライフラワーからだって、どんなことをされるか分からないと、恐れおののくのが礼儀だった。けれど、私にはそんな感情を抱くことはできない。


 お店の方針上、従業員はみんな花言葉すら知らない程度の知識しか持ち合わせていない。基本的に面接では見た目の良さを見ているらしいという噂がたつくらいの身もふたもない採用基準だ。つまりは、私たちは花についてなにも知らない。花が持っている意味も思いも。だから気味が悪いとすら思えないくらい、ただあの美麗さを侮っていられるのだ。自分の麗しさを盾として。



「あれ? 今流れなかった? ねえ?」


 歓喜の声をあげているクスノキ。暗がりに来た意味があるんだろうかというほど、明るい夜空を滑った流星。私は見逃してしまったけれど、じっと空と睨めっこをしていた彼女には分かったらしい。


「もういいよ……」


 カネコは私に引っついたきり上空なんか見てはいない。ちょっとかわいそうだなと思いながら、見逃してしまった流れ星に口惜しさを感じられないでいられなかった。


「大気圏で燃え尽きたのかな、今の」


「そうだと思うよ」


 私の疑問に答えるクスノキは、依然として夜を見ている。見えていないだけで、続々と降り注いでいるのかもしれない流星を感じながら、私はこの場にふさわしいような気がする話を落としてみる。


「ああやって、降ってくるものに願いを託すんだよね。普通は」


「まあ、そうなんじゃない?」


「あんたには、なんかお願いがあるの?」


「いや、別に?」


 クスノキは、ただ空の動きを捉えたいだけなのだという。彼女らしい。


「ユキシロにはないの? 願い事」


「もう叶っているから、別にいい」


「ほう」


 やっとこちらに向き直ったクスノキ。私はといえば、震えるカネコをなだめながら、昔のことを思い出していた。あの日、姉が死んだとの一報を聞いたときのことを。空を漫然と見上げながら。


 星が滑った。私にも見えた。願いの塊。



 姉とその彼氏は、副都心の街でデートをしていた。今日みたいな冬の日だった。手を繋いで、甘いものを食べて、奇麗な水族館を歩いていた。雑貨屋でマグカップまで買った。ということを聞いたのは、もちろん彼の部屋の中だった。荷物持ちをしていた手が、その重みで痛んでいたときだったと語る彼は、やっぱりまだ悲しそうな眼をしていた。


 私が死んだ姉から奪い取った男。穏やかに、自分が大切にしていたものが壊れる瞬間について語る顔が好きだった。満足していた。姉が彼を連れてきた日から、焦がれ続けていた横顔だ。


 彼にとって、誰かの自殺はただの災厄にすぎなかったのだろう。私にとってはまるで逆の波紋を広げていったのだ。悲劇と喜劇は背中合わせで私たちを見守っているのだ。この世界に確かなことはそうはないだろうけれど、その不確かさだけは信じてみようと思えた。願いなんて叶わなくても、なし崩し的に願い通りになることはあるのだ。


 まるで星が流れるように。



「もうさ~! こういうのやめてよね~!」


 カネコの大声が外苑前駅構内に響きわたる。渋谷方面の電車を待ちにいく私と、反対方向へと階段を降りていこうとする二人。ここがいつもと違う分かれ道になっていく。


「ごめんて~!」


 相乗効果で音量大きく返したクスノキ。私たち三人のことを見合っては、怪訝か無感情を浮かべて通り過ぎていく方々。私たちの視界では案山子も同然の存在たちだ。


「別に何事もなかったし、まあいいんじゃない?」


 私がやれやれと場を取り持たせる。事実、星が何年だか何十年だかに一度流れるさまを見られたのだから、数年後の私たちはきっと、クスノキに感謝しているはずだった。もしくは今日のことなんて、さっぱり忘れ去ってしまうのかもしれないけれど。


「来週ご飯奢んなさいよね」


「え~? それはどうだろうかね~」


 デコボコな二人だ。やっぱり私、この二人が好きかもしれない。


「じゃあね」


「うん」


「また」


 きっと外苑前で私たちが別れることなんて、二度とないのだと思う。こんな寄り道は貴重だ。目的があったのはクスノキだけで、カネコと私にとっては単なる遠回りにすぎなかった時間。だからこそ、もう一度やろうと思っても、同じような貴重さを味わうことはできない。予定調和のなかに咲いた不可解だからこそ、今日の思い出は意味を持つのだから。

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