第4話

表題よし。

本文よし。

署名よし。

添付よし。


送信予定のメールのチェックを行い、送信ボタンを押す。

無事、下書きトレイから送信済みトレイへ移動したのを眺め、ノートPCの電源を落とした。


車載時計を一瞥し、オーディションの終了予定時刻まで15分ほどあることを確認する。


鞄の中の化粧ポーチの中のシガレットケースの中から煙草とライターを取り出し、車を出た。


普通にスーツのポケットに入れていたのでは、煙草を嫌う星見さんに没収される為、仕方なくこんなところに隠している。


ちろりと罪悪感が鎌首をもたげたが、白い紙に包まれたニコチンの誘惑には勝てず、煙草に火を付けた。



ーーーーーーーーーー


これ、もしかしてバレてる?

少し寒いくらい冷房を効かせているのにもかかわらず、汗が一筋頬を伝う。


普段であれば、車のドアを閉めるなり、照りつける太陽かセクハラ審査員のどちらかへの文句を垂れる星見さんが、今日はさっきから黙ったままだ。

かといってスマホを見るでもなく、景色を見るでもなく、腕を組んで運転する私をずっと見つめている。


「星見さん、そんなに見られると照れちゃうんだけど」

出来ているかもわからない笑顔を貼り付け、おどけたように話しかければ、返ってきたのは刺すような沈黙と雄弁な眼差し。


「そ、そうだ。お腹すかない?いつものカフェでお茶しようよ」

もちろん奢りで、と彼女の好きな喫茶店での買収を試みるも、引き結んだ唇に阻まれあえなく撃沈した。

あー、ナンパに失敗した男の子ってこんな気分なのかな。



「…白鐘さん、私嫌だって言いましたよね」

「な、なんのこと?オーディションで嫌なことでもあった?」

本日初の星見さんとの会話。

聞こえてきた声は、外気との温度差で結露するのではないかと思うくらい冷たかった。

それでも、天の岩戸が開いたことにどうしても心が弾んでしまう。

あくまでとぼけることを選択した私に、ぎゅっと眉根が寄せられる。


怒った顔も可愛いね、と言おうかどうか考えている間に


とん、と運転している私の膝に、助手席にすわる星見さんの手が置かれた。


シートベルトをいっぱいに弛ませ、上体ごとこちらへ寄せてきた。

切れ長の猫目が、下から睨めつけるように近づいてくる。


「ちょちょちょちょ、星見さん!?危ない!危ないから!」

慌てて静止を訴えかけるも、星見さんの動きは止まらない。


こんな時に限って、引っ越し屋さんのトラックやら自転車やらで路上に駐車できる場所がない。


慌てる私を値踏みするように、星見さんは、私の首筋で動きを止めた。


近い近いちかいちかい、可愛い、いい匂いする、息遣い聞こえる、体温低い、可愛い、なになになに?


私、今日可愛い下着つけてたっけ。


ぐるぐる、取り留めのない思考で混乱する私をよそに、星見さんはすんすん匂いを嗅ぎ始めた。


ん?嗅ぎ始めた?



「あのう、星見さん」


すんすん


「今日は暑くて、それなりに汗をかいていますので」


すんすんすん


「そう嗅がれると恥ずかしいといいますか」


すんすん、すんすんすんすん


あるポイントで、星見さんが止まる。

あ、まずいと思った時には、彼女のしなやかな指が、スーツの内ポケットから黒い円筒状のものを引き出していた。


何もなかったかのように、いつもの体勢へ戻った星見さんが、口を開く。


「これはなんですか」


「…携帯灰皿です」


「なんで持ってるんですか」


「…吸ったからです」


「なにを」


「…煙草」 


「私、嫌いなんですけど」


「知ってる、私が悪かったの、」


ごめん、と謝罪の言葉を口に出そうとして息が詰まった。


こっそり覗き見たルームミラー越しの星見さんが、怒った顔でも仏頂面でもなく、悲しそうな顔をしていたから。


「なんで嘘ついたんですか、なんで誤魔化したんですか」

少しは信じてたのに、と消え入るような彼女の声を聞いて、鈍器で思い切り殴られたような衝撃を受けた。


何より、過去形で言わせてしまった自分自身に腹がたった。


「停めてください」


「星見さん、話を」

 

「停めて!」


停車しなければこのまま降りる、と言わんばかりの声に慌ててコンビニの駐車場に入った。


「今日はここで降ります。お疲れ様でした」


シートベルトを外しながら、硬い表情で言う星見さんに、何も言えなくなる。

普段のおどけた言葉ならいくらでも出てくるのに、

こんな時に限って、頭の中がかき混ぜられたみたいに廻って何も出てこない。

なにか言わなきゃと思えば思うほど、靄がかかったようにくすんでいって、漸く絞り出した言葉は。


「星見さん、タクシー、領収書きって!」




ーーーーーーーーーー


頭をごんごんと、ハンドルにぶつけた。

私は馬鹿か。

なんだ、領収書って…


星見さんのいなくなった車内。

まだ彼女の低い体温が、仄かな香水の香りが、じくじくと実感を伴った痛みとして私を苛む。

ハンドルにぶつけた頭の痛みの何倍も痛かった。


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白鐘悠は片想う さよなら @sayonara_

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