第3話

「百合営業、しましょう」


時間が止まった。

仕事が終わり、星見さんを家へ送る車の中、いつもと変わらない表情で、挨拶でもするように彼女はそう言った。


何言ってんの!?とか頭大丈夫!?とか、言いたいことは頭の中をぐるぐる駆け回ったが、結局私の口から出たのは、はあ?という情けない声ひとつだった。


それきり、黙ったままの彼女を乗せたまま車を走らせ、家まで送り届ける。

お疲れ様でーす、と車のドアを開けようとする彼女の服を慌てて引っ張って止めた。


「…ちょっと待って。何普通に帰ろうとしてんの」

「お疲れ様でした?」

「言い方の問題じゃないから!」

「じゃあなんなんですか」

「さっきの。あなたのマネージャーとして、説明を要求します」

「説明も何も、言葉通りの意味ですけど」

引っ張られた服が伸びていないか確認しながら、つまらなさそうに星見さんは言う。

私もこういう業界に身を置いている。“百合営業”という言葉自体は知っているし、同じグループ通しでそういったことをしている人たちがいるということも聞いたことがある。

ただ、私と星見さんの関係とその言葉がどうしてもイコールで結びつかなかった。


「…聞きたいことや言いたいことは沢山あります。でも全てにあなたは答えてくれないでしょうから一つだけ」

「なんですか」

「あなたはそんなことをしなくても、これから売れていくと思っています。今はまだ、思うような仕事ができていないかもしれない。ただ、今は奇をてらわず、着実に進んでいくべき時だとおもいます」


確かに、今現在、星見彼方というモデルは無名に近い。

毎日こなしている仕事も、彼女の希望する華やかなモデルの仕事とは乖離しているものが多いだろう。

ただ、彼女の落ち着いた、新雪のようなルックスや、ひとつひとつの仕事に対する真摯な姿勢は、事務所も非常に高く評価している。

彼女のような新人のモデルに、専属のマネージャーを付けていることからも期待の高さがうかがえる。


「これからっていつ?」

そんな私の言葉に、まったく納得していない表情で彼女は言った。


「それは、」

「これから、いつか、今度。それじゃ遅いんです。私は、”今“がいい。今できることは全てしておきたいんです」


じっ、と吸い込まれそうな瞳で私を見つめる。

少し茶色がかった、意志の強そうな目。いつもは顔を合わせようともしないのに、こういうときだけ目を逸らさない。


彼女は自覚している。

 自分の顔がいいのも。

 効果的な角度や視線の向け方も。

 私が、この表情に弱いのも。


結局、目を逸らしたのは私からだった。

溜息をひとつ、了承の意を伝える。

それから、事務所の意向も確認し、いくつかのルールを定めた。

うちの事務所は放任主義なので、一任する、という回答だったけど。


髪留めをしている間は、『彼方』であり、彼女のいう”百合営業”を行うということ。

髪留めを外したら、今まで通りの『星見さん』と『白鐘さん』に戻るということ。

彼女が未成年ということもあり、絶対に一線を越えないということ。


紙面にこそ起こしていないが、この契約は確かに、私たちを縛るロープでもあり、私たちを結ぶ細い糸でもあったのだ。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――

 結果的に言えば、この試みは大成功といっても差し支えない結果となった。

19歳と29歳。禁断の年の差恋愛!?などと雑誌やネットニュースにも取り上げられ、知名度は大きく上がった。

また、最近では私とペアでのバラエティー出演のオファーまでくる始末で、地元の友達からは「悠がテレビでてて笑った」などとからかわれている。


彼方が、年上に焦がれる女の子の役割を演じ、私が余裕のある大人のお姉さんの役割を演じる。

これで上手くいっているし、これからも上手く廻っていくのだ。

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