第2話

枕元においたスマートフォンからけたたましい音量のクラシック音楽がなり響く。

いつもより一時間程早い起床時間に全身が抗議の声を上げている。

もぞもぞと手探りでアラームを止め、カーテンを開いた。

夜の闇が追い出され、ほのかに白んでいる空をみて、誰かさんに白髪が生えたみたいだとくすりと笑った。

何倍にもなって返ってくるのが目に見えているので、本人には何もいえないけれど。


マンションの下にある自動販売機で、缶コーヒーを買う。

ブラックが一本と、カフェオレが一本。

がたんがたんと出てきたコーヒーを鞄に入れ、駐車場へ向かう道すがらスマートフォンを取り出し電話をかける。

たっぷり30秒、無機質なコール音が鳴った後、流れ出した留守番電話のメッセージが途中で途切れた。

「……ふぁい」

「おはよう、星見さん」

「……んう」

「今から向かうので、そろそろ起きて準備して」

「……」

「おーい、寝ないでよ!」

「……」

力尽きたみたいだ。

これは、遅刻かもなと無意識にタイムスケジュールを思い出す。

うん、大丈夫。朝食を車の中で取れば間に合うはずだ。行きつけのカフェのモーニングに行きたがる彼女はご機嫌ななめだろうが。

いまだつながったまま、微かに寝息が聞こえてくるスマートフォン。

    

    『彼方』と呼べば、怒って起きるだろうか

    『好きだよ』といえば、どういう反応をするだろうか


結局、意気地のない私は赤い通話終了ボタンを押すことしかできなかったのだ。


30分ほど車を走らせ、眠そうな顔で家から出てきた彼女を迎え入れる。

慌てて準備したのだろう、寝ぐせで跳ねる髪を撫でつけている彼女に、コンビニで買ったおにぎりとコーヒーを渡した。

案の定、不満げな顔でちら、と私を一瞥したあと大人しく食べ始めた。

この食べ合わせの悪い車内ごはんの原因の大部分が自分にあるのがわかっているからこそ、直接はなにも言ってこない。

沈黙が訪れ、あまり居心地の良いとは言えない車内の雰囲気だった。





  事務所の駐車場に車をとめ、折り畳み式のスタンドミラーを手渡す。

どうも、と不機嫌そうな声色で受け取った星見さんは、ミラーをダッシュボードへ立てた。

毎朝のルーチンとなっているこの作業だが、無愛想ではあるものの、毎回お礼を言ってくれる星見さんに、少し笑みがこぼれる。

鏡越しに見えたのか、一人で笑ってて怖いんですけど、と棘のある口調で独り言ちる。

鏡を見ながら、前髪を直し、メイクを軽く直し、リップを一塗り。

寝起きの不機嫌な女の子から、どんどんモデルの『星見 彼方』へ変わっていく。


私はこれを眺めているこの瞬間が好きで、それ以上に嫌いだ。

おにぎりとコーヒーの組み合わせに文句を言っていた『星見さん』が、みんなの『星見 彼方』へ。

薄い自動車のドアを開けた瞬間から、不機嫌な顔は消え、みんなと同じ笑顔を向けられるのだ。

―最後にかばんから、トレードマークにもなっている流れ星をモチーフにした髪飾りを付けた。

ありがとうございました、行きましょう、とにこやかな笑顔で、スタンドミラーが差し出される。

私は、この笑顔が、嫌いだ。

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