2〉

 思い出すだけで胸が悪くなる。それらを、最初から話すべきか。

俯くシエロに、ノクターンと銀髪の者は、そっと目を見合わせた。眉端を下げたノクターンが、気遣わしげに身を乗り出した。

 気を遣わせてばかりなのが申し訳なく、シエロは膝の上の拳を固めた。

「僕……わ、私は、王都の技芸団の者でした。けど、あの」

 やはり、言えない。まだ、心の整理が出来ていない。肺の奥が締め付けられた。

「無理しないで。ソゥラ様は、別に尋問されているわけじゃないから」

 うろたえるノクターンに、銀髪のソゥラも静かに頷いた。

 しかし、シエロは首を振った。話せるところだけでも話そうと、心を決めた。

「訳あって、あるものを、今度の夏の建国祭までに見つけるよう、国王陛下から命じられて、王都を発ちました。とりあえず竜骨山脈を目指そうと、赤子のときから面倒をみてくれている鳥人のファラと共に山道を辿っていると、山賊に襲われて、逃げているうちに崖を踏み外してしまいました」

「鳥人」

「はい。足手まといなぼ……私がいなければ、おそらく、隙を見て変化(へんげ)し、逃げおおせるかと」

 変化の際に、数秒間無防備にならざるを得ない。それでも、大きな岩陰や太い幹へ身を隠し、僅かな時間、山賊の目をくらませることができれば、小鳥の姿になって飛び立ったファラを追うことは不可能だろう。

「で、僕の名前は?」

 からかうようなノクターンに、シエロは頬を熱くした。公式な場に出る機会もなかったため、物言いに慣れていなかった。

「申し遅れました。シエロです。シエロ・ムジカーノ」

「ムジカーノ」

 ソゥラが口の中で復唱した。ノクターンもまた、一瞬眉を顰めて、ソゥラを仰ぎ見た。

 忍び寄る不安に、シエロの鼓動は速まった。

「ご存知、なんですね」

「操竜の乙女の末裔、ですか。始祖王と共に、このビューゼント王国建国に携わったと伝えられる」

 真紅の目が細められた。奥底に沈んだ暗い色に、シエロの背筋が凍えた。

 身元を隠していたほうが良かっただろうか。王都の通達は、すでに、国の隅々まで広まっているのだろうか。

「あ、あの。一応、僕は、国王陛下の近衛騎士長から直々に、この旅を命じられています。母と、抵抗した技芸団の他のみんなは、城へ連行されてしまいましたが」

 後半は、声が小さくなった。シエロの顔は、だんだん下がっていった。

 温かな手が、頭を撫でた。思わぬことに顔を上げると、ソゥラは、悲しげにシエロを見つめていた。

「とんだ災難に巻き込まれてしまったのですね。ムジカーノの名は、この王国の者なら大抵が知っています。しばらくは、伏せておいたほうが良いでしょう」

 もつれたシエロの黒髪を、手櫛で解いてくれる。

「本来、この辺りに山賊は出没しません。なにか、背後から手を回されたのかもしれません」

 静かな指摘に、シエロは自分の手元を睨んだ。山賊に襲われたのは、逃げるように王都を出て、最初の峠を越えてすぐのところだった。王や近衛騎士の差し金だった可能性は高い。

 歯を食いしばる。視野が暗くなった。胃がせりあがるのを、必死に堪えた。

 薄々は、感じていた。秋には成人する年頃だ。技芸団として王都で生活していれば、国の有様を透かし見るだけの分別がつく。

 現在ビューゼント国王を治める王は、暴君として知られていた。

 彼はこれまでも、周辺の中立国の併合を進めてきた。更に、長年の競合国オーケスティンをも支配しようと息巻いている。そのために、始祖王の伝説に倣い、操竜の乙女を利用して竜神の力を得ようとしていた。もし、集めた女性の中に、操竜の力のない者がいれば、生贄として捧げると豪語していた。

 必要なのは、女性だけだ。男は将来的な禍根を残さないためにも殺す。他の乙女の周囲にいた男性は、みんな、殺されたと聞いた。

 シエロが助かったのは、最も力を期待できる直系の末裔である母を従わせやすくするためだっただろう。

 天幕が襲われたとき、母は、毅然と騎士の前に立ちふさがった。シエロを含む団員の命を助けることを条件に、要請に応じると言い放った。

 しかし、竜の存在すら、伝説のものとなっている時世である。操竜の力を持つ者など、現在の王国に居るのか。

 少なくともシエロは、母から操竜の話を聞いたことがない。母や自分が乙女の血を引いていることすら、技芸団を襲撃した近衛騎士の口から知らされたぐらいだ。

 母と団員に縄をかける時の、騎士長のあの厭らしい笑い顔は、思い出すだけでも反吐が出る。庶民との約束など、簡単に反故する悪者の顔だ。みんなを助けたければ、お前は竜を探して来い、そうでなければ、この場で斬り捨てる、と。

 高飛車に命じた声が耳の奥に蘇り、シエロは両耳を塞いだ。

 産まれた時から共に過ごしてきた家族ともいえる技芸団員と母を人質にとられ、シエロにできることは、言われるままに旅立つことだけだった。荒らされた天幕から、団の貯えを見つけ、路銀として借りた。母が愛用していた笛を拾い、竪琴と一緒に荷物へ入れた。

 忙しい母に代わって赤子の時から面倒を見てくれていたファラは、外出中だった。戻ってきたファラに事情を話すと、即座に、ついていくと言ってくれた。はぐれたファラと、また、逢えるだろうか。

 頭に載せられた手が、ポンポンと優しく動いた。こみ上げた怒りと絶望が、雪のように溶けていった。ソゥラが囁く。

「何があったのか、辛ければ言わなくてもいいのですよ。今は、身体と心を癒すのが先決です。ここなら、王の手は届きません。安心して、ゆっくりお休みなさい」

 涙が滲んだ。彼らに対して聞きたいこともあったが、それよりも、掌の温もりが心地よく、肉体的な痛みも辛さも忘れてしまえた。

 シエロは、囁きに誘われるように目を閉じた。耳をすませると、川のせせらぎが聞こえる。王都の喧騒になれた耳に、静けさが心地よい。薪が爆ぜる音、そして。

 突然、賑やかな足音が天幕に駆け込んだ。

「ねぇ、おなかすいた!」

「支度出来てるよ。早く食べようよ!」

 七、八歳だろうか。子どもがふたり、元気よく叫んだ。

 ノクターンが乾いた苦笑を漏らす。

「リズ、ディーヌ。静かに、って言ったじゃないか」

「でも、ソゥラ様もおなかすいてたはず」

「魚、冷めちゃうと美味しくない」

「あ、お客様も起きたんだね」

「一緒に食べよっ」

 どちらがリズで、どちらがディーヌなのか。少女と思しきふたりは、よく似ていた。

 片方ずつ手を引かれ、シエロもうろたえながら立ち上がった。元気のよいふたりについていけず、立ちくらみを起こしてふらついた。ノクターンが後ろから支えてくれなければ、ふたりを巻き込んで転倒するところだった。

「ほら。まだ具合が良くないのだから」

「じゃ、ノクターン先生、お願いします」

「ソゥラ様、行こ」

 待ちきれないように、ソゥラの手を引くリズとディーヌの笑顔が弾けた。

 無垢な明るさに、シエロはほんのひと時、安らかな気持ちになれた。

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