翌朝には、地郷公安本部の事務室全体に、東守口支部が襲撃された話が広がっていた。

 動機は何か。何故襲撃を許す事態になったのか。死傷者は。

 研修生のような末端人員に、正確な情報は下りてこなかった。不穏な憶測だけが、尾ひれ背びれを纏って飛び交った。任されている書類の書き写し作業も進まない。監督指導にあたる若い捜査官も、普段なら厳しく叱責するが、今日はそれどころではない様子だ。

「どうだったんだ」

 隣の研修生が、首を伸ばし、小声で訊いた。が、マサキも、曖昧に首を傾げるしかなかった。

 東守口町を夕暮れ直後に出て、可能な限り走って地聖町の本部庁舎へたどり着いたのは、あれから二刻の後だった。

 直属の上司は、すでに官舎へ帰宅していた。迷ったが、顔も知らない夜番の人員にうまく説明できる自信がなく、官舎の扉を叩いた。

 マサキの見たままの報告を聞いた上司は、顔色を変えた。役人が危惧したように、東守口支部からは、不審者侵入の連絡の後、通信が途絶えていたらしい。ウマを使って、確認に走った部員も、まだ戻ってきていなかった。

 マサキが知っているのも、そこまでだ。捜査の結果、どうだったのか。昨日、親切に応対してくれた支部員は、無事なのか。なに一つ分からないまま、書き損じばかり増えていく。訂正用の紙を小さく切って、ずれないよう、息を詰めて貼る作業が続き、肩が凝った。

 詳細が不明なまま、日が過ぎた。一方で、本部の管轄でも、中央研究所の若い研究員が殺害されたり、銃器を扱う商人の屋敷へ強盗が入るなど、比較的大きな事件が起きた。研修生の関心はその都度移ろい、東守口支部襲撃事件については、早くも忘れられかけていた。

 研修生が襲撃事件を思い出したのは、事件から十日ばかり経った夕刻だった。

「マサキ研修部員」

 突如呼ばれ、マサキは跳びはねた。たいした大声ではなかったが、静まり返った事務室に大きく響いた。

「は、はい」

 大きく震えた手の巻き添えを食らったインク壷が揺らぎ、慌てて押さえた。跳ねた一滴が袖口にかかった。白い生地へ、じわりと黒点が広がった。

 好奇心に満ちた視線を浴び、あちこちの椅子や机にぶつかりながら入り口へ急いだ。

 厳めしく手招きをする男性の肩章には、金糸で線が一本刺繍されていた。末端とはいえ、本部のみで勤務する幹部員だ。地聖町出身で、親が地郷公安部員であったり、豪商、役人といったそれなりの身分の者でなければなれない階級だ。

 緊張が高まり、歩く姿もぎこちなくなった。しかも、連れていかれたのは、普段立ち入りを禁じられている幹部棟だ。磨かれた石の、平らな床で躓いて、幹部員に鼻で笑われた。

 行先は、幹部執務室だった。地郷では貴重な硝子が嵌められた小さな窓が、壁に一つ。斜めに射し込んだ冬の光に半分照らされた席には、柔和な顔の男が座っていた。入部試験で、一度見たことのある顔だ。たしか、と相手が地郷公安部副本部長のひとりであることを思い出し、背筋が固まった。

 副本部長の脇には、見るからに屈強な幹部員が仁王立ちしていた。彼らと机を挟み、背の高い若者が、マサキ同様、幹部の末端部員に付き添われて立っていた。

 若者が、横に並ばされたマサキを一瞥し、おや、というふうに片方の眉を上げた。マサキもまた、その横顔に見覚えがあった。ふた月ばかり前、研修生対象に行われた実戦訓練で、かなりいい動きをしていた人だ。

「マサキ研修部員、コウ研修部員」

 暗がりの席から、太い声で呼ばれた。二人は背筋を伸ばし、返答した。

「二人を、東守口支部射撃手として任命する」

「はい」

 コウと呼ばれた長身の研修部員はキレの良い返答をした。が、マサキは戸惑い、口ごもった。屈強な幹部員に、ギロリと睨まれた。

「どうした」

「あ、いえ。異存はありません。が」

 しどろもどろに視線を彷徨わせた。戸惑いがあふれ、適切な質問ができない。察してもらえたのか、屈強な男は太い息を吐いた。

「貴様らも知っているだろうが、十日前の夕方、東守口支部が管轄の浅肥丘村の農民らの襲撃を受けた。庁舎は半壊。射撃手一名が殉職、班長、射撃手各一名ずつが業務に支障のでる重傷。軽傷者は十名を超えると聞いた」

 ようやく知った被害状況に、唇を噛んだ。あの日、明るく、親切に応対してくれた支部の人々の直前の様子を目にしただけに、暗転した彼らの人生を思うと、胸が締め付けられた。悲痛な表情になっていたのだろう。男も表情を曇らせ、頷いた。

「欠員補充のため、本配属には早いが、二人を射撃手に任命する。就任日は、来月一日だ」

 六日後だ。いきなりの辞令に、身が引き締まった。

 しかも、これは大抜擢ではないだろうか。

 幹部棟を出て、密かに満面の笑みで拳を固める一歩後ろで、コウが溜息をついた。

「捨て駒、ってことか」

 聞き返すマサキに、コウは辺りを軽く見回した。誰も聞く人が居ないと確認し、声を潜めた。

「噂じゃ、再襲撃の予告もあった、てことだし、普通、即戦力にならない新人を一つの支部にまとめないだろ。それに、実戦訓練のとき聞いたけど、まーくんって首席合格だけど、村出身なんだろ?」

 それもそうかと、興奮は一気に凍りついた。

 各支部に、射撃手は三名。三交代制で業務にあたる。今回のような大規模な事件が起きれば、各町の中心に建てられた時計塔から通信機を通して警報が発せられ、非番の部員が招集されるが、実質、一人で対応しなくてはならない。大役故に抜擢の可能性もあるが、他支部の中堅射撃手を配備したほうが、支部も安泰であろう。右も左も分からない新人が配属されるとなれば、コウの言う通り、事態が落ち着くまでは、殉職しても組織の痛手にならない新人で頭数だけ揃えておこう、という魂胆なのかもしれない。

 それに加え、裕福な地聖町出身の幹部は、あからさまに他地域出身の部員を侮蔑する空気があった。

 マサキが生まれ育ったのは、実質廃村となった時埜(ときの)村だった。かつては鉱山の村として賑わっていたが、現在残る住民はマサキの両親のみである。山の斜面にへばりついた僅かな土地を耕し、ヤギを飼い、薬草を採取して税を納める。厳しい生活の合間で、本来なら勉強をする余裕など無い。が、酔狂な両親は、地郷公安部員になりたいと言い張る息子を学ばせてくれた。他言を禁じられているが、勉強のできる環境もあった。

 その甲斐あって、成人して受験資格ができた直後の、一回目の受験で合格した。しかも、首席である。幹部候補生であっても、大半が複数回受験したうえでの入部だ。本人は持ち前の、脇目も振らぬ真面目さから周囲を見ていなかったが、廃村出身の神童として、広く地郷公安部内に知られているようだった。

 幹部員に、悪い意味でも目をつけられていても、おかしくない状況であることに、いまさらながら気が付かされた。

「ま、でも雑用処理にも飽きたし。よろしくな、まーくん」

「あ、ああ」

 ぼんやりと、差し出された手を握った。廊下の角で別れてから、ようやく、いきなりなれなれしく呼ばれたことに気が付いた。

(まあ、悪い奴じゃなさそうだけど)

 捨て駒。

 コウが口にした言葉が、重苦しく目の前に立ちはだかった。

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