製本作品の頭コーナー

かみたか さち

いつか、咲きほこる花の下

 空を赤く染めているのは、夕焼けではない。炎だ。

 燃え盛る炎が、手前に連なる民家の板葺き屋根をくっきりとした黒い影に、空を不気味な血の色に、染め分けていた。

 マサキは、駆けつけた勢いで、見物に集まった酔狂な人々を掻き分けた。最前に出たが、棍棒を持った役人に止められた。これ以上近づくことは許されない。あがった息もそのままに、呆然と立ち尽くした。つい半刻ばかり前、後にした地郷ちさと公安部東守口支部の庁舎が燃えている。

「この先は危険だ」

 短く堅い髪に、少し上向いた鼻のマサキを睨み下ろし、役人は彼をただの成人直後の町人と誤認したのだろう。視線を更に下ろし、地郷公安部の白い制服を認めると、怯えたように目をむき、頬を強張らせた。マサキの肩章は、黒地に銀糸の刺繍が一線しか入ってない。肩から斜めに提げ下ろした配送用の鞄と共に、まだ何の権威も無い、お使いの研修生を表していたが、役人は態度を改めた。

「通られますか」

「なにが、起きているんですか」

 首を横に振り、噛み付くように問うマサキに、役人は渋い顔で首を傾げた。

「分かりません。が、浅肥丘あさひおか村の連中が何人か捕まったようです」

「浅肥丘の?」

 東守口の管轄だ。

 マサキは、通りの先で立ち上る黒煙を見上げた。さっきから爆発音と銃声が聞こえている。怒声と悲鳴がそれに重なる。

 支部とはいえ、地郷公安部は、ミカドの下で地郷の治安維持に務める機関だ。部員は、日頃から訓練を積み重ねている。対する村は、どこも貧しく、経済的にも体力的にも生きるのに精一杯だ。町へ下りてくる者も少ない。

 マサキも農村の出身だが、地郷公安部には、憧れを抱きこそすれ、反感や恨みを抱いたことは皆無だ。そもそも、農民同士の諍いは、代表者と呼ばれる、農民の中で最も頼れる者により仲裁されるのが習わしで、地郷公安部がわざわざ農村に出向く用も少ない。接点が少ないのだから、抱く感情も薄いのが普通だ。

 固いものへ亀裂が入る、乾いた音がした。びくりと顔を上げれば、庁舎の一階の窓硝子が、粉々にはじけ飛んだ。最も燃焼が激しいのは、支部員が詰めていた事務室のようだった。

 別の恐ろしさが、マサキの背筋を冷やした。

 地郷の首都・地聖ちせい町にある地郷公安本部で研修中のマサキが、上司に命じられ、徒歩で二刻半かけて書類の受け渡しに訪れたのが、一刻前のことだった。もう、陽も傾き始めていた。

 本部へ持ち帰らなければならない支部側の書類が、まだ出来上がっていなかった。書類が整うまで、半刻ほどを、マサキは現在燃え盛っている事務室で過ごしていた。その間に、支部捜査官から食事にも誘われた。

 ひと月後には、研修期間が終わり、正式に各部署へ配属される予定だ。配属される先が東守口である可能性も大いにあった。人脈を作っておいて損はない。上司からは、直帰許可も下りていた。昼番と夜番の交代時間までわずかな時を待ち、誘いに乗ることも考えた。むしろ、何もなければ誘いを受けていただろう。

 しかし、マサキは断った。

 白い制服の胸元を握った。内ポケットで、紙が音をたてた。今朝、官舎の扉下に差し込まれていた、幼馴染みからの手紙だ。

『近いうちに、お使いに出されることもあるかもね。もしお使い先で食事に誘われても、すぐ帰らなきゃだめだよ?』

 行方をくらました自分の近況は全く書かないくせに、差出人であるサクラは、研修部員として奮闘するマサキを労う言葉の最後に、そう記していた。

 出勤準備をしながら読んだときには、全く意味の分からない文面だった。

 もし、誘いを断らなかったら。

 まさか、とは思う。だが、同時に、思い出していた。幼いサクラの、怯えた声が耳の奥に蘇った。

『夢を見るんだ。人が死ぬ夢。どうして? 家系を遡れる限り、地球人種しかいないのに、どうしてテゥアータ人みたいな力があるの?』

 彼女には、不思議な力があった。

 夢で、身近な人の死を予知する力。病気などで徐々に弱っていく、予想のつく死ではない。いずれも、事故や心臓発作といった、突発的なものばかりだった。夢を見た数日以内に、夢で見たとおりの死が訪れる。

 マサキたちの祖先と、この星の大部分を統治するテゥアータ人との出会いは、約六百年前に遡る。長い宇宙の旅を終えて「帰還」した地球人の末裔は、変わり果てた母星に、容姿は似ているが髪と瞳の色が異なる人類の存在を認めて驚愕したと伝わっている。しかも、彼らは、不思議な力を持っていた。指先の動き一つで建物を破壊する、目に見えない力を発する、人の考えていることを知る。どのような仕組みで力が発せられるのか、地球人種の高度な科学力をもってしても、いまだに解明されていない。

 そのような力を持つテゥアータの民なら、未来を予知することも可能かもしれない。

 しかし、サクラは地球人種だ。栗色の髪に、茶色の瞳。地球人種の典型ともいえる色をしている。血筋も、宇宙船で保管されていた冷凍遺伝子から生み出された、初期の地球人種まで遡ることだってできると、聞いたことがあった。

 悲鳴が響いた。

 我に返り、顔を上げた。庁舎の屋根の一部が傾いだ。そのまま、音をたてて崩壊する。火の粉が舞い、マサキたちの足元まで灰が飛んできた。

 役人の顔が歪んだ。マサキの肩から提げた配送袋の文字を読み取り、決意したように頭を下げた。

「本部に戻られるんですよね? この様子では、支部の通信機が使えたかどうか怪しいものです。本部へ、この事態を知らせてもらえませんか」

 今、自分は、地郷公安部の端くれなのだ。幼い時からの夢を叶え、この白い制服に身を包んでいる。詳細は分からずとも、とにかく目にしたことだけは、本部に伝えなくてはならなかった。

 唇を引き締めた。背筋を伸ばし、敬礼をする。

「了解致しました。お気を付けて」

 付け加えた言葉に、役人は一瞬、意外そうに目を見開いた。が、頬を緩めた。軽く手を挙げる姿が、背後に上がった火柱の逆光を受けて影になった。

 踵を返すと、人垣の合間を頭を下げながら通してもらい、街道を走った。ブーツの底が、土を固めた道路を踏みしめる。

 初代ミカドが立ち、地球人種の自治区地郷がテゥアータ国王に認められて五百年を迎えた冬。

 このときまだ、両者の間柄は、比較的友好であった。



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