そして早々の三竦み、夏休みくらい誰も邪魔しないで…
夏季長期休暇中、月詠学園。風紀委員会室。
「フゥ太も、食べる?」
「俺はいいよ……桔梗が、食べな?」
「うん、ありがと」
「二人共……あぁ、もう。いくら注意しても無駄な気がしてきました」
「無駄だよ、恋城寺。そいつらにくっ付くな、なんて、磁石に言うようなもんだ」
「ま、無理だよなぁ」
椅子に座る楓太の膝の上に座り、クリームパンを頬張る桔梗。
時折顔色を窺って見上げる桔梗の口元にクリームが付いていると、楓太が顎を持ち上げて頬に吸い付いて、照れた桔梗が一生懸命にお返しのキスを頬にする光景がずっと繰り返されている。
今日はまだ夏休みの最中だが、風紀委員の集まりで学校に来ていた。
風紀委員の先輩や同級生らは、夏休みに入ってもやっぱり変わっていなかった二人のイチャイチャ具合に安堵しつつも、更に強く結ばれている気がして呆れていた。
「おはようございます、皆さん」
「十六夜委員長! おはようございます!」
「おはようございます、委員長。資料はこちらに用意してあります」
「
(あれ、今のイタリア語……)
桔梗が話せる十三の言語の中に、イタリア語は含まれていなかったはずだ。
また新しく習得し始めたのだろうか。だがまだ、ネパール語とポーランド語は齧った程度で、習得したとは言えないレベルだと自分で言っていた気がする。
勝手ながら、十六夜蓮華という人間は何事も中途半端で終わらせるタイプでもなければ、半端な状態のままあれこれと次の事に手を出すような性格にも感じられなかったから、今の段階でイタリア語にまで手を出しているのは不思議に感じられたのだった。
ただ、そう思ったのは父の影響で外国語を簡単に聞いて馴染んでいた楓太だけで、他の皆は翻訳機から聞こえる翻訳文に意識が向いていたから、まるで気付いていないようだった。
「では、皆様。今日は二学期始業前に行なわれる、新入生説明会に付きまして……」
愛美の進行で、今回集まった目的である新入生説明会に関する説明が始まった。
毎年凄まじい倍率を誇る月詠学園の新入生説明会は、夏季と冬季の長期休暇中に二回ずつ行なわれるのだが、喧嘩っ早かったり自分の実力に自信があったり、そんな――いわゆる個性的問題児達が集まって来るから、毎度騒動が起こるのだ。
だから風紀委員は、その度に騒動を治めるのが仕事となっている。
なので説明会が近付くと、風紀委員は毎度集まるのだが、どうも今回は態勢を変えるらしい。
「綾辻くんと黒園さんの二人には、委員長と共に待機していて下さい。お二人の存在はすでに世間にも知れ渡っているでしょうが、黒髪は見世物ではありません。なので、現場の混乱を避けるためにも極力表に出るのを控えていて欲しいんです」
「だけど大きな揉め事や騒動があった時のために、と言う事ですね」
「その通りです。来年度の入学生の中にも、黒髪の人がいる可能性もゼロではないですし、そうでなくとも能力主義者の生徒がゴロゴロと集まって来るので、戦域の展開など日常茶飯事。戦域すら展開されない喧嘩や、命に係わる戦いが繰り広げられる事もあります。お二人には、そう言った時の抑止力として動いて欲しいのです」
「ま、だから待機してる時はイチャイチャしてていいけれど、外に出た時には控えてくれって意味でもある。一応、二人は風紀委員何だからな。新入生の前でくらい、威厳のある姿を見せてくれってこった」
桔梗は不服そうだったが、同じ役員の先輩らに迷惑を掛けても申し訳ないからと一応は納得しようと頑張って、でもやっぱり了承し難くて、ゆっくりと楓太を見上げる。
楓太は微笑を返し、頭を撫でながら無言で皆への協力を促して、帰りにまたクリームパンを買う約束を勝手にした。
「では二人には、当日トランシーバーを支給します。何かあった場合には呼ぶので、よろしくお願いしますね」
「わかりました」
「では、後は私達他の面々で当日の配置を確認して……」
何やら、外が騒がしい。
未だ長期休暇中の学内には、学園では数少ない運動系の部活をしている生徒が数人いるだけで、教職員もほとんどいないはず。
少なくとも、騒ぎの要因になるような人物が来るはずはないと思っていたのだが。
「十六夜先輩。ちょっと様子を見に行ってきますね」
「
そう言って三人の役員が出ていくのを送ったものの、蓮華は普段ゆっくりと楽しむ紅茶を一息で飲み干す。
少々咽ながらも飲み込んだ様子から、楓太は何かただ事ではない気配を感じ取った。
「綾辻くん、黒園さん。
「……わかりました」
「フゥ太」
「うん」
クリームパンを頬に詰め込んだ桔梗から、今までの甘い雰囲気は一切消えた。
外から発せられた気配が、自分達へと向けられている事に彼女も気付いたらしい。普段は楓太の方が先に気付くのだが、今回はほぼ同時だった。
蓮華がティーカップを置いたのも同じ理由。
向こうはどうも、こちらに三人の黒髪がいることも居場所も全て把握したうえで誘っているようだ。
そんな事をして来るのは、余程の自信家か、それとも――
* * * * *
「
月詠学園正門。
ロシアの黒髪エラスト・セルギィと、マリア、アナスタシアのルシフェラ姉妹は、風紀委員の召集を受けて学園に来ていた同じロシアのルフィナに立ちはだかられ、止められていた。
太ももに差した試験管に手を伸ばし、ルフィナはいつでも応戦出来るぞと威嚇するが、エラストにそんなのが通用しない事は、ルフィナが一番知っていた。
が、せめてもの抵抗と時間稼ぎに徹する。楓太と桔梗、そして蓮華なら、エラスト相手でも勝機があると信じているが故の判断である。
無論、ルフィナと日本の黒髪の交流など知らないエラストは、彼女が身を挺すような形になってまで自分達の前に立ちはだかり、威嚇している理由が理解出来ず、失笑していた。
「
形勢は圧倒的不利。
ルシフェラ姉妹はロシアの修道女学院出身だが、そこでもツートップを誇っていた実力者。
しかもエラストは黒髪の能力者だ。他と違って能力の詳細を知っているので、黒髪のアドバンテージは無くなっているけれど、それでも勝機はまるでない。
だから本当に、せめてもの時間稼ぎが出来れば上場、と思っていたのに――
「ルフィナ!」
颯爽と、開いた窓から飛び降りて来る影。
自分の名前を呼んでくれる少女と、その子を抱きかかえて飛び降りて来る青年の姿を見たルフィナの頬が、思わず緩んだ。
「フータ、キキョー……」
「
楓太と桔梗の登場で、ルシフェラ姉妹にも緊張が走る。
エラストの実力は知っているものの、相手は二人。しかも桔梗の方に至っては、敵を圧倒した怪物を見ている事もあって、迂闊に動けなかった。
召喚の条件がわからないので、反撃が怖かったのだ。
そして楓太と桔梗も、迂闊に動けない事は同じだった。
ルシフェラ姉妹もそうだが、何より二人はエラストの能力を知らないため、軽率な動きを取れば一瞬で絡め取られる危険を孕んでいたからだ。
だからこの場で一番のメリットを持っているのはエラストであり、一番優勢なのもエラストであった。
が、それは一時的なものであった。
この場に十六夜蓮華が現れれば、ロシア語を操れる彼女の能力を駆使して状況を変える事は出来るだろうが、今この瞬間に現れたのは蓮華ではなかった。
突如として吹き荒れる漆黒の灰、烏の羽が舞い散る中、先の楓太のように人一人を抱きかかえた青年が、日本、ロシア両者の間に割って飛び込んで来たのである。
「ヘイ!
「
背中から生えた烏の翼。
赫然と妖しく輝ける双眸に色白の肌。
小説の中にでも出てきそうな姿の彼の腕には、可愛らしくちょっとセクシャルなイラストが描かれた紙袋がこれでもかとばかりに掛かっていた。
「さぁ、全員まとめて掛かって来い!」
悲しいかな、彼の性格も腕に掛かっている物も、色々含めて、ちょっと残念な気がしてならなかった。
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