黒髪少女は女神になんてなれないまま生きる

 某月某日に発行された日本の全新聞で、当事件は最初の大見出しに使われた。


 幼稚園児職員による、幼稚園男児性暴力未遂事件。

 ただしこの事件の被害者は男児ではなく、彼を襲おうとした職員の方。


 とある男児に対して性的暴行を働こうとした男性職員が、偶然その場を通りすがった幼女によって、超が付くほどの重傷を負わされたのだ。


 怪我の具合は重傷としか書かれなかったが、両腕は完治不可の粉砕骨折。

 肺の片方と胃の三分の二を摘出せねばならず、心臓は人工のそれに取り替えられ、下半身不随により、一生車椅子での生活を強いられる事となった。


 無論、それをやった少女の名前、顔を含めた素性の一切も隠匿されたものの、野次馬根性の強い何者かによる執拗な捜査によって、少女の素性はネット社会の中に曝け出された。


 少女の名は、黒園桔梗。


 当時の彼女はまだ四歳。

 四歳でありながら、大の大人の一生を奪う程の事を成した彼女を、世間は化け物として認識し、扱い、罵り、遠ざけた。

 男の子の悲鳴を聞きつけ、自分に向かって来た大人を返り討ちにした、正当防衛であるにも関わらず、未だ加減を知らない幼さ故の事故だったにも関わらず、彼女の持つ力に人々は怯えた。


 それからおよそ十二年が経った今、事件の記憶を持つ者はほとんどいない。

 野次馬の出した根性を遥かに超える情報操作と口封じ。及び記憶と記録の隠匿によって、彼女が事件に関わった事実は、更に闇の奥底へと戻されていったのだ。


 しかし、事実は事実。

 彼女が犯した罪。それを起こすに至った彼女の力、強さは、紛れもない本物だ。

 それこそ十二年もの月日が経った今現在、彼女が当時の力を使用した時に、どのような被害が齎されるのか。もはや、人々の想像を遥か絶するだろう事だけが、確実な事である。


  *  *  *  *  *


いくさ女神めがみ……女神Dea、だと……?」


 過剰に興奮し、息を乱す自身の顔を覆う。

 指と指の隙間から桔梗の存在を認識しつつ、女神と宣ったその姿を見て、一瞬でも主に近しき化身と考えた己を律して、否定するための根拠を探した。


 一に、まず彼女は人間である。

 二に、彼女は人から生まれた者である。

 三に、彼女は異能を使っているだけである。

 最後に――神は、自ら神と名乗れども、下界に在る者への制裁だけは下さない。


 以上四つの点から、エヴァンジェリスタは黒園桔梗が神でないと再確認し、落ち着きを取り戻した。


「おイタが過ぎるなぁお嬢ちゃん。例え主が如き御業を有していようとも、人が主を名乗り、制裁を加える事は傲慢が故の罪だ。代行者として制裁を加える権利は、長きに亘って主に祈りを捧げ、主のご加護を受けるに値すると判断された者にのみ、許される」

「主も神も、この世には存在しない。ただ自然の力に勝手に人格を与えて作った、人間達の妄想。妄想を具現にするのが神と呼ばれるなら、私もあなたも、能力者のすべては神の子。制裁も、救済も、生殺与奪の全てが私達の身勝手。慈悲も慈愛も自傷も自殺も、すべて、神の齎す自己満足……!」


「だって人は、正義を振りかざして、他人ひとを罰する自分が好きだから」


 数えるのは一秒と掛からず諦めた。

 虚空より生み出された剣、剣、剣――おびただしいなんて言葉ですら生易しく聞こえる厖大な数の剣が降り注ぎ、戦域全体を鉄のにわか雨が襲う。


 エヴァンジェリスタの鉄の女神は彼を抱き締めるように守っていたが、暗黒物質ダークマターとて決して万能ではなく、劣化もあれば限界もある。

 数秒間に百の鉄塊をぶつけられれば、亀裂が生じるのは当然。仕方のない事だ。


主の加護をAmen――!!!」


 なので自ら女神の防御を解き、剣の雨を掻い潜りながら、自身の剣を投擲する。

 が、数えるのも億劫になるほど厖大な数の剣が降り注いでいるのに、数本投げた程度で当たるはずもなく、弾かれる。

 しかも弾かれた剣までもが自分に刃を向けて降り注いで来るのだから、攻撃のしようがない。

 敵は空中。剣の量と降らせられる時間に限界はあろうが、そのまえに確実にこちらがやられる。


 と、あれこれ考えていたエヴァンジェリスタの見上げる空に、また何かが現れる。


 それは、戦車だった。

 戦車と言っても、いわゆる近代兵器の砲口のついた巨大鉄塊ではない。

 古代エジプトの文明兵器。獣に引かせて走る二輪の兵器。

 しかし天より降りて来たそれは豪奢な装飾が施された鈍重な外観をしており、更にそれを引く二頭の獣は、存在の確認がもはや皆無の絶滅されたと噂される巨大な獅子。ローマの剣闘士とも戦ったとされる体長四メートルのアトラスライオン。


 

 黒髪の女神は剣を収め、飛び乗った戦車の手綱を握る。

 二頭の獅子は咆哮し、青白い雷電を奔らせた。剣で彩られた鋼の戦域目掛けて、軍神でも乗せたような神々しき戦車が降りて来る。


「神……?」

「侮辱しないで。私は神様なんて傍観者じゃない。そう、愛する彼の窮地には必ず手を差し伸べる……そう、妻よ」


 妻は妻でも、稲妻を纏って風を切る。

 戦車に搭載された双翼は、先に降ったのと同じ鋼鉄の剣。

 四メートル級の獅子が牙を剥き、刃の如き爪を突き立てながら、大地を駆ける。

 雷と熱と車輪と獅子とが轟き響いて、十字を切る聖職者へと突貫する。


「アーメン」


 信仰など皆無。

 信心はあれど、存在せぬ主に捧げるだけの分はない。

 信じる人は家族だけ。愛する人は一人だけ。捧げる心は、全て、彼の物。

 彼のために捧げた愛こそ、黒園桔梗の今の力。


 故に、敗北はない。


「……しつこい」


 風と雷。剣と牙。

 鈍重かつ鋭利な突進が、エヴァンジェリスタを襲った。


 が、彼は未だ立っていた。

 持っていた剣が砕け折れても、自分を守っていた女神の宗像が残骸と化しても、虫の息ながら、意識を朦朧としながら、十字を描く構えで剣を握ったまま立ち尽くしていた。


「っ、ぁぁ……ぁぁぁ……ぁぁぁああああああああああああっっっ!!! この小娘がRagazza sfacciata!!! 神を騙るだけでなくNon solo ci illudiamo come Dio神よりも上と宣うnon ci permettiamoその行いは万死に値する di negare l'esistenza di Dio!!! 貴様は神でも何でもないNon sei né un dio né niente……! ただ髪が黒いだけの、怪物だLei è solo un mostro con i capelli neri!!! 粛清をAmen!!!」


 新たに取り出した剣で、斬りかかって来る。

 致命傷にも等しい一撃を受けておきながら、剣には一切揺らぎがない。

 目は見開き、呼吸はほぼ無し。意識も鮮明ではないと言うのに、鋭い剣撃が桔梗目掛けて振り下ろされ、薙ぎ払われ、疾く突かれる。


 戦車から飛び退いて剣撃を躱した桔梗は、迫り来る剣のすべてを舞う様に躱してみせて、幾度か素手で払い除けながら距離を取った。


「あぁ、面倒……」


 戦域に刺さった剣の幾つかが浮かび上がる。

 浮かび上がった剣は融合し、漆黒の剣となって桔梗の手に握られた。

 さながら伝説に出て来る聖剣、もしくは魔剣が如く神々しき光を刀身に宿して、桔梗は大きく振り被る。


「楓太が見てないのに使うのは、凄い嫌なんだけど……メンドいから――もう、この一撃で倒れて」

「っ、ぁぁぁあああ!!!」

「――“秘匿裏強還ひとりよがり”」


  *  *  *  *  *


 一人だって大丈夫だって、言い聞かせて来た。


 父を亡くしたのに、自分を必死に育ててくれている母に、余計な心配を掛けたくなかった。

 だけどそんなの、結局は独り善がり。自分で強引に決めつけて、良い事してると思い込んで、隠し通そうとしていた身勝手だった。


 母のためだと思ってた。

 けれど隠そうとして、隠し切れなくて、結果的に母を裏切った。

 なのに母はごめんねと何度も泣きながら謝って、強く、強く抱き締めてくれた。


 だから、神様なんていらない。

 女神になんてなるつもりはない。

 黒園桔梗には、女神のように温かく、優しい家を守って来た、強い母がいるのだから。


  *  *  *  *  *


「フゥ太」

「……キィ、ちゃん」


 勝敗は問うまでもなく、自分を見下ろす少女の顔色が物語っていた。

 そもそも、彼女の勝利を疑うはずもなく、彼女があの戦いに介入した時点で、自分が負けて彼女が勝つのは当然の結末と、受け入れるのは容易かった。


「情けないな……」

「フゥ太が頑張ってくれたから、勝てた。だから私と、フゥ太の勝ち……だから、ご褒美」

「キスでいい?」

「ヤ」

「でもここじゃあ……」

「ヤ」


 時折、彼女は自身の能力で凄く興奮する。

 何故なのかは本人もよくわかっていないらしいが、戦闘で昂ったボルテージがそのまま現実世界に引き込まれ、アドレナリンが過剰分泌された状態になる。


 この時の彼女は、とにかく凄い。

 ご飯も普段の倍は食べるし、運動能力も単純計算で倍になるし、戦域に行けば容赦も手加減もなく、思い描くまま能力を揮う。

 元より戦域において生涯負けなしだが、この時の彼女を倒すのはまず無理だ。


 そして、良くも悪くも性欲が増す。

 この時の彼女に、楓太は勝てた試しがない。

 普段は大人しいのに、この時の彼女は周囲の事などお構いなしなので、男として据え膳は嬉しいのだが、今回のように困ってしまう事もあった。


 昔はキスだけで済んだものの、あの悦と快とを知ってしまった今、それだけでは止まらないし、治まらない。


「声、押さえてね」

「うん……」


 神父の敷いた人除けの結界が解除され、雑踏と喧噪が戻って来た駅の公衆トイレで暫く過ごして、二人は無事に帰路につく。

 他の刺客が来ることもなく済んだのは幸いしたが、興奮が収まって平静を取り戻した桔梗を自室から出すのには、とてつもなく苦労した。

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