信じる者は救われると言うけれど、神様に祈るだけなんて究極な他力本願じゃ救われないって話

 この世に神なんていない。

 いるのは黒く染まった神ならざる髪の持ち主達。


 体、心、魂。

 そう言ったものを破壊ないし、根絶するための暴力装置。

 慈悲深き神とも、悪意に満ち満ちた邪神とも異なる純粋な暴力。


 混沌とした世界の中、混沌とした力で以てあらゆる理不尽を押し付ける明白な力。


 だからこそ、周囲ひとは虐げられるなら虐げる。

 自分への被害を遠ざけんと、手の届かぬ場所から石を投げて、自分には来るなと威嚇する。


 そうして人々から遠ざけられている少女が、傷だらけの姿で泣きじゃくっているのを、綾辻楓太は知っていた。

 確定しない未来からの仕返しも考えず、今現在の自分の保身のため、未だ能力の発芽すらしていない少女相手に、石を投げる大人達を知っていた。


 この世に神なんていない。


 もしいたとしてもそれはきっと、人間に異能なんて与えて更なる格差を与えた、道化師みたいな無慈悲かつ残酷な神様に違いないだろう。


  *  *  *  *  *


「……救済を、受けいれない気か? なぁ? フータ・アヤツジ」


 両肩に深々と突き立てられた剣を、楓太は自らの体を鋼鉄並みに硬くして受け止めていた。

 肩に嵌った剣を押さえつけるようにした状態のまま固まった楓太から剣を取れず、神父は剣を捨てて距離を取る。

 上着の下。背中に隠し持っていた別の剣を取り、十字に構えた。


 神父が距離を取ったのを見た楓太は、固くなった自身の体を元の強度に戻す。

 重く圧し掛かる銀の剣が更に自分の体を斬る前に抛り体から離して、目の前に落とした。

 両肩がバックリと避けて、大量の赤が流れ出る。腕は、肩と繋がっている分だけどうにか繋がっている程度で、ほとんど動かせない。


「諦めた方が身のためではないのかね。ここは戦域。都合がいい事に傷はすべて治る。おまえはただ負けるだけ。失う物と言ったら、プライドくらいじゃあないのか? ん?」

「そのプライドが……特別捨てられない時も、ある……!」

「高過ぎるプライドは、己を滅ぼすぞ。意固地になるにも意地になるにも限界がある。自らの力では届かぬと諦め、主に救済を求めるもまた、人ではないかね? それともこの程度、未だ何とか出来るとお思いかな。黒きより授かりしその力で」

「……そのイントネーションだと、ヘアーじゃなくてゴッドです」

「知っているとも。主に仕える身として、万国のそれにまつわる言葉は覚えたさ。だから言っている。仮初の、神の力の一端を受け継ぎし黒き神の子……救済を求めよ。おまえ達だけで戦うには、世界は大き過ぎる。広過ぎる。その力だけで戦おうものなら、世界は黒き神をより強大な異端として捉え、より大きな戦いを招くだろう。それともそれが目的か、虐げる者よ」

「……知るか」


 傷口面積、倍。

 細胞分裂速度、倍。

 基礎回復能力、倍。

 体内血液量、倍。


 対象に対する正しい理解さえあれば、傷口を塞ぐ程度問題ない。

 ただ、体力や気力と言った存在しない物はどうにも出来ないので、代わりに興奮物質――いわゆるアドレナリンの分泌量を倍加して、疑似的な体力の向上を促す。


「見る者が見れば、まさに奇跡のような力だ。しかしそれでも、世界と戦うには足りない。一人の力など小さいものだ。どれだけ強大な力とて、核兵器を打ち込まれては困っちゃうよなぁ?」

「だから……知らないって、言ってるんだ」


 雰囲気が変わった。


 しかし、追い詰められたネズミが覚悟を決めれば、雰囲気くらい変わる事は、エヴァンジェリスタからしてみればさほど驚くべき事ではない。

 追い詰めらた草食動物が、時に、己を遥か凌駕する肉食獣を追い払う事とて、自然界では珍しい事ではない。


 が、楓太のそれは若干ながら異常だった。


 獣のそれは、襲われる前の威嚇や攻撃であって、襲われた後の抵抗ではない。

 そして体中に裂傷を負い、両肩を抉り斬られた楓太がこれからしようとしているのは、威嚇でもなければ抵抗ですらない。

 多くの攻撃を受け、多くの言葉を受けた事への仕返し。反撃であった。


 攻撃に対する反撃。

 毒に対しての薬。

 祈りに対しての呪詛。


 形は違えど、反撃は抵抗とは違う。自己防衛とは似て非なる暴力。一方的な攻撃から生じた新たな攻撃。

 故に構えねばならない。少なからず、敵もまた、こちらを倒すべき対象として認識したのだから。


「俺は護るだけです……戦って倒せて、退ける事が出来るのなら、戦域だろうなかろうと、神だろうと悪魔だろうと戦うし、倒すし、殺してみせる。すべては、俺の大好きな彼女のために。彼女のためになるのなら、無理心中だってしてみせる――」

「狂ってるなぁ、青年。見事に狂ってるぞぉ。神も仏も殺せはしない。主は常に、我らを玩弄するかの如く見守っておられるだけだ。だと言うのに、おまえはそんな高位の存在さえも敵に回してまで、たった一人の少女を護ると? 七〇億の命と一人の少女、圧倒的な角度で傾く天秤が、おまえには見えていないのか」

「彼女の命に比べれば、神が作った世界如き、軽くて吹き飛んでしまいそうだ」


 エヴァンジェリスタの笑い声が響く。

 奥歯まで晒すように大きく口を開けて笑った男は、目の前に両手の剣を突き立てた。


「宣ったなぁ、狂信者! 主の創造せしこの世界より、主の創造せし世界に生を受けた一人の小娘の命の方が重いと! 良いだろう! 数学者に聞かせたら質量の法則に則っていないと卒倒しよう戯言と、私は笑わず聞き逃さず、真正面から受け止めたうえで否定しよう! 我らが主は、おまえの命を弄ぼう! 一人の女に生涯を賭すおまえの在り方を、主は快く迎えるだろう! 狂いし信仰に、厚き慈悲を齎して下さるだろうさぁ!」

「俺から見れば、あなた達こそ狂信者だ。神なんて実在しない物を信じて、祈りを捧げて、命を賭して戦って、戦域とはいえ、人の両腕を斬り落とそうとする。たかだか神に、そこまでしてやる資格は無い」

「ぐるぅぅぅぁぁぁっっっ!!!」


 まるで獣。

 両手の指で挟んで持った三つずつの剣を広げて吠える姿は、獣が己が牙を折り、武器として握って後ろ足で立って吠えている様だった。


 獣が人の真似をしているのか。人が獣の真似をしているのか。

 混然一体の怪物と化した神父の背後で、銀と鉄の混ざった液体じみた何かが、大木のようにそびえ、奮い立つ。

 しかしそれは大木ではなく、銀と鉄の混ざった液体が流動して出来た、一人の鋼鉄の処女ひと――いや、女神の宗像であった。


「それが、あなたの能力の正体か」

「銀と鉄……そして、我が祖父から受け継がれし黒き神の血と長き信仰とが辿り着いた鋼の女神。だ……!」


 いわゆる混沌物質ダークマター

 この世に存在しない。もしくは、未だ見つかっていない未知の存在。

 だがエヴァンジェリスタの言い方からして、後者の可能性よりも言葉そのものの意味合いで捉えた方が良さそうだ。


 未だ見つかっていない。

 推測上はあるはずの遺物。

 存在してもあり得ざる物質。


 そんな物とは一線を画す、本当の未知。

 彼が発現しなければ、世界に存在する事のなかった主の創り出した世界の構築素材に含まれていない、異端の物質。

 この世ならざる世界より持ち込まれた金属。それが、エヴァンジェリスタ・トルリチェッリの能力。


(どおりで、俺の能力が効かないわけだ……)


 楓太の能力は万能だが、対象物に対する理解が八割以上出来ていないと充分に発現出来ない。

 この世に存在しない物質に対する理解など出来るはずもなく、能力が不発に終わってもおかしくない。最初に感じていた不安は、これだったのだろう。


 何かよくわからない何かを持っている――たったそれだけの事が、楓太にとって多いな脅威となる。

 桔梗の恐怖は、そうした楓太の恐怖が伝播したものだ。


 混沌物質ダークマターなんて曖昧な言葉で表現する他ない物体を操られては、介入の仕様がない。


 ならば、どうするか――


「桔梗……俺は、君のためなら……!」


 風を切って駆ける。

 投擲される銀剣の隙間を掻い潜り、地面を大きく踏み締めて、割れて盛り上がった左右の地面を足蹴に、右へ左へ飛び回りながら距離を詰めていく。


 足元に突き立てた剣を取った神父は宝石のように異色双眸ヘテロクロミアを輝かせて、漆黒の閃光と化して迫る楓太を、迎え撃つ態勢で構えた。


 自身の速度を倍加し続け、生まれた余波たる風を味方につけて、両腕を這って螺旋を描く槍のような武器として振り被る。

 槍と化した風をブースターとして加速。神父を前に両手を交差させる形で繰り出し、構える。


哀れなる子羊よAmen!!!」

「……!!!」


 銀の女神と黒き疾風。

 信仰の十字と親愛の十字が重なり、衝突する。


 破壊と破壊。攻撃と反撃と言う対立関係にはあれど、意味合いは全く異なっていた。

 いや、そもそもそんな考え方に行き着く方がおかしい。戦域とは戦う者達の命を護り、第三者の介入ないし乱入を防ぐためのものなのだから、必要ないのだ。

 という警告は。


  *  *  *  *  *


「戦域、GHーⅢにて異変発生!」


 日本国内の戦域を監視、管理は日本政府の秘匿された組織が行なっている。

 他の国にも同じ役割を持つ場所はあり、どの国も他国間どころか、自国内部でもその場所を明るみには掲示していない。

 故に日本の戦域で今、あり得ざる状況が起こっている事を知るのは、世界でそこだけだった。


 前例はあっても、それは事故だ。

 未だ戦域というシステムが不完全だった頃に怒ってしまった凄惨な事故。

 その過去があったからこそ、現在のシステムは完成し、今日こんにちまで至っていたはずだった。


 しかしそれは、不具合でもなければバグでもない。

 偶然が重なった事故でもなければ、奇跡なんて綺麗なものですらない。


 素人の口でさえ言い切れる、断言出来る。

 これは意図的に起こっている故意の事故だと。

 しかし玄人だろうと、傍目では見切る事は出来ないだろう。

 これは一人の黒髪少女が、恋するが故に起こしている事象だと。


「すぐに戦域を閉じろ!」

「ダメです! 今強制的に閉じれば、中の負傷者の命が保証出来ません!」

「空間の固定を確認! 戦域、元の状態に戻りました……侵入者の存在以外、平常です」

「……これもまた……黒髪の持つ力なのか……?」


  *  *  *  *  *


「フゥ太……」


 エヴァンジェリスタは今、あり得ざる光景を目にしている。

 楓太と二人きりで跳び込んだ戦域に、黒園桔梗がいる。ただそれだけの事だ。

 この際、彼女が抉り斬られた楓太の首を抱き締めている事は棚上げする。そんな事よりも重要な異常事態イレギュラーが今、目の前に顕現しているのだから。


「やっぱり、大好き」


 普通、戦域に途中で乱入する事は出来ない。

 何せ、存在している空間が違うのだから、あり得ない話なのだ。

 それこそ、二次元の存在に対して三次元の自分達が介入出来ないように、別次元への介入と原理は同じで、時間も空間も異なる場所への介入など、本来は出来ない。


 故に戦域は特別な領域であり、誰の邪魔も介入も許さない、正当な決闘が行なえる場所と言う定義の元、完成が告げられた。


 つまり今、目の前で恋人の千切れた頭を抱き締めて、唇で吸い付く彼女は、世界全てが完成と認めたシステムを破壊してまで介入し、やって来たのだ。

 世界の理、ルールの一つとして固定化されていた別世界を、彼女はその身一つで超えて来た。


 驚かざるを得ない。

 あのエヴァンジェリスタでさえ、流暢に回り続けていた舌が止まるほどに。


「もう、位置なんて関係ないわ。ただただ、あなたにぶつけるだけ……だから、せいぜい足掻いてから倒れて頂戴。一撃受けただけでアウトなんて、滑稽過ぎて、無様過ぎて、フゥ太に話す話題にもならないから……


 エヴァンジェリスタは、疑ったままの異色双眸ヘテロクロミアを見開き続ける。

 目の前に顕現した少女は、果たして人間なのか。同じ黒髪でも、楓太とはまるで違う。まるで異質。まるで異常。まるで――形容し難い。何とも比喩し難い


 だが決して、そうだとは思ってはならない。

 そう見えてはならない。そう感じてはならない。

 主を崇め、信じ、祈りを捧げて来た身が、誤認してはならない。


 彼女がもしかしたら――


唯式ゆいしき戦女神いくさめがみ黒神巫女くろかみのみこ


 本当に、黒き神ではないのかなどと。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る