準決勝第一試合決着、闘争本能vs防衛本能
人は、大体五歳までの間に自分の能力の詳細に気付く。
だがそれは、黒髪を除く他の色の持ち主の話で、特異な能力を持つ黒髪の持ち主らは、更に時間を要する場合が多い。
だが嘉鳥兜は、三歳の頃にはすでに自分の能力に気付いていた。
家族で唯一、黒髪の持ち主として生まれた兜は、二人の兄に疎まれ、羨まれ、怨まれ、三歳の時に六歳と四歳上の兄二人から、両親不在の際に襲われた。
しかしそれが引き金となり、防衛本能から時間停止の能力を発現。物心ついたばかりの歳で、己が優位性を理解した当時の兜は、二人の兄を完膚なきまでに叩きのめし、返り討ちにした。
二人の兄はそれから荒れ狂い、幾度となく少年院に送られる問題児と成り果てたが、未だ兜には逆らえず、逆らおうともしない。
むしろ兜の方から喧嘩を売り、二人の兄を有無も言わさず叩きのめして来た。
兄だろうが家族だろうが、地元で名を轟かせる学園の不良だろうが、暴走族の総長だろうが、関係ない。
舐められた瞬間に試合開始。能力など使わぬまま徹底的に叩きのめした後で、能力を使って完全に心をへし折り、幾多の不敗伝説を打ち壊して来た。
自分を侮蔑してきた相手を、暴力で懐柔する愉悦。
闘争本能に任せて力を揮える事への興奮と歓喜。
獣じみた本能に身を委ね、相手をねじ伏せる事への楽しみを得た兜だったが、そのために多くの相手を打ちのめした事で、皮肉にも、誰も自分の相手をしてくれなくなってしまった。
以来、兜の時間は止まってしまった。
時間操作と言う力を持ちながら、ようやく覚えた闘争への愉悦を再度楽しむために時間を巻き戻す術は無く、過去を振り返ったところで、新たな闘争の火種は生まれない。
故に自ら他校に乗り込み、自ら愉悦を求めて拳を振るってきたが、どいつもこいつも、戦域などと言う安全圏に逃げて、何事もなかったかのようにして終わらせようとする。
負けた癖して、負けた証を消そうとする。
ふざけるな。
傷は男の勲章だろう。顔に受ければ誇りだろうに、何故誰も、その勲章を受け入れない。
そこまで痛いのが嫌か。
そこまで苦痛が怖いか。
情けない。情けない。男に生まれた癖して、太い体に生まれた癖して、情けない。
能力に物を言わせて調子に乗っていた奴ほど、自分より上の能力者に会った瞬間、真っ先に戦意を喪失し、戦おうとすらしない。
腹が立つ。
怒髪冠を衝く。
頭の中が沸騰して、腸が煮えくり返って、自分の熱で狂ってしまいそうだった。
だから、最高なのだ。
綾辻楓太。
女のために自ら戦場に立つ男。
目を見ればわかる。こいつは例え戦域の外であろうと、自分の女のためなら命を賭して戦うタイプの奴だ。
能力にかまけているわけでもなく、自ら傷付く事も厭わない。
待っていた。
ずっとずっと、この時、この瞬間、こんな相手が来る時間を、待ち続けていたのだ――
* * * * *
「おらぁぁぁっっっ!!!」
楓太の時間を停止。
繰り出す拳の速度を数倍速にして、抉るように連打する。
その後、楓太の時間を再生。打ち込まれた拳の衝撃が一挙に体内で弾けて、全身を電流のように駆け巡り、骨が軋み、臓物が歪む。
だが、殴った兜の拳もまた、鉛のような硬さとゴムのような弾力、そして火傷必死の灼熱を宿した楓太を殴る度にダメージを蓄積させ、皮膚が切れて、裂けた肉から血を垂れ流していた。
徐々に握る力をも失って、拳さえ作れなくなりつつあったが、焼けた皮膚と肉とをくっ付け、無理矢理作り上げた拳で殴り続ける。
だが、楓太も負けていない。
刀に変えた手で裂いて、掴み取った胃袋を握って離さず、倍化した体温で内部から焼く。
体の中にはすでに、十トントラックの衝突に相当する衝撃が蓄積されている。
蓄積されたダメージをも倍化し、零に出来てしまえるのだが、能力を発現するより前に時間を止められ、ダメージを倍化するまでの隙が無い。
倍化する対象に関しては質量や内容を理解し、把握している必要がある。
時間が停止される前とされた後とで、蓄積されたダメージが違ってしまうため、幾度計算し直しても再び計算しなければならず、能力の発言が間に合わない。
何より、蓄積されたダメージと自らの体温とで徐々に意識を奪われつつある楓太は、時間の経過と共に計算出来るだけの能力を奪われつつあった。
それは、能力も然り。
「――!」
「ははぁっ! どうした?! さっきより柔らかくなった、なぁ!」
倍化している能力に関しても、希薄になっていく意識と共に解除されてしまう。
体温を倍加して内側から体を焼いているが、自分自身も高熱が出ているのと一緒だ。倍化しているからまったく平気、なんて事はない。
楓太は意識を手に集中。マグマと化した中身が食道を這い上がって喉奥から溢れさせるように熱を加えながら、胃の腑を握り潰す。
赤々と燃え上がる内容物を吐き出しながら天を仰ぎ、固まった兜から手を抜いて距離を取った楓太は、今まで掛けていた全能力を解除した。
諦めた。そんな訳はない。
寧ろその逆だ。
灼熱の鉛を嬉々として殴るような狂人を、桔梗に当てる訳には行かない。
何としても、ここで、自分の手で狩り取る。
でなければ、世界は桔梗に注目してしまう。
もしこの二人がぶつかれば、勝つのは桔梗だからだ。少なくともそう信じている。
そしてそうなれば、世界は蓮華の次に桔梗に注目し、彼女を欲して今回以上の事をして来るに違いない。
それではいけない。
あくまで、強いのは自分だ。自分こそが日本の脅威だと、知らしめなければならない。
故に、今ここで、倒す――。
「あぁ、畜生……胃袋を潰されたなんざぁ初めてだ……はっはは……面白く、なって来たじゃねぇ、か――」
突如吹き付ける灰色の嵐。
兜の体に巻き付き、捩じれるように吹き付ける風に口内の水分を奪われながら、歯を食いしばって耐える兜へと、
兜の時間停止が掛かるが、楓太の体が停止される速度を振り切って駆け抜け、能力を完全に発現し切るより前に届き、兜の頬を音速にまで倍化した拳が撃ち抜き、後から続く
兜を殴る拳の先だけをダイヤモンド並に硬化。音速にまで倍化させた動きで、兜の意識と動体視力から逃れながら、時間停止の網に掛かる事なくあらゆる方向から殴り続けた。
音速移動も音速の拳も、体に大きな負担が掛かる。
故にあまりしたくないのだが、最早手段を選んでなどいられなかった。
もう、賭けだ。
先とは攻守を逆転させ、こちらが果てさせるか果てるかの勝負。
能力と性格上、兜は防御の手数が多くない。大きな体格差故、元々の体力にかなりの差があるだろうが、今まで攻め続けて来た疲労と消耗があるはず。
疲弊した体を休ませる事なく、音速の拳と
こちらもギリギリな分、本当にわずかな差で勝敗が決まる。だから、間違えない。間違えては、ならない。
間違えれば、次に日本と言う国が見せびらかすのは――
「もう充分に楽しめたでしょう。そちらに勝手にさせた分、今度はこちらが勝手にさせて頂く」
「この……っ。やってくれるじゃねぇか――!」
「時間を操るあなたでも、光の速度で殴られた事はないでしょう」
――速度倍化。高速から超速。超速から音速。音速から、光速へ。
徐々にだが、あっという間に人間では実現不可能な速度へと至る。
寧ろ兜の能力で超絶スローにまでして貰わなければ、観客の目が追い付く事はまずない。
しかし、その兜の能力もすべてを対象に出来る訳ではない。
楓太の自在倍化や兜の時間操作と言った、対象物を操作する系統の能力は万能だが、無敵ではない。能力を向ける対象への最低限度の理解が必要となる。
兜の場合、対象を停止させるには停止させる対象の位置を把握する必要がある。対象の位置と周囲の空間とを接着、固定するようなイメージだ。
故に兜でも捉えきれない物――それこそ、光など止められない。
ならば先ほど戦域全てを止めたようにしてしまえばいいではないか――馬鹿を言ってはいけない。そんなにも簡単に、最早概念の一つとも言える時間が止められて堪るものか。
戦域と言う狭い環境に限定しても、時間を止めるには厖大なエネルギーを消耗する。一日にそう何回も使えるはずもないし、仮に無尽蔵のエネルギー源を確保出来ていたとしても、周囲に対する環境理解と状況把握はやはり、必要不可欠だ。
つまり音速の拳に打ち抜かれ、意識朦朧としつつある今の兜には、到底出来ない芸当だと言う事で、楓太は兜が回復してしまうより前に、光の速度にまで達した連打で勝負を着けるのが狙いだと言う事である。
アッパーカット。ボディブロー。ラリアット。跳び蹴り。跳び膝蹴り。踵落とし。回し蹴り。掌打。手刀。その他諸々、思考回路が止まる可能性のある頭突きを除く出来る限りの打撃を光速で叩き込む。
もはや兜の体はぐしゃぐしゃに折れ曲がり、筋骨隆々とした肉塊は廃棄確定の事故車両顔負けの具合で全身を陥没させられ、折られ、曲げられ、砕かれる。
それでも尚、楓太は攻撃を止められなかった。
車が急ブレーキを踏んだところで、踏んだ地点で止まる事が出来ないように、光にまで達した楓太の速度は、そう簡単に止まれる領域にはない。
が、理由はそれだけではなかった。
見ていたのだ。
全身を変形されるまで殴られ、蹴られ続けていた兜が、見ていたのだ。目で追おうとしていたのだ。
戦いの刺激を満喫し、愉悦に満ち満ちた笑みを湛える兜が、楓太を見つけては笑っていた。
いくら光の速度に至っても、打ち込んだ瞬間だけは楓太も残像を残す。
ほんの一瞬、わずかな間だけだが、兜はそこに自分でも敵わない、けれどこれからの退屈凌ぎにうってつけの相手を見て、満面の笑みを浮かべていた。
どこまでも、狂人。
そして、強靭。
普通ここまで徹底的にやられれば、戦いが嫌になってもおかしくない。
ここまで一方的にやられれば、戦意を喪失したっておかしくないのに、彼は未だ戦う気で、余力さえ残っていれば、未だ拳を振るっていた姿さえ想像出来てしまえて、楓太は、恐怖に酷似した違う何かを感じて、背筋が震えた。
幾ら蹴れども殴れども、背筋は変わらず震え続ける。
結果、試合終了のブザーが鳴るまで、つまりは戦域内における嘉鳥兜の仮想死が確認出来るまで、攻撃を止める事は出来なかった。
『決着! 勝者は風紀委員所属! 綾辻楓太!!!』
* * * * *
悪寒はまだ走っていた。
戦域内での怪我は、死すらも無効となる。わかり切っていた事で、自分が兜から与えられた傷の数々も、戦域を出た事で消えていた。
無論、敵である兜もそうだ。
だが今までと違って、兜は未だ闘志をむき出しにして笑っていた。
一方的に痛めつけて、
「次は、戦域の外だ。楽しみにしてるぜ、綾辻楓太」
次。
そんな事を言って来た相手は、今までに一人もいなかった。
黒髪だから、ではあるまい。嘉鳥兜と言う男が異常なのだ。
時間操作なんてチートじみた能力さえ、最早ついでに生まれ持った才能の一部。
真の恐怖は、生まれ持った狂暴性と、肉食獣じみた闘争本能に他ならない。
出来る事なら、もう二度と戦いたくなどない。
そんな気持ちを勝利しながら抱かされたのは、この日、この時が初めてであった。
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