交流試合準決勝第一試合、自在倍化vs時間操作

 もしも此の世にいる全ての人間が黒髪だったとして、君が数億人の中に溶け込んだ黒一色の中の一つだったとしても、俺は君を見つけるだろう。


 もしも此の世から色という概念が喪われたとして、私の力が無くなってしまっても、私はあなたのために、迷わず戦う事を選ぶでしょう。


 例え世界中の全てが敵となり、六〇億人と一人を選ぶことになったら、俺は迷わず君一人を選ぼう。


 例え世界中の全てがあなたを護る盾として私からあなたを遠ざけようとするのなら、私はあなた一人を求め、迷わず全員を蹴散らすでしょう。


 あぁ、だから神様――どうか。

 あぁ、だから神様――どうか。


 彼(女)に御身の慈悲と加護をお与え下さい――などと、素直に祈れる子供だったなら、果たしてどれだけ良かったか。

 神様を信じ、サンタクロースさえ信じていた少年少女であったなら、どれだけ幸せだった事だろう。


 そうして、誰かに縋り、頼り、他力本願で己が存在の貴重さを武器に立ち回れるのならどれだけ良かった事だろう。

 もしも何もかもを他人に任せ、簡単に縋れてしまうなら、こんなに苦しまなくて済むだろう。


 何せすべて、そんな誰とも知らない誰かのせいにして、全ての責任を押し付けて、幸福も不幸もその人のせいに出来てしまえるのだから。


  *  *  *  *  *


 互いの顔面を打ち抜くクロスカウンターに殴り飛ばされた楓太の体は、戦域中央から真っ直ぐに戦域を囲う壁まで吹き飛ばされた。


 それほどまでに兜の放った拳が凄かったのか――そうだ、とも言えるが、それだけではない、とも言える。

 実際、楓太を殴った兜は確かに人を殴った感触こそ感じていながら、をこそ感じられてはいなかった。


 当然だ。


 拳を繰り出す寸前までは何も仕掛けていなかったものの、敵の拳が迫って来るとリーチと体格差とで不利なのを直感的に察し、自重を二グラムまで倍化してわざと吹き飛ばされたのだから。

 兜としては、感触だけが人肌の風船でも殴ったような気分だろう。

 そして殴り飛ばされた楓太も、突進で生まれた勢いも倍加してほとんど殺していたので、ダメージらしきダメージはまるでない。


 だが驚かされた。

 肉体を強化する類の能力者とも幾度か戦った経験はあるが、能力なしでも拳が風を切り、二倍にした動体視力がギリギリ追い付けるくらいに速かった。


 真偽の程では定かではないが、プロボクサーの中には一秒で十もの拳を重ねられるほどの速度を誇る者がいると聞く。

 ボクシングそのものは経験がなくとも、数百と繰り返して来た喧嘩の中で成長した拳は、それと同等か、近しい位置にあるのかもしれない。

 つまりは両腕が武器。


 厄介だ。

 実際、炎だ風だと来る方が楽なのだ。

 何せ零倍にしてしまえば、もはや無い物としてしまえるのだから。


「何だ……てめぇ今、何をしやがった? はっ、まぁいい。要は能力を使わせる隙を奪えばいいだけの話だ。そうだろ」


 と、兜は片方の拳を地面に落とす。

 そのまま姿勢を崩し、前傾姿勢に。まるで相撲の開始前、明らかな突撃の構えだ。


「俺の能力は、十六夜辺りから聞いてんだろ? 時間操作。てめぇの時間も俺自身の時間も、俺の許容量で収まる範囲内なら自由自在だ。てめぇの特異な能力で、俺の特異とどこまで張り合えるか……頑張ってくれよな。俺を楽しませろ! 黒髪!」

「だから、勝手に楽しめと――」

「あぁ、そうするさ」


 気付けば、目の前にいた。


 高速移動とか、瞬間移動とか、転移とかそんな類ではない。

 自分の時間も敵の時間も自在と彼は言った。が、確かにそれだけとは言っていない。まさかとは思うがこの男は今、

 そうとしか考えられない詰められ方で、そうとしか考えられない構えで繰り出された正拳突きに、楓太は胃の腑を持ち上げられるように、腹の中央を抉られた。


 言うまでもなく、能力が追い付くはずもない。

 遅れて体重を倍化して敢えて高く跳ね上げられ、空中へと舞い上がると、兜に圧し掛かる重力負荷を倍にして片膝を突かせ、今度は体重を本来の五倍にまで重くし、体を硬化して拳を突き出しながら垂直に落下。

 丸まった背中に落ちるはずが、落下速度を操作され、酷く緩慢な速度まで落とされる。

 その隙に重力の束縛から逃れようとした兜へと、更なる重力負荷をかけた。


「おぉっ、おぉぉっ……!」


 兜は今、およそ二トンの重りが背中に乗っているような状態だ。

 一方楓太は、さながら枝を伝うナマケモノのような速度で落ちている。


 互いに相手の能力に苦しめられ、自分の能力を満足に発揮できない状態から抜け出そうともがいているが、双方、今のままでは現状を打破するどころか次の行動に移す事すら叶わない。


 そう悟って、双方ほぼ同時に能力を解いた。


 咄嗟に飛び退いた兜のいた場所へと、鉄塊と化した楓太が落ちて、砂塵を巻き上げる。

 舞い上がった砂塵を腕で払い除けながら、双方相手に飛び掛かり、兜の拳が楓太の顔面を捉える。


 が、三倍にした動体視力は前以て拳が来る事を見切っており、地中深くに沈む鉱物並の硬さにまで倍化した額で受ける。

 五倍の自重に物を言わせ、無理矢理前に進んで距離を詰めると、文字通りと化した鋭利な手刀を兜の筋肉質な腹に突き立てた。

 肉を抉りながら少しずつ奥へと進んで行き、辿り着いた先で胃の腑に触れる。そしてその手が握り潰してやらんと掴み取った時、頭突きで止められていた兜の手が引かれ、圧縮された時間の中で、倍化する暇を奪い取った上で、額を除く上半身に、幾度と拳を叩き込んだ。


 が、楓太は兜の胃袋を離さず、体温を倍化させて腹の奥底から兜の体を焼き焦がす。

 更に筋肉を鉛の硬さまで、皮膚をゴムの硬さまで倍化して、繰り出される連打に耐え忍びながら、兜を倒す態勢を整えた。


「はっはっは! はっはっはっはぁっ!!! 良いぞ! 良い具合に狂ってるじゃねぇか、てめぇ!」


 ここまでのやり取りで、楓太は兜の時間操作能力の根底を、再生と停止と予測した。


 自分を含む対象の時間を再生。もしくは停止させ、再生速度も自由自在。自分を除く世界そのものの時間さえ停止させられるのだとしたら、なるほど滅多に負けはしまい。

 が、おそらく

 それこそされたら無敵だし、勝つ術もなく活路をも見出せなかった。故に、出来ないからこそ勝機が見える。


 された事を巻き戻し、無かった事にされないのなら勝てる。

 最悪相討ちになるだろうが、勝つための算段はすでに整った。


「はっはぁっ! たまんねぇなぁ!」


 勝手にしろ、と無言で睨む。


 先に言った通り、こちらはただ戦うだけだ。

 楽しませる気などないし、要望通りに戦っているつもりも毛頭ない。


 勝手にはしゃんで、勝手に楽しんで、勝手に満喫して勝手に満足して、勝手に戦って――そして勝手に負け果てろ。

 こちらはもう準備は出来ている。後は向こうの勝手次第。


「なら俺も、全力全開でやってやろうじゃあねぇか」


 勝手にすればいい。

 全力であろうがなかろうが、こちらのやる事に変わりはないのだから。


 そして、向こうの言う全開など、大方の想像が付く。

 能力が時間の再生と停止。経過時間の操作で武器が拳ならば、兜の性格も加味して、この状況下における最大の攻撃手段は一つだけ。


「さぁ……歯ぁ食いしばりなぁっ!!!」


 言われる前から食いしばっていた顔を含め、兜の拳が届く範囲全てに衝撃が駆ける。

 自分以外の時間を停止させた世界で撃ち込んだ数倍速のパンチの衝撃が、再生させた瞬間に一挙に広がる。

 文字通り巨大な拳に一突きされたかのような重く深い衝撃が全身を駆け巡って、鉱物と大差ない硬度と、ゴムと同じ柔軟性とを手に入れた楓太の体を破壊しに来た。


 無論、楓太を殴る兜の手だってただでは済まない。

 実際、溶解寸前の高熱を持った鉄を殴っているのと感覚的には一緒だ。

 殴る度に皮膚が焼け、皮は剥がれて肉を晒し、肉が切れて血を噴き出す。殴る度に自らも傷付き、意識を削がれる。


 だがそれが良い。それで良い。

 単に諦めて丸まられるより、よっぽど殴り甲斐がある。

 全力を賭して、全力を尽くして殴る甲斐がある。


 この高揚感を、解放感を、充足感を何と言い表せば良いだろう。

 的確な語彙など見つからない。いや、最早探す事も億劫だし、時間の無駄だ。

 今はこの戦いを楽しむ事に全力を注ぐ。そのために時間を費やす。永久に続く事がないからこそ、全力を賭し、総力を尽くす。


――身勝手な人だ。


「あぁ、勝手にやらせて貰うぜぇっ!」


 時間という武器を携えた拳が、楓太へと迫る。

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