一回戦第七試合から二回戦第一試合まで、官能的で説教じみた話

 ブラックホールを知っている人は多いだろう。


 宇宙に突如現れた最強の重力場。

 光さえも呑み込み離さない漆黒の穴。

 その中を見た人間は存在せず、未だ机上の空論が並ぶばかり。


 黒髪の力も同じだ。

 見ただけでは、力の内容はわからない。

 他の色のように推測する事すら叶わず、対面すれば警戒心が働き、対峙すれば畏怖と恐怖とに背筋を撫でられる。


 だから人は遠ざけた。

 監視下に置いた。管理下に置いた。

 野放しにするよりはマシとした。彼らが群れて、自分達に牙を剥く時を妨げんとした。

 時限爆弾の起爆装置を手元に置く事で、安寧を齎そうと考えた。


 が、所詮はその場凌ぎだ。

 安寧を求めるばかり、人は黒髪の扱い方を誤った。


 人は黒い肌であろうと人であり、黒髪だろうと人である。

 ジャイアントパンダのように保護され、生活を保証する名目の下に管理され、監視される事を束縛と捉えて、自由の侵害、人権の汚染と考えて、人はそれを良しとはしない。

 理解は出来ても、同意は出来ない。

 地球に住まう全生命体の中で知的生命体は人間だけであり、自らの権利を主張するのも、人間だけだからだ。


 未来、人間は人工知能――いわゆるAIによって害悪と考えられ、駆逐されると言う考え方があるが、断言出来る。

 人間はやがて、他ならぬ人間の手で滅ぼされるだろう。

 そう断言出来るのは黒髪故。否、そう提唱出来てしまえる、人間の一人だからである事は、最早、言うまでもない。


  *  *  *  *  *


「フゥ太、フゥ太ぁ……」


 硬直。凝視。

 言葉を失うルフィナはただ、目の前で繰り広げられている衝撃的光景から目を離せないまま、どうすればいいのかわからず見続けていた。


 風紀委員に所属したからには、止めなければならないのだろう。

 だが目の前で繰り広げられるそれは、未だ純真な少女には刺激が強過ぎて、止める止めない以前に、動く事さえ出来なかった。


 部屋にいる自分が、彼らにとって邪魔者である事は理解している。

 今回の事件もそうだし、ただでさえ恋仲の二人にとって、第三者の介入は誰であろうと気持ちの良い物ではないだろう。


 しかし、最早ルフィナを含む神羅万象。世界を構築するすべてが二人の世界から迫害されて、目の前にいるはずのルフィナの姿さえ、二人が引いた境界線の外側にあっては認識も外。

 二人はルフィナの存在など構うことなく、淫蕩に耽る。


「頂戴……フゥ太の、フゥ太、ぁぁぁ……」


 息遣いから声音から、迸る汗まで。二人の発する何もかもが官能的で、情熱的。

 世界には自分達しかいないくらいの熱量で、互いの熱を求め合う。


 ルフィナも青少年の一人として、そう言った物事に興味の出て来る歳。だが、聞くのと見るのとでは、ましてや、目の前で繰り広げられているのを見るのとでは、何もかもが違い過ぎる。

 二人ほどではないにしてもルフィナも昂り、息を荒げて、自分の指が秘部を慰めているのに気付くとしゃがみ込んで、恥ずかしさのあまり赤くなった顔を涙目と一緒に両手で覆って俯いた。


 それから一体、どれだけの時間が経ったのか。

 意識が回復したルフィナはソファで横に寝かされて、モニターから断末魔のような悲鳴が響いて聞こえて来た。


「起きた? 床で気を失うように眠ってたわよ、ルフィナ」

「き、キヒョ――!」


 思わず、声が裏返る。

 それも恥ずかしかったが、何より今さっきまで繰り広げられていた光景を今一度思い返して、自分の事のように恥ずかしくなったルフィナは、熱を籠らせる両頬を包み込む。

 そうなると、逆に桔梗が平静を保ち、まるで恥ずかしがる素振りもないのが不思議に見えて来るが、ルフィナの反応こそ普通である事だけは間違いない。


「き、キキョゥ……えっと、ルフィナは、その……」

「目の前で事が始まって、ビックリした? まぁ、普通に考えて人前でやる事じゃないものね。でも理解してね、ルフィナ。私達は、の」

「その、てぃド……」

「目の前に誰かいたら求めない。周囲の目が、耳があるから紡げない程度の愛情で、私達は繋がっていないの。別に、恥ずかしくないって事じゃない。けれどね。恥ずかしがって惜しむ程度なら、私はそれを――愛とは呼ばないの」


 一回戦第六試合から帰って来て、即、行為に至った桔梗と楓太は、一回戦第七、第八試合をそのまま更衣室で消化。

 およそ三十分の休憩の後に続けられた二回戦第一試合にて、ただいま綾辻楓太が、ロシアの野望を叩き伏せているところだった。


 最早勝ち目などないと悟ったルフィナは、今までの恥じらう姿を潜めてゆっくりとソファから膝を突き、深々と頭を下げる。いわゆる、土下座の姿勢。

 だが、桔梗は一切の一瞥も配る事無く、モニターに映る楓太の勇姿を目に焼き付けるかのように見守っていた。


「……何をしているの」

「日本では、これが最高位の謝罪のシセーだと聞きました。ロシアをダイヒョーするくらいの権利はルフィナには無いですけど、せめて……」

「やめて」


 桔梗は未だ見ていない。

 試合は決着。楓太はまた、一切の傷を負うことも無く勝利した。

 故に言葉はルフィナに向けられたものであったが、桔梗は一向にルフィナを見下ろそうとはしなかった。


 脚は組んでいる。

 腕も組んでいる。

 彼氏のカーディガンを肩に掛け、彼の試合を見守る姿はまるで女王様のようで、今にもルフィナの頭を足蹴にしてもおかしくない威厳を放っていたが、決してそんな真似はしなかった。


「やめて頂戴。謝罪して欲しいなんて思ってない。ましてや土下座なんて、その場凌ぎの姿勢で謝って欲しくなんかないわ」

「でも、ルフィナは……悪い事を……」

「あなた一人の悪事なら、謝罪も当然でしょうけど、あなたは陰謀の一部。しかも利用された方でしょう? そんな人の謝罪なんて、聞いたところでキリが無いもの。だから、友達としての謝罪なら受け入れます。友達としての謝罪に、土下座なんて要らないもの」


 上がったルフィナの顔は涙と鼻水でグシャグシャに濡れていて、ようやく振り向いた桔梗は何て顔をしているのと微笑んで、自分より大きな同級生が飛び込んで来るのを抱き留めた。

 柔く小さな胸の中、泣きじゃくる銀髪を撫でる黒髪の少女は、戦域より戻って来た黒髪の青年の方を向いて視線だけで状況を語り、理解させた上で帰還を喜ぶ口づけを交わす。

 その様だけを見ればまるで、泣きじゃくる我が子を慰めながら愛を注ぐ夫婦の様であり、とても一五の子供には見えなかった。


 曰く、人は人ではなく環境が育てると説く者がいる。

 その定説に則って考えるならば、黒髪の持ち主として蔑まれ、恐れられ、白く冷たい目で見られ、扱われ続けて来た一五年が、彼らを歳不相応の青年に育ててしまった。


 実年齢より大人であれば良し、と簡単に言って終わらせる事は出来る。

 しかし、年齢に沿わない過度な成長が、人間にとって必ずしもいい結果になるとは限らない。


 良くも悪くも、大人の世界は現実的過ぎる。

 出来るしか出来ず、出来ない事は出来ない。何をするにも代償を支払わねばならず、代償に見合った成果が得られる確証も保証も無く、誰からも得られない。

 非現実を追い続ける者から廃れ、死に絶え、現実という世界に居場所を見出し、そこで妥協した者から得られた安寧に浸り、足掻く事を諦める。


 主に社会と呼ばれる現実を知る事こそ成長であり、それらを促すための己が道を示す導にすべき物を見出すのが教育であり、そのための期間がおよそ二〇年と定められているのなら、未だ一五歳で悟ってしまった彼らは、早熟と言う他ない。


 故に周囲から見れば異常であり、異質。恐怖さえ御し切れぬ不気味の権化。

 周囲の人間が、環境が、彼らの頭に生える黒から見えぬ中身に怯え、覚えた先入観から見せた言動の数々が、黒髪を早熟な大人にしてしまう。


 後先考えず行った火遊びで、後で泣くようならまだ可愛い方だ。

 悲惨には違いないかもしれないが、子供はまだ道を正せる可能性がより多く残っている。


 しかし例えば、楓太と桔梗のような、後先の始末を承知の上で火遊びをするような大人な子供は、危険に過ぎる。何せ、危険も何もすべてわかった上での行動なのだから。

 他人の目の前で平気で交わり、愛の一言で正当化してしまえる二人のような人間は、社会では危険視される。そんな事さえ当然と、理解した上でしてしまえるのだから、怖い。


 何せ、理由と根拠と理屈、そして投じる力と支払う代償の大きささえ知ってしまえば、何でもやってしまうのだから。


「ルフィナ。謝罪を受け入れる代わりに、教えて欲しい事があるの」


 顔を上げたルフィナに、桔梗は問う。

 柔和な笑みの中、黒い虹彩の中心にして最奥から差し込む赤い瞳孔が孕む狂気は、友達として謝罪を受け入れて貰える気持ちでいっぱいの銀髪少女の目には盲点となって見えず、今からされる問いに答えた結果どうなるのか考える想像力さえ、隣で見下ろされる黒髪の青年から奪われていた。


「――あなた達をけしかけた人は何処?」


 黒い死神の闊歩が響かす跫音が、怒気を孕んで迫り行く。

 死神が立つのは眠目をこする大人の枕元か、足元か。全ては、彼らの理解と気分次第だ。

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