一回戦第六試合、再燃など赦さぬまで灰燼と帰す
桔梗の出番は一回戦第六試合であったが、第五試合が始まった頃には、既に彼女は控室を出て、入場ゲートで立っていた。
試合は思いの外白熱しており、第四試合の静寂を打ち破らんくらいに会場は盛り上がりを見せている。
まるで、
最下層の地位にある者達――俗に言う奴隷達が戦う姿を、一般市民、貴族らが観客となって楽しむ古き時代の血生臭い娯楽。
良くも悪くも、剣闘は人の内に眠る闘争本能を掻き立て、興奮させる。
故に興行として成立し、莫大な資金が動いたとされているが、知性で以て文明をいくら発達させようと、豊かな色彩と共に様々な異能を手に入れようと、何世代に渡って時代を経ようとも、人間の本質は変わらないのだなと思わされる。
自分を楽しませ、興奮させる物であるならば、最早髪の色など些事なのだ。
黒髪であろうとなかろうと、互いに勝利を譲り合わぬような健闘に人は興奮し、勝敗を予想しながら自分の好む方を応援し、一喜一憂して楽しむ。
自分達には一切の危険がないが故に。目の前で繰り広げられる闘いを楽しむ。命が途絶えない事を良い事に、もっとやれだの何をやっているんだのと、勝手な言葉を投げて来る。
本当に、何様のつもりなのだろうか。
決して死なないのだから良いだろう――否。
傷だって治るのだから良いだろう――否。
否、否、否である。どれだけの理由、理屈を並べられようと、全ての回答は否で終わる。
人に心ある限り、闘争は苦しいものだ。戦闘は厳しいものだ。仮にも自分が絶命の淵に立たされる事を喜ぶ者など、そんな苦痛を知らぬ絶対的強者以外にない。
故に、桔梗は否定する。
観客席を埋め尽くした彼らを卑下する。
今日に限って登校している連中も、普段は授業など寝て過ごしているような連中も、一切、認めない。認めるなんて猶予は微塵もない。
故に業腹ながら、思い知らさねばなるまい。
再びこの戦場を、静寂で包まなければなるまい。
戦いの真の姿を、白日の下に晒さなければなるまい。
業腹ながら、不服ながら、遺憾ながら、自分にはそう出来てしまえる力と、その力を称えるが如く頭髪を染める、天使の輪を輝かせる黒があるのだから。
故に、上からながら教えよう。
戦慄とは何かを。戦いが本来生み出す物は興奮ではなく、恐怖であると言う現実を。
『勝者! 生徒委員会、
第五試合が決着。
先の第四試合にて塗られた泥を、生徒委員会が拭った形で決着したようだ。
しかし国家間で語れば、此度の勝者は日本とアメリカのハーフ。相手が純粋な日本人だったため、アメリカの力があって勝利したという印象を与えただろう事を考えれば、日本は少し不服な結果であっただろう。
だが、知った事ではない。
日本の面目も、ロシアの陰謀も、鼻もちの高いアメリカの態度も、何もかも。
黒園桔梗の漆黒の双眸から見れば、全て等しく、愚かしい。
愚者の種蒔きが実る瞬間まで、付き合ってやるつもりはない。
『さぁ続きまして第六試合の開始でございまぁぁぁす!!!』
* * * * *
一方、第六試合開始直前の楓太の控室には、招かれざる来客の姿があった。
嫌悪感は比較的薄いものの、タイミングが悪かった。これから桔梗の戦いが始まるという時に限っては、例え家族の来訪であっても邪魔でしかない。
ましてや、用件などあるようで無いような彼女――ルフィナ・アントゥフィエヴァに対して、一瞥を配る事さえ億劫だった。
「あ、あの……フー太くん、ルフィナは……」
「そこ、座って見てて。もう、始まる」
視線は画面に固定して、向かいの席を指差すだけして座るよう促す。
冷たく感じられて、更に彼女に罪悪感を植え付ける事となる事は承知の上だが、生憎と彼女にまで配ってやれる程の気の余裕がない。
言うまでも言われるまでもなく、楓太は誰よりも桔梗の実力を知っているし、勝利すると信じてもいるが、彼女の力は強力ながらに不安定だ。
二二枚の大アルカナを
戦闘開始と共に選び取り、捲るカードの種類と位置は、捲るその時まで桔梗本人にもわからない。
故にその度に戦闘スタイルが異なる上、相手によっては相性の悪い条件下で戦いを強いられる事もある。それでも彼女の勝利が揺るがないだろうと、信頼はしているが、信頼と心配は表裏一体としてあるようなものだ。
信頼しているから心配していない、なんて事はない。
「対戦相手、知ってる人?」
「……ルフィナと同じで、ロシアをアピールするために転ニューして来た、グレゴリー・ダヴィドフくん。直接お話した事は、ほとんど無いです。でも実力は、ルフィナ達の中で一番でした」
「そっか」
どんぐりの背比べに興味はない。
が、一応今回用意されたロシアからの刺客の中で格上である事だけはわかった。
それでも、何ら問題はない。最後には桔梗が勝つ。その結果だけが安定している。
楓太は、誰よりもそう強く信じている。
* * * * *
「
「ロシア語かしら……何を言っているかわからないけれど、とりあえず、容赦はしない。手加減は、期待しないで」
これは特別、戦闘に関して重要な情報ではなく、ましてや能力に一切関係ない。
黒園桔梗だけに適用する、いわば癖に類するものである。
貧乏ゆすりや歯軋りなどと同じで、精神的苦痛や強い不安を感じると、右手中指を内側に折り曲げる。
楓太と一緒にいるとまず出ない癖だが、この癖が出た場合、敵に取って不利なカードが出る確率が三割ほど上がる。
桔梗自身この事には気付いていないので、敵が気付く事などまずあり得ない。
故に、彼女が中指を折り畳んだ時点で、元々状況的に不利であったグレゴリーの勝算は圧倒的希薄な数値へとすり減り、尚且つ凄惨な敗北が約束されたも同然であった。
「じゃ、始めましょう」
「
「ー戦域展開、解放ー」
* * * * *
“
ポケットティッシュサイズのカードケースから取り出した山札をシャッフル。
その中から桔梗の指が選び取った一枚が、此度の戦域にて繰り広げられる力として決定する。
二二枚の中から、選び取るのはたった一枚。正か逆かもわからない。一つだけ確定しているのは、敵の敗北ただ一つ。
「“
寂寞の荒野を人工太陽の他にもう一つ、灼熱の惑星が空に現れる。
炎の海を泳ぎ跳ねる
そうして燃え上がる光星から体を持ち上げ、降りて来たのは灰色の龍。
悪魔のような外観に、幾重にも重なった天使の翼を宿した禍々しき龍の咆哮が、戦域全体に轟き、鼓膜を、戦域を見る全ての世界を震撼させた。
戦域に龍が降り立つなど、前代未聞の事態だったからである。
「ッ……
「太陽の逆位置……この子は初めてね。なかなか化け物らしい姿してるじゃない」
カードは二二枚。能力は四四種。
未だ桔梗自身も知らぬ能力、姿があっても不思議ではない。
が、能力の内容は発動した瞬間に把握出来る。パソコンのタイピングがいつの間にか画面を見たまま出来るように、能力は発現した瞬間から把握が始まる。
感覚的に、直感的に、人間の規格から大きく外れた幻想の獣の扱いをも、徐々に理解が追い付いて行く。
「良いわ。やりなさい、
猛禽類の爪を携えた天使の巨翼を羽ばたかせ、灰色の龍が飛翔する。
銀髪のグレゴリーが地面に触れ、地面に含まれている鉄分を圧縮し、整形。地面から生えた鉄の塊が、ミサイルのような形となって狙いを定める。
直後、放たれたミサイルが空を舞う様に飛ぶ龍に着弾。更に二つ、三つ目の追撃が爆発する。
が、元は太陽のタロットから生まれた化身。
ミサイル如き爆発では、鱗の奥に隠れた逆鱗に触れる事さえ叶わない。
口内に蓄えられた真白の煌炎を吐き尽くし、追撃のミサイル攻撃をすべて撃ち落とした龍は身を捻り、白斑を輝かせる目で捉えた獲物へと降下。鋭く硬く熱い爪を振り下ろし、逃げようとするグレゴリーの体を捕まえた。
想像する事さえ出来ない幻想の質量が、体重百キロを超えるロシア人の巨躯を圧し潰す。
骨が軋み、熱が焦がす。鋭い牙の生え揃った口内から垂れる熱湯と表現するに等しい熱を籠らせる唾液が、爪の下でもがく獲物の側に落ちて、乾いた大地に染みる事無く溶解させた。
地面の溶ける音が恐怖を煽ったらしく、生活費目当てで戦域に赴いたロシアからの刺客は、恐怖に慄いた様子で爪から逃れんともがく姿が、より必死になる。
「みっともない。男がギャーギャー喚き散らして、恥ずかしくないのかしら」
ゆっくりと、数トンもの質量が圧し掛かる。
臓腑が潰れ、骨が歪む。白斑が示す瞳を燃やす巨龍がいつ喰らってやろうかと牙を剥いて、睨む姿がまた恐怖を誘う。
屈強な男の悲鳴が響き、戦域を見つめる世界が慟哭に染め上げられ、沈黙していた。
強の齎す恐に慄き、今日という凶に震える。
戦域は、戦いのあるべき姿、あるべき世界を構築しており、強者と弱者の間に存在する形のない物を、見る者すべてに示し表していた。
が、まだ足りない。
桔梗からしてみれば、この程度の恐怖などすぐに拭えてしまう。
さながら黒人差別を訴えたデモの起こった一週間後にも黒人を差別する言動が起こるように、時間の経過と共に人の記憶は鮮明さを失って、当事者でないと言う事実から忘却してはいけない事柄を忘却してしまうかのように、ただ強いだけでは忘れてしまう。
だから、潰す。一切合切、戦域に軽々しく入らんとする不届き者への洗礼として、桔梗は中指を折り曲げる。
「解放――太陽」
胸の内に太陽を抱き、天高く飛翔する灰色の灼熱龍。
龍は自らの肉体を構築した光星へと還し、星は真昼の高さに昇った時のような神々しき光を纏って輝き始めた。
白く輝ける煌星が戦域中央に吸い込まれるように落ちて、沈んで空いた巨大な空洞から、輝ける白い柱が天を衝く様に聳え立った。
「本来あなた程度に、力を解放するまでもないのだけれど……悪いわね。今日は、そういう気分なの」
光の柱より現れ出でる。
白銀の甲冑を身に纏った漆黒の巨龍。それに跨る金色の女騎士が握るのは
灰色の翼を広げ、熱波を放ちながら飛翔する龍の頭に、桔梗はふわりと舞い降りる。
「
命を育む生命の光にして、死を齎す旱魃の日。
生死を司る太陽の力を螺旋の槍に変え、高々と掲げられてから、向けられる。
槍の切っ先から螺旋を描く炎が伸びて、槍を這う様にして燃え上がり、廻る。巡る。
拘束から逃れたグレゴリーはミサイルを作り出す事もなく、一目散に背を向けて逃げた。
完全に戦意は喪失している。もう降参しているにも等しいが、灰色の鎧龍に跨る女騎士に彼を逃がす様子はまるでなく、彼女を操る桔梗にも逃がす気など毛頭ない。
漆黒の前髪の下、光を欠いた瞳孔が獲物を捉えて逃がさない。
「第一試合で、あなたと同じ髪の子が負けた時点で降参すべきだったわね。今更、遅いのよ」
刺突獄炎。
螺旋を描く太陽の炎により、滅却。
高々と揚がった炎が悲鳴諸共彼を焼き、戦域全体を焦土に変えた。
「彼以外、戦域に立つ人全て……灰燼に帰す」
一回戦第六試合。
勝つべく人が勝ち、負けるべき人が負けた。
然るべき結果が当然の如く訪れ、何の面白みも無いままに、黒髪少女は己が力を知らしめた。
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