休日の絶滅危惧種の話

 綾辻楓太の母にして芙蓉の妻は、楓太が三歳の時に首を吊った。自害だった。


 後日見つかった遺書によると、楓太を育てる自信がなかったらしいが、それは何も、彼女の心が弱かっただけの話ではない。

 黒髪の子供を産み抱える事となった親ならば、誰もが抱く不安だ。


 事実、黒髪の子供を産んだ母親、もしくは父親が五年以内に自決、無理心中。もしくは、能力発芽前の子供を殺してしまうケースは少なくない。

 後に約束される安定した生活の裏――行動の全てを国という規模に監視され、戦争となれば黒髪の子供を戦線に送り出さなければならず、そうと知らない人達から後ろ指を指されながら生き続ける未来を描き、耐え切れないと早計を決めてしまうのである。


 だからこそ芙蓉にとって、夫を交通事故で喪いながらも、黒髪の桔梗を育てていた花梨という存在は、とても心強くて魅力的だった。

 前の妻程ではないものの、愛くるしく思える人柄があり、黒髪の子供を抱えてでも、育てたいと言ってくれた彼女には、感謝している。


 だからこそ、彼女には自分が黒髪である事を隠匿する催眠以外は掛けていない。

 前妻の自害は愛故に、一切の催眠を掛けず、彼女の心に委ねてしまったのが原因であるのだけれど、花梨ならば大丈夫だと思えたからこそ、下せた決断だった。


 彼女は誰よりも、子供達を愛している。


「……二人はまた、みたいだな」

「はい。ただ、最近は頻度が多くて……」

「うん……桔梗の精神状況が、不安定な証拠だな。悪いが、明日からまた長期の留守になる。君にばかり押し付けて、すまない」

「良いんです。あなたはあなたの場所から、私達を護ってくれているではないですか」

「ありがとう。そう言ってくれると、私も嬉しいよ」

「あ……」


 子供達に触発されたわけではないが、唇を食む。

 立ち上がった彼女の肩を抱いてもう一度口付けし、互いの愛を確かめ合った。


  *  *  *  *  *


 初めてキスをしたのは、十歳の時。


 きっかけは忘れたが、お互いにお互いの好意を再確認した日、初めて唇同士をくっ付けた。

 その日から徐々に抵抗は薄れて行って、中学に入る頃には人前だろうと堂々とキス出来てしまえて、周囲からはリア充と呼ばれ、逆恨みされた物だった。


 初めて交わったのは、一五歳。

 二人揃って月詠学園への入学が決まり、中学を卒業した日の夜。


 初めてのキスから五年経ち、いわゆる大人のキスをして、互いの純潔を捧げ合った。

 これから一生、あなただけを愛します。あなたを護ります。あなたのために、この力を使います。そう言った誓いの意味で、愛の営みを交わした。


 〇.〇二ミリの壁さえ邪魔に感じるくらいの熱い営みは、それから頻度を増している。

 キスのきっかけと同じで、桔梗の心が不安定になりつつある証拠だ。

 これから自分が強いられる運命に怯え、他者の温もりを求める彼女の熱はいつだってとても冷たくて、凍えてて、震えている。

 そんな彼女のためならばと、楓太はいわゆるでない限りは、〇.〇二ミリの壁さえ取り払って、彼女が求めるようにした。


 結果的に、彼女を慰める事は出来ている。

 しかし総合的に見て、果たして彼女の救いになれているのか訊かれると自信は薄い。

 頻度が増していると言う事は、彼女の中に巣食う不安と寂しさとが、払拭出来ていない証拠なのだから。


「フゥ太、フゥ太ぁ……」


 別にイヤと言う訳ではない。

 一人の男として求められているのは光栄だし、好きな女の子からなら猶更嬉しい。

 だが、一瞬の快楽に身を投じ、不安や苦痛を忘れるなど、酒や煙草、薬と変わらない。

 自分は果たして本当の意味で、黒園桔梗と言う黒髪の少女を護れているのか否か、判断出来なかった。


 本人に訊いたところで、Yesと返ってくるのは目に見えている。

 そして、彼女の苦痛を理解出来るのは自分しかいない。

 父は基本いないし、花梨には理解が及ばず、変に精神的不安を煽るだけ、と考えてしまう。

 楓太にとっても、実の母の自害の理由が理由だけあって、花梨に二の舞を演じて欲しくないと言う思いが強く、相談出来なかった。


「あなた、だけよ……この髪を触って良いのは、あなただけ、なんだから……」

「うん……嬉しいよ」


 だが一体、他に誰が彼女に寄り添える。

 誰が彼女を支えられるだけの存在になれる。


 今までだっていなかった。

 誰も彼女の味方になど、なってはくれなかった。

 皆が自分自身の利益のために接触してきて、接触しない者も物珍しさからジロジロと桔梗を見て来る第三の加害者だった。


 売られた喧嘩を買って打ち負かすと、周囲は彼女を怪物と呼んで被害者面をする。

 周囲で見ていた加害者らも、自分達は関係ありませんとばかりに一歩線を引いて、味方もせずに無視を決め込む。


 同じだ。

 いつだって同じ。


 興味津々とばかりに見て来る癖して、ちょっかいを掛けて危険と知るや否や、敵と見做して距離を置き、怪物と蔑み、被害者ぶる。

 まるで檻の中の獣だ。動物園で展示されている肉食獣だ。

 危険性は充分に理解しているはずなのに、珍しいからと不用意に近付いて、傷付いて、蔑み、嫌う。

 誰も彼もが身勝手で、自分勝手で、自己中心的で、我儘で――だから守る。

 例え、どんな事をしようとも。どれだけの人を傷付けようとも。どれだけの人を、殺そうとも。


 守ると、決めたのだ。


「フゥ太……もう一回、もう一回……ね?」

「……ん」


  *  *  *  *  *


 翌朝、楓太は桔梗より早く起床した。


 普段は起きれない癖に、学校が休みの日に限って早く起きてしまう。

 昨日の今日で疲れ切っているはずなのに――むしろ、だからこそ意識が覚醒しているのか。

 とにかく一人起き上がって、リビングで煙草を嗜んでいた父と顔を合わせた。

 互いに互いの昨晩については言及を避け、楓太は煙草の代わりに珈琲を淹れる。


「今日は休みか」

「うん。父さんは、今日から仕事……だよね」

「出発は午後からだがな。今回も、長丁場になりそうだ。各国が、来年度に一九となる黒髪の青年らを狙い合っている。日本も、君達の先輩である十六夜蓮華を含めた三八名の今後を決めねばならない」


 蓮華の能力が、世界的に見ても魅力的で、同時に驚異的である事を、楓太も理解している。

 だからこそ、父が蓮華にどのような未来を歩ませたいのか、その考え方を聞きたかったが、父の仕事はの三文字が付く国家機密ばかり扱っている。そう簡単に話せる話はほとんどない。


「おまえは桔梗を守る事に、専念していればいい。あの子の支えは、良くも悪くもおまえだけだ。残念ながら、私や花梨ではどうにも出来ない。せめて学園で、誰か味方に付けられると良いんだが」

「大丈夫だよ、父さん。桔梗は俺が護る。例え、どんな犠牲を払おうとも」

「最終的にはそうするしかないが、今は無理をせずともいい。相手の目的が不明瞭でも、利用出来ると判断すれば、利用してやればいいんだ。何もかもを敵にしていると、余計に事をややこしくしてしまう。これからは、そういう事にも気を配らねばならない。国一つを相手にするような真似だけはするな」

「……気を付ける」

「大丈夫だ。最悪、私がおまえ達を護る。家族を護るのが、私の仕事だ」


 父とはそれ以降ほとんど会話はなく、後で起きて来た桔梗と花梨と共に、仕事に出る父の背を見送った。

 父の言う事は尤もで、自分一人では国など相手に出来やしない。

 年齢的に成人となれば、自分の言動すべてに責任が生じるようになり、全ての責任を負わなくてはならなくなる。

 そうしたら、いつしか守れなくなる日が来るだろう。


 力だけでは、いつしか追い付かない。

 力だけで屈服させられるのは、それこそこの学園内部までの話だろう。

 だからこそ、他の方法を模索しなければならない。力に頼らない。力に屈しない方法を。


  *  *  *  *  *


 同日、十六夜家邸宅。


 父は一般企業に勤め、母はパートタイマーである十六夜家には本来、一般家庭と同じだけの収入しか入って来ない。

 だが、蓮華の能力を知った日本政府より多額の生活補助金が毎月支払われ、邸宅と呼ぶに相応しい豪奢で巨大な家が与えられた。


 賄賂だ。


 家も生活もくれてやるから、蓮華を日本に置いておけ。

 外国からのどんな圧力にも屈せず、蓮華の能力を日本のために活かせと言う沈黙の圧力。

 本音と建前を分け隔て、己が内に秘めた本音を遠回しに発露する、日本人らしい圧力の掛け方だとでも言うべきか。


 それでも十六夜家の両親は圧力に反発する様に今も働き、生活費を稼いでいる。

 国から貰える金が不充分なわけではない。それどころかその金で充分に生活できる上、豪遊し、怠惰に時間を過ごす事も出来よう。

 が、両親は娘に恥ずかしい親と思われたくない気持ちで、他の人と同じように働き、暮らしている。


 お金はいつか、娘が何か必要になった時に。

 黒髪に生まれながら能力を過信せず、むしろ能力を使わずして生きようとしている彼女の在り方が、両親の誇りであった。


 そんな彼女のため、両親が唯一、国から貰った金を使って作って貰った植物園。

 邸宅の真ん中にあるガラス張りの植物園には世界各国の草花が飾られ、己が色で園内を彩り、飾っている。


 中央に置かれた真白のテーブルと椅子が、太陽の元に在る彼女の黒髪を映えさせる。

 彼女が大好きな紅茶の甘い香りと、添えられた小さなカップケーキとが彼女の受験勉強の小さなお供だ。

 昔は家庭教師を雇っていた事もあったが、他国の工作員スパイだった経験があってから、その手の人間は雇わないようにしている。

 家政婦も執事もいない豪邸を掃除するのは大変だと母はよく言うけれど、敵を懐に収めておくよりはずっとマシだ。


 逆に言えば、その時邸宅にいた両親と蓮華以外の人間は、一切の例に漏れず部外者と言う事になる。


さてعندي سؤال君はどこのスパイだろうかतपाई कुन देशवाट हुनुहुन्छ


 刺客は答えない。

 日本政府、アメリカ、インド、ロシア――例を挙げればキリがない。もはや、どこからの刺客かなど関係なく、目の前にいるその人は、敵に違いなかった。

 が、出来る事なら蓮華は確認したかった。

 何せ蓮華の能力は、言語が通じなければ効果がないのだから。


「――!」

「【Wait dead】(死して待て)」


 だがしかし、この程度の英語ならば誰にでも通用するだろう。

 公用語にしている国は多い上、簡単な言語ならどの国でも聞かれる。

 日本のマスメディアを好む外国人も多い昨今、この手の言葉はよく聞いているはずだ。


 襲って来た刺客も例に漏れなかったようで、桔梗の言葉を聞くと前のめりに卒倒。

 落ちた拳銃を拾い上げた蓮華の目の前で、息絶えていた。


 このまま朽ちるのを待てば、そのまま死ぬ。が、そんなつもりは蓮華にはない。待てと命令したのだから、どこのスパイかは吐いて貰わねば困る。

 まぁ、それも能力を使って吐かせれば良いのだが、そうすると刺客は今のように死んで待つ、何て人間らしからぬ技をしてくれなかっただろう。

 蓮華の能力はシンプルに聞こえるが、色々と面倒くさい。


 刺客の服を漁って携帯電話を取り出した蓮華は、日本政府の番号を打って応答を待つ。

 渋っているのか、何度かコールが繰り返されてから、ようやく出た。


『もしもし、どちら様で――』

「【回収しに来て】」


 電話が切れた。

 すぐに来るだろう。


 家にいると、こう言う事が本当に絶えない。

 だから自分を守ってくれるナイトのいる彼女が、羨ましく感じたりもするのだが――


「さすがに、自分勝手かな」


 と、誰もいない静寂の中、蓮華の心の内が漏れた。

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