桔梗と楓と蓮
石を投げられていた。
小さな女の子だ。片手を捻るくらい容易いだろう大の大人達が、何を恐れているのか、小さな女の子相手に「怪物」だの「化け物」だのと罵声を浴びせながら、彼女の手なんて届くはずのない遠くから石や卵を投げて虐めていた。
ただ髪が黒いと言うだけで。彼女の能力が、自分達の規格を大きく超えていると言うだけで。
「止めに行くかい? 楓太」
「止めに行っちゃ、行けないの?」
父は、少年の頭を鷲掴むようにして撫でながら、ゆっくりと腰を下ろす。
息子と対照的な赤い瞳が、目の前に広がる惨劇を憐れむ様子で見つめていた。
「止めはしない。だが周囲は、おまえの行動を理解出来ないだろう。称賛する人もいるだろうが、多くの人がおまえの行動を理解出来ない、と罵るはずだ。おまえは、多くの人達を敵に回す事になる。それでも、おまえはあの子のために、戦えるかい?」
「戦えないかもしれないけど、でも……ここで見ないフリをしたら、僕、ずっと卑怯者のままになる気がする。それは、嫌だ」
「……そうか。なら、行って来い。おまえにしか、あの子は救えない」
* * * * *
「フゥ太……?」
目が覚めると、先程まで石を投げられていた少女――黒園桔梗が隣で眠っていた。
いや、正確には石を投げられていたのは、夢に見た過去の彼女。その時に護り、今日まで護り続けて来た少女が今、ジッと自分を見つめている。
夢に見た過去からは(体格を除いて)大きく成長したはずなのに、向けられる視線はあの時からほとんど変わっていない。
だからと言う訳ではないのだが、いつだって護ってやりたいと思うのは、昔から変わらない眼差しも要因の一つだろう。
「どうしたの? フゥ太――」
寝言で気になるような事でも言っていたのか、心配そうに見つめて来る眉間に唇を落とす。
かぁっ、と照れて頬を紅潮させた桔梗は、照れ隠しに楓太に抱き着き、胸に顔を埋めて隠そうとした。
「……俺は、大丈夫だよ。おはよう、キィちゃん」
「ん」
* * * * *
月詠学園入学から、早一週間。
二日の休みを挟んで、当校六日目。先週の登校三日目。風紀委員から直々に勧誘を受けた二人はこの日の放課後、正式に入会するために風紀委員長の下へと向かっていた。
三日目に実力を試された後、連絡先を交換した愛美からのメールにて日時を指定されたのだが、日にちと時間は向こうの都合と想像さえしなかったものの、場所に関しては勝手に風紀委員室だと思っていた二人は、驚かされたものだった。
「オー。キミ達ガ、レンゲさんの言ッテタオ客サマカナ? 話ハ聞いてルヨ。ドーゾ」
指定されたのは、他の私立学校にもそうはないだろう植物園。
全面ガラス張りのドームの中、環境美化委員の面々が普段から世話をしている草花が、豊かな色彩で彩っている。
教室を埋め尽くす頭髪のそれとは違って、攻撃的な色はどこにもない。
仄かに香ってくる花の匂いが戦意を削ぎ、ここで戦うなと言い聞かせているかのようで、だからこそ風紀委員長も選んだのだと思うと、納得出来た。
「
「……
流暢な英語だった。
帰国子女なのか、それとも今までの努力の結果か。もしくは、能力故か。
副委員長曰く、言霊によって相手を支配、操作する心理介入能力との事だから、多くの人に通用させるために学んだのだとすれば、なかなかに脅威だ。
黒髪だからと、能力に頼って努力を怠らない。敵に回したら一番厄介な相手である。
風紀委員長、
学園長、桔梗と同じ、学園で五人しかいない黒髪の持ち主。
「どうぞ?」
「……失礼します」
彼女と向かい合う形で、二つの椅子が並んでいる。
テーブルには紅茶とお茶請けの菓子が用意されており、一人で先に草花に囲まれながら、ティータイムを楽しんでいるようだった。
が、ティータイムの席には相応しくなかろう物が、テーブルの上に一つ。
彼女の携帯端末が、翻訳機能をオンにした状態で置かれていたのである。
と、彼女は少し時間が経ってから目の前の席に座った二人に向かって。
「
聞きなれない言語を、すぐさま翻訳機が翻訳する。
最初がギリシャ語で次がロシア語らしいが、すでに英語と日本語が出ている今、彼女は四ヶ国語を操っている。そうもコロコロと言語を変えられては、誰も追いつけまい。
「
今彼女は、自分の能力を開示しているのだ。
彼女そのものの言葉に力があり、物を通してでの言語では発動しない事。相手に意味が理解出来ない場合もまた、発動しない事。故に多くの言語をランダムで喋る事で、能力の発動を防いでいるのだそうだが――にしても、だ。
オランダ語にベトナム語と、一体、彼女はいくつの言語を喋る気なのだ。
「
「「はい」」
「
アラビア、スペイン、ドイツと迂回して、ようやく日本語が聞けた。
あらゆる言語を聞いたが、やはり日本が一番流暢で、しっくり来る。
翻訳機越しでずっと喋られると、さながら異星人と会話しているようで落ち着かなかったが、蓮華の口から、ちゃんとした日本語が聞けると安心した。
ただしこの時は気付かなかったが、彼女が今現在披露した言語を母国語とする人達には、彼女の能力が通じてしまう事、彼女が如何に自身の能力に振り回されているのかを証明する事となったわけで、二人はその気になればどうとでも出来ると警告されているも一緒だった。
「黒園、桔梗……」
「綾辻楓太です。よろしくお願いします。あの、失礼ですが、先輩は一体いくつの言葉を?」
「あぁ……まずは日本語。
練習中という二つも合わせ、合計十三。その上、まだ覚えようという姿勢さえ見られる。
末恐ろしい人だ。周囲に気を配るあまり、自分自身の危険度を上げている事に気付いていないはずもなかろうに。
黒髪だからと言うだけで危険視してくる連中からしてみれば、多数の言語を操る彼女は映画にでも出て来そうな、意味不明な言語を操る宇宙よりの侵略者と大差あるまい。
だがそれだけ、彼女の能力は強力なのだ。多くの言語を会得するに至った努力が、そう裏打ちしていた。
「
楓太に視線が向けられる。
あまり自慢が出来る程、饒舌でもなければ流暢でもない。父の仕事相手と挨拶しなければならなかったため、小学生の頃に少し勉強した程度なので。
「
蓮華の後となると恥ずかしささえ感じるのだが、蓮華は上出来だとばかりに笑みを湛える。
彼女は深く頷き、「
「
今度は桔梗へと視線が向けられる。
桔梗は蓮華と相対してからずっとソワソワしていて、落ち着かない様子。蓮華は単なる人見知りとして受け取っているかもしれないが、桔梗はそんな性格ではない。
もしかすると、桔梗は肌で感じているのかもしれない。
能力は三つ。力はきっと自分の方があるのに、どうしても敵わないと感じさせられてしまう、気迫のようなものを。
実際、楓太は鞭で叩かれるように感じている。
能力はおそらく、言語を介しての心理介入ただ一つ。戦闘になれば、桔梗の方が強いかもしれないが、精神を蝕み、支配する能力は力の強弱に囚われる事がない。
構えも予備の動作も必要なく、防御する事さえ叶わぬ魔弾。それが彼女の能力。
となれば、恐れるのは仕方ない。
機嫌を損ねた瞬間に、殺されてもおかしくないのだから。
そんな緊張感を解くためではなかろうが、蓮華は自ら立ち上がって茶菓子を取り分け、紅茶と共に差し出した。
今までも朗らかな笑みを浮かべていたが、より柔和な笑みを湛えて、滅多に対面しないのだろう自分と同じ色の、自分より小さな頭を撫で下ろす。
「これからきっと、多くの障害が待ち受けている事と思う。だから辛いとき、何か嫌な事があった時、遠慮なく私に相談なさい」
「……は、はい。ありがとう、ございます」
紛れもない日本語だった。
そればかりは、言霊を介してでも伝えておきたかったのだろう。
これから桔梗の身に起こる事、過去に自分が経験した事を、伝えておきたかったのだと思うと、隣で聞いていて、楓太は胸が痛くなった。
* * * * *
楓太と桔梗は帰路にいた。
閉門時間ギリギリまで秘密の茶会を楽しみ、三人だけの秘密の話し合いまでして、蓮華とは正体面でかなり仲良くなれたと思う。
桔梗も、初めて自分以外の黒髪の人間と話し合えて、少し楽しそうな姿を垣間見せていた。
そもそも学園に来て、ようやくまともに談笑出来た。二人でようやく、学生らしい事が出来たような気さえして、楓太個人としてはなかなかに充実した時間だった。
が、どうも桔梗がぎこちない。
未だ興奮しているのか、蓮華という存在が余程大きく感じられたのか、ずっと俯いたまま、黙ったままだ。
気分が悪いのかとも思ったが、どうも違うと見た。
「桔梗?」
「……素敵な、人だった、わね」
「……うん。でも、俺は桔梗だけだよ」
どうやら、桔梗は蓮華に女性としての危機感を感じていたらしい。
確かに蓮華は美人であったし、女性的な肢体は多くの男性を虜にするであろう。生まれてこの方切ったことがないという黒髪も、実に綺麗に伸びていた。
桔梗はそんな蓮華に、楓太を取られるのではないかと不安になったようだ。
二人の間にだけ通じる言語があって、自分よりずっと美人で女性的で、黒髪の彼女に。
「ホント、ホント……?」
「本当だよ。さ、早く帰ろ」
「……うん」
二つ揃って、長く伸びる影が繋がる。
並んで歩く帰路。明日になれば、また二人揃って、同じ道を歩いて学校へ向かう。
ただし明日から二人は正式に風紀委員であり、この入会が二人の命運を大きく変動させていくのだが、そんな事を二人は知る由もなく、翌日を迎えた。
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