高校生活編Ⅱ
その戦い、後に『楓魔の戦域』と語り継がれる……
どういった経緯かは知らないが、突如、彼らは掌を返して来た。
入学からまだ二週間と経っていないのに、同じ脅威を目の前にした時、人の団結と言うのは時間に影響されないらしい。
登校初日からずっと黙視し、無視し続けていたクラスの連中が、結託した。
まず下駄箱を開けると、本来そこにあるはずの上履きが燃やされて、黒い炭になっていた。
次に机の中が水浸しで、牛乳が腐ったような腐敗臭。机の上には花瓶が置かれ、萎れた百合の花弁が、悪臭漂う机の上に落ちていた。
横に掛けてあった体操服は袋諸共ビリビリに引き裂かれて、もはや原型すら留めていない。
味方でも敵でもなかったただの傍観者だったクラスメイトらが、突如として敵に回ったのである。
何が要因かはわからないが、裏で誰かが糸を引いているのは確かだ。
でなければ、こうもコロッと掌を返す事もなし、クラスの全員がグルと言う事は、先導者がいると考える方が自然だ。実際、今までだってそうだった。
桔梗を相手に、真っ向から対立したところで勝てるはずがない。そう考え、寄って集って精神的に追い詰めてくるのが、いつだって使われる常套手段だ。
だからもう、桔梗はこんな事では動じない。悲しい事だが、もう慣れてしまったからだ。この程度、もはや悪質とさえ言う事もない。
何より、こんな時のために、楓太がいるのだから。
「フゥ太」
「ん」
周囲は驚いた顔を見せた。
一緒に持っていた桔梗のカバンから取り出したるは、替えの上履きと体操着。
楓太が
「ありがと」
「良いよ、これくらい」
威嚇の意味を籠めて、背後から見ていたクラスの連中に対し、眼鏡を外して眼光を飛ばす。
皆が一斉に視線を外し、加害者もしくは犯人、或いは傍観者と言う名を借りた第三の犯人である事を自白した。その場にいた全員が、目を逸らした。
風紀委員に加入したからには、取り締まるべきなのだろうが、わざわざ犯人探しをするのも手間だ。何より、ここに犯人がいるとも限らない。
電話での詐欺と一緒で、受け子ないし実行犯だけを捕まえても仕方ない。根本――主導者をどうにかせねば、問題は解決すまい。
尤も、現行犯まで見逃すつもりはないが。
「こら、どうした? 予鈴が鳴っているぞ。席に着け」
彼らにとって丁度良く、担任教師がやって来た。
全員で着席し、朝の
「調子に乗ってんじゃねぇぞ」
などと捨て台詞を言われたが、誰が言ったのかわからなかった。
まぁ、脅しというよりは負け惜しみに近く、特別気にするような事もなかったが――行こうとした教室から小さな悲鳴と水の落ちる音とが聞こえた時、楓太は考えるまでもなく駆け出した。
咄嗟の事で止めるのが遅れた男子の腕を掻い潜り、教室の扉を蹴破る。
変態だったり痴漢だったりと、前以て用意されていたような台詞が女子から吐かれている事など気にも留めず、自分の席でずぶ濡れになっている桔梗と、彼女が腕を掴んでいる青い髪の女子生徒との間に入って、桔梗の代わりに腕を掴んだ。
「何? 痛いんだけど……」
「何、じゃない。これは、どういう事だ」
「どうも何も。その子の机が異様に臭かったから、綺麗にしてあげようと思っただけよ。何、文句でもあるわけ?」
「文句以外に何がある。それなら、桔梗まで濡れる理由がないだろう」
「だって、机じゃなくてその子が臭いかもしれないじゃない?」
「臭いの元さえわからないのか。耳鼻科に行った方がいい」
「何ですって?」
険悪な雰囲気の中、双方硬直する。
半ば演技で悲鳴を上げていた女子も押し黙り、これからの展開に不安を抱きながら、怒りに震える二人をただただ黙視していた。
張り詰めた緊張の中、静寂を破ったのは濡れ手で楓太の袖を引く、桔梗の小さなクシャミだった。
「フゥ太。そろそろ行かないと、遅刻しちゃうわ。この程度、そう騒ぎ立てる事でもないわ」
「……わかった」
女子生徒の腕を離し、桔梗の頭に触れる。
彼女を濡らしていた水のすべてが消え去って、制服も完全に乾いていた。
周囲はもちろん、桔梗を濡らした犯人たる青い髪の女子生徒も、驚きで声を失う。熱も風も感じられなかったからだ。目の前で見ていても、楓太の能力がまるで見当を付けられない。
登校初日に戦域で見せた戦いと言い、未だクラスの誰も、楓太の能力に対して明確な考察をする事が出来ないでいた。
黒髪の桔梗を除いて、クラスで唯一、髪の色から能力が想定出来ない。故に、怖い。
「次は容赦しないから」
「こ、こっちの……せり、ふ……」
青い眼光が、最後まで言わせなかった。
最後まで強気でいなければならなかったのに、保っていられなかった。
脚が棒になったかの如くその場から動けず、引く事も尻餅を突く事も出来なかった。
背中を向けた楓太に水を掛ける事も、桔梗に再度水を掛ける事も出来たのだが、先に受けた宣言が体を突き抜けて、何も出来なかった。
何より怖いのは、二人の対応だ。
怒ってはいたが、騒ぎ立てない。パニックにもならない。かといって我慢し、黙りこくる事もない。反撃はいつでも出来るのに、して来ない。
今更ながら、女子は周囲の空気に流されるまま二人を敵に回した事を後悔し、戦慄した。
「いつまで固まっているの? 私達も早く着替えていきましょう?」
「あ、ぁ、ぇ……」
何故そうも気軽に話しかけて来れるのか。
もう訳が分からず、中途半端ながら返事までしてしまって、もう強気を保つどころではなく、加害者の方でありながら泣いてしまいそうだった。
* * * * *
「おまえさ、何なの?」
能力なしの体力測定を行うため、女子は体育館。男子は校庭に集められた。
そこで楓太は唐突に、男子生徒の一人から声を掛けられたのだが、先程捨て台詞を残そうとしていたのと、同じ声色だった。
「なぁ、無視してんじゃねぇよ」
「……藪から棒だな。何なのと言われても、求めてる答えは出せないと思う」
「は。なんだそれ、うざっ。あの黒髪を護ると、おまえになんか
「なんだ、そんな事か。最初からそう言って欲しい。省き過ぎて本題が会話が成り立たない」
「調子に乗んじゃねぇよ。さっさと答えろ」
「……仮に利点があったとして、それを知ってどうしたいんだか。まぁ、強いて答えるなら……俺の、自己満足だ。あいつを護れた、護ったっていう満足感。それだけが、おまえの言う
男は胸座を掴んできた。
周囲は止めさせる様子もなく、むしろもっとやれと言わんばかりの雰囲気。やはりクラスの全員がグルか。
「んなわけねぇだろ。黒髪は将来、国の完全な庇護下に入る。生活は安泰。何の不自由もなく、天皇家と同じように人の税金を使って生きる。てめぇは将来、そいつのお零れでも貰おうって腹だろ? ヒーロー気取りで良い格好して、あの女から搾取しようって腹だ、違うか!」
「……なるほど」
なるほど。
確かに、そう考えるのが普通か。
いわゆる玉の輿――彼の言う場合は逆転した立場だが、どちらにせよ、彼の考え方が普通なのだろう。
だが。
「その発想はなかった」
「は?」
「いや……俺の親が、彼女の親と近々再婚するからな。お零れも何も、俺達は家族になる。貰える物は平等に貰う事になるだろうし……何より、桔梗をそんな風に考えた事は、なかったな」
大人達から石や卵を投げつけられている彼女を護った日から、一度も。
「んなわけねぇだろ。黒髪は全員――」
「絶滅危惧種、か。だが、庇護下に入った黒髪の持ち主が、国から求められているのは何だと思う。庇護下に入る代わり、戦争となった場合には第一線で戦う事だ。そして戦いに負ければ、領土、領海の代わりに差し出され、他国でも兵器として扱われる。戦域なんて仮想の空間じゃない、本物の戦場だ。傷を負えば痛いし、致命傷を負えば死ぬ。そこに行けと、護ってやるからそれくらいはしろと命じられる」
急に饒舌になったので、周囲は驚かされる。
楓太はそんな事など構わず、それだけじゃない、と続けた。
「凶悪犯罪者の捕縛や、テロなどの事件の際に関しても動き、犯人捕縛ないし粛清のため働かされる。どうあれ、生涯で必ず人一人を殺す事を強いられる。死ねだの殺すだのと宣って終わる程、平和じゃない。脅しじゃない。死ねと言って殺しに来る。殺しに来るという宣告もなしに殺しに来る。そういう戦いを、将来強いられる運命にある黒髪の彼女を、護る事の何が悪い――!」
胸座を掴んでいた腕を掴まれ、男は思わず退いた。
自分より細い腕から繰り出されたとは思えない腕力に、骨が軋んだのを感じたからだ。
水を消し去り、臭いを消し去り、カバンには入りきらないはずの量の物を入れて、見た目からは想像付かない身体能力。本当に、どんな能力者なのか見当が付かない。
「国に生活が保証されているのが気に食わないなら、そこらの汚職政治家でも怨んでろ。黒髪はおまえ達の自暴自棄の吐け口じゃない。むしろおまえ達は桔梗に感謝こそすべきだ。人を殺すと言う汚職を、あの子が肩代わりしてくれるのだから」
そう言って、楓太は男子に決闘を申請した。
逃げる事は許されない。喧嘩を売ったのは自分の方で、受けたのは楓太の方なのだから。
向こうが歯向かって来たのなら、迎撃しなければならない立場だ。そこまでする気はなかったのに、男子は楓太を怒らせた事に、今更になって気付いた。
「ウザいでも死ねでも殺すでも、好きに宣えばいい。思う存分暴れてくれて構わない。何せあそこは、誰も死なないという保証がされている――結果的に誰も捕まらない。そうだろう?」
「……!」
「じゃあ、先生来る前にとっとと
「「=戦域展開、解放=!!!」」
二人は戦域に飛び込む。
後に、この戦いは一つの武勇伝的伝説として語り継がれる事となる。
黒い髪の能力者を本気にさせたらどうなるかを知らしめた――
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