第5話 あたいたち戦う!

 森から村にすごい数の狼と蜂がやって来ていた。空は黄色の点が星空みたいにいっぱいあるし、地面は灰色の毛が蠢いてる。


 狼はきっと家畜を食べに来たんだろうけど、蜂さんはなんで……?


「お師匠様、もしかしてあたいたちが蜂を倒しちゃったのがダメだったのかしら……?」

「ああ、倒したところが巣の近くだったか、それともあの蜂が女王蜂のお気に入りだったのか……」


 そういえばでっかい蜂さんは頭が良いんだった!


 あたいの隣でジャンが言う。


「狼はいつもなんとかなってたんだ。だけど、蜂まで相手にするのは……」

「大丈夫だ、任せろ」


 お師匠様が安心させるようにジャンの頭に手を置く。そして目付きは怖いままで笑った。


「なんのための賢者だと思っている」


 そう言って賢者様は人々が緊張したまま固まっているところへ歩いて行った。あたいたちもその後ろをついていく。


 すでに村の人達と話し合っていたルトンさんがこっちを見た。


「おお、賢者様! 皆の者、賢者様がやってきたぞい!」


 人々が“賢者”と呼ばれた男ーーあたいのお師匠様に視線を向ける。その目は不安や、戸惑い、また苛立ちといういろいろな感情が込められていた。


 そのうちの一人の女性が声を上げる。


「あら? いつもお薬をくださる薬剤師様ではないですか」

「……ああ、そうだ」


 にわかに人々がざわめき始める。どういうことだ? 賢者だと? 魔法使いなんじゃ……。なんて声があたいの耳にも聞こえてくる。


 あたいは不安になってお師匠様を見上げる。お師匠様は何も言わず、少しだけ息を吐いてローブの内ポケットから虹色の杖を取り出した。


 神鳥の羽から作られた、あたいも使っていたところを三度と見たことの無い至高のひと杖。


 お師匠様は杖でふわりと優しく空間をなぞった。そして唱える。


「コメット・インフ・オーミ」


 瞬間、杖の先から人の頭と同じ大きさの岩石の形をした無数の質量弾が発生し、空を飛ぶ蜂へ吸い込まれるように飛んでいった。


 蜂に当たった様子を見ていたのはあたいとジャンだけ。村の人々が振り向いた時にはすでに蜂はバラバラと地面に落ちていくだけだった。


「す、すげぇ!」


 我慢できなかったジャンが頬を紅潮させてはしゃぐ。あたいもちょっと興奮して、お師匠様のローブの裾を摘んでぴょんぴょんしちゃったぐらい。


 そして同時に、村の人々に希望が芽生えたのがはっきりと分かった。


 それを受けて、ルトンさんが声を張り上げる。


「賢者様はわしらを助けてくださった! しかし助けられっぱなしになってはわしらの誇りが廃る。狼はわしらの手で討つぞ!」

「「おおお!」」

「わしに続けええぇぇぇ!」


 雄叫びをあげて武装した男たちが狼たちへ立ち向かっていく。


 それを少し眺めてから、お師匠様はリュックの中からたくさんの薬草を取り出して、残った村の女の人達に渡していく。


「これは傷に効く塗り薬だ。戻ってきた男たちに付けてやってくれ。傷口に塗って、布かなにかで巻くだけでいい」


 あたいもリュックを持ってとてとてと後ろをついて回る。あっという間にリュックは軽くなった。


 配り終えて一息ついているところにジャンがやって来た。


「お前のお師匠様やっぱすげぇな! 俺、最初突っぱねた自分を殴りたいぐらいだよ!」

「ふふん、あたいの自慢のお師匠様なのよ!」


 あたいが胸を貼ると、ジャンは笑って「羨ましいぜ!」とか言った。あたいも調子が良くなる。


 お師匠様があたいのところに戻ってきた。


「まったく。小っ恥ずかしいことを俺の耳の聞こえる範囲で言うな」

「あ、お師匠様に聞こえてた?」

「それどころか周りの人々にもな」


 首をめぐらせてみれば、みんなニコニコしてこっちを見ていた。あたいも恥ずかしくなって意味もなくリュックの中に目を落とした。恥ずかしい……。


 そのリュックをお師匠様が持ち上げる。


「俺は万が一の時のために少し前へ向かう。お前はゆっくりしていてくれ。……万が一の時には、頼んだぞ」

「はい!」


 お師匠様が去っていくのを見ながら、あたいはジャンの方へ向く。


「きっとお師匠様も戦うのね!」

「すげぇなあ。毎回来てくれれば村は安心だけど、そんなこと男の俺は言ってられないからな!」


 ジャンもふんっ! と胸を張る。


「でも、ジャン弱そう……」

「う、うるさいな! 俺だって頑張ってるんだぞ! ほら、これ見ろよ!」


 そう言ってジャンが背中を見せる。立派な片手剣が背負われていた。


「じっちゃんから貰ったんだ! これで俺も戦えるんだせ!」

「ほんとに〜?」

「なんだよその目は!」


 だって、筋肉あんまなくて弱々しいし……。あと気迫がない!


 とは流石に口に出さずに心の中でだけ言っておいて、あたいは誤魔化すように笑った。それをジャンは訝しげに見てくる。


 視線から逃れるように顔を背けた。


 その先。


「……え?」


 一匹の狼が迷い込んでいた。


 その牙は、赤く濡れていてーー


 あたいは杖をローブの内から引き抜こうとしたが、震えた手は杖を持つこともままならない。乾いた音と共に杖が着地する。


 不自然な動きをしたあたいにジャンが首を傾げ、あたいの視線を追った。


 ここで「どうした?」と尋ねてこなかったジャンに、あとでありがとうと言いたい。


「ジャン!」


 獰猛な狼の姿を確認したジャンが息を飲み込みーー


「おうっ! 任せろ!」


 勇ましく片手剣を引き抜いて狼へ向けて駆け出した。


 狼も警戒よりも攻撃を優先して四足に力を込め、牙を剥き出しにする。


 その間にあたいは杖を持ち上げた。そして、焦って乾く口で早口に唱える。


「ウォーターカッター!」


 あたいの杖の先から水の刃が迸る。ジャンに当たらないように注意しなきゃ!


 水の刃は狼の足元の土を抉りとり、弾けた土が狼の視界を覆った。


「今よ!」

「ナイスだぜ、ヒヨ!」


 ジャンが勢いよく片手剣を突き出した。


「やった?!」


 あたいのところからじゃ、ジャンの姿が邪魔で見えない。ただ、反射的に“そうであってほしい”と口を突いて出た言葉は――


「――クソッ!」


 ジャンの悔しげな声と、左脚に噛みついた狼を確認して否定された。


 瞬間、あたいの頭の中が真っ白になる。


 あたいの前で、誰かが傷ついたことなんて、これまでに一度でもあっただろうか?


 あたいは記憶の中を探る。ううん、ない。だって、いつもあたいの前を歩いていたのはお師匠様だったから。あたいは、いつも守られる側で――


『ヒヨ。強く生きなさい。そして、誰かを助けてあげられる子になるの。あたしたちと違う――』


 聞き覚えの無い声が、どこかから聞こえた気がした。


 だけど、今あたいがすべきことはそれを気にすることじゃない。


 集中。


 杖を握る。目を見開く。集中して。あたいの杖じゃ、一回が限界なんだから。


「ハイドロ・ウイ・カッター!」


 あたいの杖からメキリと不穏な音がしたと同時に、木の一本ぐらいは貫通できそうな威力の水の刃が生み出された。あたいは尚も杖に魔力をこめる。


 この数秒だけ持って、あたいの杖……!


 全神経を集中させて魔法の軌道を操る。


 弧を描いて水の刃がジャンに傷を付けずに狼の胴体を寸断した。あたいの杖を犠牲に。あたいが殺しちゃった狼とおんなじように、あたいの杖が真ん中から真っ二つに折れたのだった。


「――いってええぇぇぇぇ!」


 だけどそんなあたいの感傷を鮮やかにスルーしたジャンの悲鳴は、ぼうっとしていたあたいの頭によく響いてあたいはふっと我に返る。


 そして急いでリュックを探したけどお師匠様が持って行ったのを思い出してローブの中をまさぐった。幸い一個だけ薬草を包んだ袋が残ってた。


「ジャン! 大丈夫?!」


 すぐに駆け寄って噛まれたところを見る。犬歯が刺さった穴がふたつあって、その穴をつなぐように歯形が残っていた。左脚のすぐそばには、ジャンが自分で除けたのか虚ろな瞳のまま口を開けた狼の半分が転がっている。


 ただその時のあたいは目の前のジャンの手当に精一杯でそんなこと気にしている余裕は無かったけれど。


「ちょっと染みるよ」

「おう……助かるぜ……いてて」


 平気そうな口ぶりを演じて頑張って笑顔を作っているけれど、本当は奥歯を強く噛んで耐えてるのが見え見えだから、あたいは呆れながらもちょっと意地悪をして薬草を付けるときにきゅっとしておいた。擬音だけで察してね!


 涙目になって「おまっ、お前……!」とうめいているジャンを微笑みで受け流してあたいは立ち上がる。


「まっ、今回はあたいが頑張ったんだから、これぐらいの意地悪はね?」

「ね? じゃねーよ! 俺も頑張っただろーが!」

「外してたし……」

「でも選択は間違ってなかったよな?!」

「そんなの知らないよ……」


 真面目に答えると、それはそれで効いたのかジャンがうなだれた。


 ちょっとだけ可哀想に見えてきちゃった……。


「……まあ、でも、かっこよかった、よ?」


 言ってからあたいは妙な気恥ずかしさに襲われて顔を背けた。こんなことお師匠様にもそう何度も言ってないもん!


 ジャンがばっと顔を上げる。すでに涙がこぼれる寸前に見えた表情が、笑顔になる。


「そ、そうか? へへっ……。次はちゃんとやるぜ!」

「次なんて無くていい!」


 もうこんな怖いことはしたくないわ……。


 ふっと沈黙があたいたちの間に落ちる。そして顔を見合わせて、急に破顔して、二人して笑った。


「ありがと、ジャン」

「こっちこそだ。ありがとな、ヒヨ」


 あたいが狼さんから流れた川のような赤い血に気づいて悲鳴を上げるのは少し後だ。

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