書物の示す重み

 発芽したばかりの麦畑が広がるミレの故郷リーウス。そのほぼ中央に位置する場所にミレの実家は建っていた。通り過ぎながら見た他の家屋に比べ、少しばかり大きい家だ。


 ミレは実家のドアを開け中に入る。入って直ぐのテーブルに編み物をする老婆の姿があった。


「お婆ちゃん!」


 ミレは叫び抱きつく。その声を聞き家族が集まってくる。


「お母さん、お爺ちゃん、ただいま! それにヘリアンテス、お姉ちゃんが居なくて寂しかったでしょ!」


 ミレの実家でお婆ちゃんを囲むように六人が顔を合わせる。ミレは家族にノクスを弟子だと紹介する。


「ありゃりゃ、お弟子さんかね? ワシはミレの祖父でアウス、こっちのばーさんが妻のガレシアじゃ」


 ノクスはアウスとガレシアに挨拶する。


「あらそぅ、本当にミレが師匠なの?? 私はてっきり彼氏でも連れて来たのかと思ったわ。ノクスさんよろしくね、私はミレの母のマーテルよ。自分の家だと思ってゆっくりして行ってね」


 品のある笑顔で迎え入れてくれるマーテル。


「ミレ姉の弟子? 何の? ケンカ??」


 ゴンっと弟の頭を叩くミレ。


「ちょっと! 殴らないでよ、だから嫌だったんだよ帰ってくるの……。僕はヘリアンテス、選択を間違えたノクスさんよろしくね!」


 手のひらをノクスの方へ向け、右手を上げる。ハイタッチの経験がないノクスはそっとヘリアンテスの手のひらに触れ挨拶する。


「後はお父さんなんだけど……」


 ミレの疑問に母が答える。


「今は狩に出かけているのよ、夕方には帰るから、それまで村を案内してきたら?」


 ミレは「そうね」と頷き、ノクスを連れて村へ出かける。付いてきたいとヘリアンテスが言うので三人で家を出た。


 もうすっかり春が顔を出すリーウスの村。鳥達はつがいを求めて飛び回り、畑では、新しい命が芽吹く。蝶々は揺れ楽しそうに踊り、野兎がコチラを警戒するように穴から顔を出す。まだ登頂部が白い小さな山から雪解けの水が流れ、サラサラと流れる小川へと合流していく。そこはゆっくりと時が流れる美しい村だった。


 すれ違う人と挨拶を交わし、三人は夕方近くまで村を歩いて回った。


「おーーーい! ミレじゃないか!?」


 遠くからかもを二羽担いだ中年の男性が手を振っている。


「おとーーーさーーーん! たーーだーーいーーまーーー!」


 父に駆け寄るミレとヘリアンテス。


「凄いや! カモが二羽も、今日はカモ肉でパーティーだね」


 ヘリアンテスが嬉しそうに言い、父から鴨を受け取る。


「こらヘリアンテス、姉さんが試験に落ちてるのにパーティーなんて開けないだろ。そちらの方は?」


 ノクスを見て質問する父、ミレが答えようと口を開くが、ヘリアンテスが先に喋る。


「この人姉ちゃんの何だって! 変わってるでしょ?」


 ノクスは苦笑いで父に名前を名乗り、握手を交わす。


「そう、ちょっとだけ魔法と勉強が出来るから弟子にしてるの」

 

 ミレの不思議なモノの言い方にキョトンとなる父。視線はスキエンティア魔術院の金のブローチに移る。


「はい、師匠に魔法を教えています」


(弟子が師匠に?)


 上手く状況が飲み込めない父。


「かっ、変わった師弟関係のようですが、娘をよろしくお願いします」


 深く考えるのをやめる父。


「はい、大切にします」


 ノクスの言葉に少しだけ赤くなるミレ。



♦︎♦︎♦︎



 七人はミレの実家にて、母の作ったカモ料理を楽しんでいた。葡萄酒の力を借り、自慢話に花を咲かせる父。


「俺がノクス君くらいの歳には、一度の弓矢で三羽のカモを仕留める程の腕前だったんだ!」


 鴨肉を頬張り、どうにか上に立とうとノクスに自慢する。家族団欒だんらんの食事が楽しく、ニコニコと話を聞くノクス。


「はいはい、随分と腕が落ちたのね」


 酔った父にうんざりしてミレが言う。食卓に並ぶ二羽分の料理を横目に。


「ムッ! 父親に何て言い方するんだミレ! 父さん悲しいじゃないかぁ。大体なぁ、我がウェール家は狩猟を生業なりわいに生きてきたんだ、それを大昔のが言ったことを間に受けて、結婚もせずに魔法使いなんぞに憧れおっ……て…………」


 途中で酔い潰れ、眠ってしまう父。


「このまま寝かせておきましょう」


 母が言い、旦那に毛布をかける。


「先程の預言者が言った事とは、どういった内容なのですか?」


 ノクスは気になり誰ともなく質問する。


「フェッヘッヘ、随分と昔の話じゃよ。祖先がこの地に根付いて直ぐの頃、一人の年老いた魔女が訪ねてきた。その魔女が言うた言葉じゃよ」


 祖父が説明してくれる。ノクスは無性に気になり続きをうながす。


「その魔女は何と言ったのですか??」


 祖父が続ける。


「その魔女は、自分のことを『先見の魔女』じゃと言った。そして魔女は『遠い遠い未来、この家に世界を変える魔法使いが訪れる』とそう言い残したそうじゃ」


「違う、魔法使いじゃなくてよ! それに訪れるじゃなくて、そうよねお婆ちゃん??」


 ミレは椅子から立ち上がり、祖父の言葉を否定する。助けを求めるように祖母を見つめるミレ。祖母は笑って返事を返す。


「どうだったかねぇ、随分と昔の話しだし、私の父と母も、自分に都合が良いように解釈していたからねぇ。今じゃハッキリとは分からないんだよ」


 ミレは納得していない様子だったが、大好きな祖母の言うことに渋々椅子に座る。祖母はそのまま会話を続けた。


「そしてその魔女は一冊の本を差し出し、その魔法使いに必要な本だと言った。代わりに二つのパンと三つの干し肉を要求したそうよ。ただ食べ物が欲しくて、本に興味を持ってもらえるよう言っただけかもしれないねぇ」


 祖母はクスクスと笑い、ミレの様子を楽しむ。


「その魔女が残した本は、今もコチラにあるのですか?」


 ノクスは祖母に尋ねる。祖母は頷き、暖炉の上にある箱を取るようヘリアンテスにお願いする。ヘリアンテスは箱を取り、ノクスの前へと置いた。


「その箱の中に入っているよ。もう随分と古い書物だから、丁寧に扱っておくれ」


「はい」と返事を返し箱の蓋を開ける。慎重に箱から取り出し表紙を見るノクス。それはとても古い文字で書かれており、千年後の師匠が愛した言語の一つ、トルリア文字で書かれていた。


「あんた頭良いから読めるかもね」


 一緒になって覗き込むミレが言う。


 表紙には『時と生命の考察』と書かれており、千年後の師匠が寿命を十二倍に引き伸ばした魔法の理論と、必要な素材が記された本だった。


 一枚一枚丁寧にページをめくり、ノクスは心が震えるのを感じていた。


(若い師匠は勉強が苦手で、魔法も不得意だった。そんな師匠がどれ程の研鑽けんさんを積み、この本を解読したのか。どれ程の危険を冒し、希少な素材を全て集めたのか……)


 ノクスはミレが抱える、試練の困難さに、待ち受ける運命の過酷さに、胸がしぼられるように苦しくなる。吐き出された心の痛みが、頬を伝い流れ落ちる。


 突然泣き始めたノクスに、静まり返る室内。静寂せいじゃくを、優しい祖母の声が満たす。


「あなたには、何かすべきことがあるようね」


 涙でかすむ視界に、ミレの祖母が映る。そこには千年後の師匠の姿があった。


「師匠の抱える責務に比べれば、私のすべきことなど塵芥ちりあくたのようなモノです。あなたに受けた恩は石にきざみ、必ずや成就してみせます」


 師匠は黙って、ノクスに微笑みかけている。

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