春時雨

 ノクスは朝早くから起きだし(正確には寝ていない)、赤いストールを肩に巻き上からローブを羽織る。スキエンティア魔術院の在校生を示す、世界最古の樹木メトシェラを形取ったエンブレムブローチを胸に付ける。


 金色のブローチは、特級クラスの証だ。


 試験を無事合格して一週間が経った。寝る以外の時間を全て師匠探しにあてたが、徒労に終わっている。


「あぁ、早く逢いたい」


 何度も何度も宿の部屋を往復していると、隣の部屋から足音を注意する声が聴こえてくる。式典までまだ時間はあったが、外で時間を潰そうと宿から出る。


 ノクスは石畳で舗装された道を歩き、広場にある噴水が見えるベンチに腰掛ける。春の日差しを経験したことのないノクスにとって、そのわずかばかりの暖かさは心地良く、太陽を見上げ、顔いっぱいに陽射しをうける。


 空は晴天、街は明るく行き交う人も軽やかに歩いている。心が晴れやかだと、周りの人間も幸せそうに見えた。


 そんな中、一人傘をさし歩く女性の姿が目に止まる。これ程の晴天のなか、彼女の周りにはシトシトと雨が降っていた。


 ノクスはガタッと立ち上がる。


(あの赤毛……)


 ノクスは傘を指す少女に釘付けになる。


 少女は噴水の周りをトボトボとうつむき歩いている。その足取りは重く、遅遅ちちとしていた。


 ノクスは声が出ない。歩み寄ろうと足を出そうとするが動かない。立ち尽くすノクスへ少女の嗚咽おえつ混じりの泣き声が聴こえてくる。


「ゔぇぇぇええっん゛、えっゔぇえぇ!」


 少女の泣く声に、やっと固まっていた足が動く。


 ポケットからハンカチを取り出して少女へと渡す。うつむきながら歩いていた少女は、急に現れたハンカチに一瞬泣き止み、手に持つノクスの顔へと視線が移動する。キョトンとした表情になる少女は、涙が溢れていた為相手の顔がハッキリとは見えなかった。


「お使い下さい


 少女は、ハンカチを受け取り再度盛大に泣き始める。ノクスは落ち着くまで、ゆっくりとかたわで待った。


(美しい赤茶色の瞳……)

 

 少女を打つ雨の勢いも収まり、泣き声も徐々に収まってゆく。ノクスの半身は雨で濡れていた。


「あ゛っあ゛りがどう、 ございまず……」

 

 少女はハンカチで盛大に鼻をかみ、溜まった粘液を出す。時折りヒックヒックと鼻を鳴らしていたが、それも十分程で収まってきた。


「私の名前はヒエムス・ノクスです。大丈夫ですか?」


「はい、落ち着いてきました。……私はウェール・ミレ。このハンカチは洗ってお返しします」


 確証を得られ、心の中で叫び声をあげるノクス。少女はハンカチを汚したことで、少し気恥ずかしそうにしていた。


「気にしないで下さい。それよりどうして泣いていたのか聞いてもよろしいですか?」


 この時改めてノクスの顔をハッキリと認識するミレ。初めて会った同年代の異性の前で大泣きした事実を知り、顔を更に赤らめる。


「朝から気分が落ち込んでいて、その……」


 ノクスの表情を見るミレ。その顔には笑顔が浮かび、慈愛に満ちていた。悪人には見ず、誰かに聞いてもらいたい気持ちもあり打ち明ける。


「杖を握りしめたまま、感情を口に出していたみたいで……。私の悲しみの感情が言葉にのってしまい雨が降り出してしまいました。部屋が濡れると、宿に迷惑をかけてしまうと思い、外をあてもなく歩いていました」


 真剣な表情で黙って聞くノクス。


「外は明るく晴れやかで、本当なら今日から幸せな毎日が待っていたのにと考えると、私だけ不幸な気がしてきて……。涙が止まりませんでした」


 ズキンっと心が痛むノクス。師匠が不幸な状態は自分自信も不幸であるかのように。


「何があったのですか? 何故は自らが不幸だと感じるのか、私に教えて下さい。私にできることなら、不幸を取り除くお手伝いをさせて下さい」


 もし誰かが師匠を苦しめているなら、絶対に許さない。わずかな怒りの感情が、ノクスの心を揺さぶっていた。ミレはノクスの優しい言葉に春の陽射しを感じる。それと同時に違和感も感じていた。


(シショウ……?)


 マジマジとノクスの姿を見る。整った顔立ちに、前髪だけ真っ白な黒髪の青年。記憶を辿るが会ったことは無く、胸にはスキエンティア魔術院の在校生を示すブローチが輝いていた。


「貴方はスキエンティア魔術院の生徒なのですか?」


 ミレはノクスの質問に答えることなく、質問で返す。


「はい、スキエンティア魔術院へ通います」


 ミレはと言ったノクスの言葉に驚きの表情を浮かべる。何を言っているのか分からず困惑する。


(また言った、シショウ……。どう言う意味?? シショウ……失笑?? それとも私の知らない単語かしら……同じ?)


「失礼ですが、ノクスさんが言うシショウとは、どう言った意味でしょうか?」


 戸惑いながら質問するミレ。


「シショウは師匠です。弟子である私が、尊敬する貴女様をそう呼ぶのは、自然なことなのです」


 さも当然と返すノクス。ミレの表情が曇り、瞳にやどった怒りの感情を見逃すほど今のノクスは浮き足立っていた。


「何故私が貴方の師匠なんですか? 今日初めて会ったのに。それにその金のブローチ、それはスキエンティア魔術院の特級クラスの証ですよね!?」


 段々と語尾が強くなるミレに戸惑うノクス。何か師匠の気に触ることを言ってしまったのかと焦り出す。


「たっ、確かにこれは特級クラスのブローチです。ですが同じモノを師匠もお持ちのは……」


「持っていません!」


 ノクスの言葉を途中でさえぎるミレ。先程までと違い、はっきりと表情に怒りが浮かんでいる。


「特級クラスのブローチどころか、若葉色のブローチすら持っていませんっ!! 私はスキエンティア魔術院の試験に落ちています! えぇ、ギリギリで落ちました! 貴方に私の気持ちが分かりますか? 筆記試験が終わり、実技試験の途中で不合格を言い渡された私の気持ちが……、特級クラスの貴方に分かるはずがない! 今でも案内係の少年の、あわれむような悲しむような微妙な表情が忘れられないんです!!」


 凄い勢いでまくし立てるミレ。ワナワナと震え、今にも掴みかかって来そうな勢いだ。オロオロと狼狽うろたえ、どう返事を返せば良いのか言葉が出てこないノクス。


「貴方が何者で、私に何がしたいのか分かりませんが、これ以上馬鹿にするのはやめて下さい! どうぞスキエンティア魔術院の学生生活をお楽しみ下さい。私と貴方が今後関わることは一切ありませんのでっ!!!!」


 呆然と立ち尽くすノクスを置いて立ち去るミレ。ここで離れては本当に逢えなくなると思い、後をついて行くノクス。


 


 

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