桃嫌いの桃太郎と癖の強い三人の仲間

宇部 松清

序文

物語はこうして始まる

 昔々あるところに、おじいさんとおばあさんがおりました。

 おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯をしに行きました。


 おばあさんが川で洗濯をしていると、大きな桃が川上からどんぶらこどんぶらこと流れてきました。おばあさんは川に入ってその桃を捕まえ、たらいの中に入れて、家へと持って帰ることにしました。


「これは美味そうな桃じゃ。じい様と一緒に食べよう」


 この辺りでは桃なんて、なかなか手に入りません。おばあさんは、おじいさんへ良い土産が出来たと喜びながら、えっちらおっちらと桃を運びました。


「ほぉぉ! これまた見事な桃じゃあ!」


 まな板からはみ出るほどの大きさの桃を前に、おじいさんはあんぐりと口を開けました。おばあさんは、家で一番大きな包丁を手に得意気です。


「しかし、川から流れて来るとはのう。川上の村には、こんなに大きな桃が生る木があるんじゃろうか」

「そうかもしれませんねぇ。今度行ってみましょうか」


 そんな会話をしながら、おばあさんが包丁を振りかぶり、えいや、とそれを振り下ろしたその時です。


 その刃先が触れるか触れないか、というところで、その桃はぱっかんと二つに割れ、中から元気な赤ん坊が飛び出したではありませんか。


 二人はその男の子を『桃太郎』と名付け、我が子として大切に育てましたとさ。




 ――から始まる物語である。


 それは間違いない。

 けれど、子のいない老夫婦のもとに突然赤子が現れて、「はい、この子の名前は『桃太郎』です。あっという間に大きくなりました。では、犬猿雉をお供にして鬼退治に参ります」とはならないのである。


 話は赤子が『桃太郎』と名付けられる前、真っ二つに割れた桃の中から飛び出したところに遡る。




「じ、じい様。赤ん坊じゃ」

「赤ん坊じゃ。お、男の子じゃ」


 突然の出来事にへなへなと腰を抜かしたじい様とばあ様だったが、ほんぎゃあと力強く泣く小さな命を前にいつまでもそうしていられるわけもない。どうにか踏ん張って立ち上がると、とりあえず、桃の果肉をつぶし、その汁をたっぷりと含ませた指をおそるおそる口元へ持っていくと、赤子は何の抵抗もなくそれにかぶりついた。


「しかし困ったぞじい様」

「なんじゃ、ばあ様」

「さすがにワシが女でも、この年では乳が出ん」

「おお、確かにそうじゃな」

「かといっていつまでも桃の汁ばかり飲ませるわけにもいかんじゃろうて」

「それもそうじゃ。それにこの桃だっていつかは腐ってしまうじゃろうし」


 桃の果肉を晒しに包み、小さな口でも咥えやすいようにと先端を少し尖らせてやると、赤子は美味そうにそれをしゃぶった。とりあえず当座はこれで凌ぐとしても、いつまでもこうしてもいられない。


「とにかく、この辺りに乳の出るおなごがおらんか探すしかないじゃろう」


 そう言って、じい様はほんのりと桃の香りがする赤子の頭をひと撫でした。赤子を抱くばあ様も「そうじゃな」と頷く。


 すると、ばあ様は妙なことに気が付いたのである。


 この赤子、さっきよりも重くなった気がするぞ、と。

 

 いくら老人とはいえ、毎日野良仕事に精を出していることもあり、腕の力には多少の自信がある。この点においてはまだまだ若いもんには負けん、と自負しているばあ様ではあったが、ふにゃふにゃと柔らかく首も据わっていないはずのその赤子が、何だかさっきよりもずっしりしているように思えてならないのである。


「じい様、ちょっと変わってくれんか」


 持っていられないほどではもちろんなかった。ただ、この違和感をじい様にも伝えたかった。


「おう、どうした」


 いますぐにでも乳母を探しに飛び出したいじい様ではあったが、可愛らしい赤子を抱きたい気持ちは多分にある。

 夫婦仲は良いものの、子宝には恵まれなかったから、きっとその重さも温かさも知らぬまま一生を終えるのだろうと思っていた。そんなところへやって来てくれた小さな命である。となれば、それをこの手に抱きたいと思うのは当然のことかもしれない。


「おお、よしよし。可愛いのう。――おおん?」


 目じりを下げ、優しく左右に揺すっていたじい様が、眉をしかめた。むむ、と唸ってばあ様を見れば、彼女も何やら神妙な顔つきになって、こくりと頷く。


 ――重くなった。いまこの一瞬のうちに。


「ば、ばあ様よ」

「わかるか、じい様」

「何やらずしりと来たぞ」

「じい様、首は。首はどうじゃ」

「首?」

「生まれたての赤ん坊というのは、首が据わっておらんのじゃ。ぐらぐらしとるもんなんじゃ」

「いや、そんなことはない。しっかりしとる」


 ここまで来ると、気のせいでは済まない。

 確かに子を持ったことのない夫婦ではあったが、知識くらいはある。

 子どもの成長は早いものだと聞いたことはあるものの、さすがにこれは早すぎるのではないか。


「ちょ、ちょっと一度下ろしてみようかの」

「どれ、座布団を用意するから待っとれ」

「早くしてくればあ様。何だか手がしびれてきた」

「頑張れじい様、落とすなよ」

「死んでも落とさん」


 とはいうものの、立ったままでは危険だと、じい様はその場に座り込んだ。胡坐をかいてその上に乗せてみると、桃から出てきた時にはしわしわの猿のようだった赤子の身体はぷくりと丸く、ぱぁんと張ってつやつやとしている。間違いない、この子はこの短い間に大きくなっている。


「そら、じい様。座布団じゃ」

「おお、助かった。ほら、坊。ここで寝ろ」


 そう言って、座布団の上に仰向けにしてみると、坊――この時点ではまだ『桃太郎』ではなかったのだ――は、手足をばたつかせてキャッキャと笑い、左右にゆらゆらと揺れ始めた。揺れはやがて大きくなり、しまいには、その反動を利用して赤子はくるりとうつ伏せになった。


 おかしい。

 これは絶対におかしい。


「じい様よ。考えたくはなかったが、もしやこの子は物のの類なのではなかろうか」

「ワシもいま同じことを考えとった」


 桃から生まれている時点で怪しむべき点ではあったはずだが、赤子の可愛らしさに疑うこともすっかり忘れてしまっていた二人である。


 じい様とばあ様は悩んだ。

 何度仰向けにしてもくるりとうつ伏せになる元気いっぱいの赤ん坊に目尻を下げつつも、悩んだ。

 悩みに悩むうち、気付けば赤ん坊はずり這いまで始めていた。紅葉の葉っぱのような小さな手が、ちょん、と二人の膝の上に乗り、団栗どんぐりのような丸い目をきゅっと細めてこちらに笑いかける。


 例えこの子が物の怪でも良い。


 夫婦は同時にそう思った。

 何、多少成長が早いから何だ。乳を飲ませる手間が省けてちょうど良いではないか。幸いなことにこの近くには人も住んでいない。急に小さな子が現れたとて、誰が疑うものか。


 この子はワシらの子じゃ。


 もし本当に物の怪だったとして、成長したこの子に食われるなんてことがあるかもしれないが、どうせ老い先短い人生である。それまでは味わうことの出来なかった子育てとやらを存分に楽しんでやろう。


 そうなれば、名前が必要だろう。どちらともなしに、そう言った。


「桃から生まれたから『桃太郎』じゃな」


 名は安直すぎるぐらいがちょうど良い。じい様はそう思った。そしてばあ様も異を唱えたりはしなかった。

 

 その瞬間をもって、その、桃から生まれた赤子は『桃太郎』となった。

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