エホバには問題がありすぎるが、一人一人の信者は良い人

 そしてその頃招かざる客がくる。

 エホバの証人だ。彼らはとても親切で礼儀正しく優しく穏やかだ。そしてなにより強固な仲間意識を持っている。私は、孤独だった私は、親切にされ慣れていなかったので、エホバの、やさしい思いやりにすぐに虜になった。


 エホバの、当時30歳くらいのお姉さんが、私の悩みを親身になり聞いてくれた。寂しくつらいこと、友達がいないこと、不思議とそのお姉さんにはなんでも話せた。私の、唯一の友人になってくれた。



 その頃、母親は父親にDVをうけていた。アルコール中毒の父親は、ビールを樽いっぱいくらいは呑める。酔っぱらい帰ってきては母親と口喧嘩し、殴るのだ。


 鬼の形相とは、父親のことだった。殺人犯の顔をしていた。理性はふっとびストレス発散のため母親を殴り蹴り痛め付け、泣かせ、気が済むまで暴行し続ける。


 荒れていた。


 母親は、とうとう肋骨を骨折し、入院となった。しかしDVのことを他人に話さなかった。なぜかはわからない。母親がどうして警察に助けを求めなかったのか、その神経がわからない。


 父親は、母親不在のとき、自分の母親つまり私の祖母を家に呼び、私たちの世話を焼かせた。


 母親は、肋骨がなおると、子供をおいて実家に帰ってしまった。離婚する、と決意したようだった。私も、事情を知っているから離婚には賛成だった。母親は、このまま父親といると殺されてしまうと思った。



 そしてこんな荒れた家庭と学校生活の悩みを全部エホバのお姉さんに愚痴っていた。


 神は乗り越えられない試練は与えない、神を信じて祈りましょうというのが答えだった。



 だが、祈っても祈っても、物事は良くはならなかった。


 はじめて心を開いたのがエホバのお姉さんだったから、私の頭の片隅には、ずっとエホバが居座ることとなった。


 そして私は、現実があまりにうまくいかず苦しいため、何故自分は生まれてきたのだろうと、不健康で哲学てきなことを考えるようになる。


 不健康である。


 子供っていうのは頭すっからかんで楽しく何も悩まずたーっくさんあそび、疲れて眠り、お腹がすいたらご飯をたべ、また遊び、というのが理想だ。


 とにかく遊べ、まず遊べ。だ。


 親が不仲だとか学校でいじめをうけるとか、あってはならない。それがどれ程子供の脳を萎縮させるかは、経験者にしかわからない。



 神を信じても、無駄である。神は何もしてくれない。


 近所の親切な人はいろいろ、ためになることをしてくれる。しかし神は何もしない。



 純粋だった私は、小学生のころから、何もしてくれないが神を信じるようになってしまった。これが、第二の人生転落の要因であった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る