逃走-2

 そいつは人のような姿をしていた。

 だが、そいつは明らかに人間ではなかった。その体躯は5mを優に超えている。

 左手には成人男性と同じサイズの銀色の斧を持っており、右手には自らよりも更に大きい金の斧を握っている。その金の斧の刃先は地面に着いており、そいつの後ろを見ると、その斧を引き摺った跡の線が森の奥の方へと伸びていた。

 そいつは茶色く薄汚れたフードを深く被っているため、顔を見ることは出来ない。そいつの目と思わしき2つの真紅の光は、ゆらゆらと揺らめいており、心の奥底から恐怖を感じさせる。

 よく見ると、そいつの服装は薄汚れてはいるものの、どこかの宗教の神官のような服装を身にまとっていた。しかし、目の前にいるこの存在が神官とは思えない。


 そいつから放たれる威圧感と言うべきかオーラと言うべきか、そいつは明らかに生あるものの雰囲気ではなかったからだ。


 さっきの熊とは比べ物にならないほどの存在感に、こびとんやツキミ、さらにはケモ丸までもが額に冷や汗を浮かべていた。

 コバルトは興味深そうに、顎に手を当てながらまじまじとそいつを観察すると、彼は予想外の言葉を言い放った。


「逃げるぞ」


 その言葉を聞いた瞬間、川の下流の方へと向くと、4人は一斉にそいつから逃げ出した。


「ケモ丸、街までの道案内を頼む」

「承知した!」


 コバルトの頼みに、ケモ丸は走りながら大きな声で了承すると、3人の前へと出る。


「こびとんよ、飛べるならツキミを抱えて先に街に向かうことは出来るか?」

「そうしたい気持ちは山々だけど、腹が減ってて飛べないよ!!」

「そうか。なら……」


 コバルトはいきなり立ち止まると、後ろを振り向く。

 コバルトの見る先には、アイツがこちらへと走って来ているのが見えた。


「街はこの川を下っていくだけで良いのか?」

「あぁ、そうだが……。コバルト、まさかお前さん……っ!」

「……先に行け! すぐに追いつく!」

「くっ……かたじけない!」


 ケモ丸はそう言うと、再び街に向けて走り出す。こびとんとツキミも、ケモ丸の後を追うようにして再度走り出した。


 ツキミは走りながら背後を見る。コバルトの背中が次第に小さくなっていく。


「コバルト、大丈夫かな……」

「……さぁな」


 走りながらそう呟くこびとんに、ケモがそう応える。


「大丈夫。こびとんとケモ丸は知らないだろうけど、実はアイツ超が付くほど強いから」


 コバルトのことを心配する2人に、ツキミはそう教えてあげる。


「ツキミ、お前さんアイツのことを知ってたのか?」

「まぁな。知り合いって訳じゃないけど、コバルトの事は多少知ってるよ」

「でもコバルトって、地球の人じゃないよね? なんでツキミが知ってるのさ?」

「まだ内緒かな」

「えぇ〜、教えてよ〜」


 空から落ちている時もそうだが、危機的状況なのにも関わらず、こんなに余裕のある会話が出来るのはなぜなのか。そんな疑問をツキミは覚える。

 まぁ、緊迫感に押し潰されそうになるより余っ程いいけど。


「お前さんたち、喋るのは良いが今は逃げることに専念だ」

「すんません」

「はいはい、分かってますよ〜だ」


 こびとんの返答に、ケモ丸はこびとんを強く睨みつける。


「おいチビ、舌噛みちぎっても知らんからな?」

「ご、ごめんって」


 こびとんは、さすがにふざけ過ぎたと思ったのか、チビと言う単語を気にすることなく、素直に謝った。




 それからは無言でひたすら走り続けた。

 途中で足がもつれそうになったり、石に引っかかりそうになったりもしたが、それでも休むことなく走り続けた。

 全ては時間を稼いでくれているであろうコバルトの為に。


 気づけば、太陽は完全に姿を現しており、先程まで薄暗かった空は青く染まっていた。


 コバルト……早く追いついて来ないかな……。


 そんな心配をしていると、走っている3人の隣を物凄いスピードで通り過ぎる影があった。

 3人は通り過ぎた影の後ろ姿を見る。青く長い髪に、黒い軍服を靡かせて走っている。


「……なぁ、あれって」

「……あぁ、間違いない」

「……やっぱりそうだよね」


 3人は大きく息を吸い込むと、通り過ぎた後ろ姿の持ち主の名前を大声で叫ぶ。


「「「コバルトォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!!!!」」」


 3人のその叫びに、前を走るコバルトは高らかに笑う。


「ふははははははは!!!」

「すぐに追いつくとか言いやがって、追い越すなんて聞いてねぇぞ!!」


 ケモ丸はそれはもう、物凄い形相でそう言い放った。


「知るか戯け!! そんなことより貴様ら後ろを見ろ!!」


 コバルトの言葉に、3人は後ろを振り向く。

 奴は、金の斧と銀の斧をバトンのようにして持ちながら、さながらアスリート選手のような素晴らしい走りをして、じわじわと距離を詰めてきていた。


「アイツ速すぎだろ!!? なんであんな巨体でこんなに速く走れんだよ!!!」


 ツキミはその姿を見て思わず、思ったことを叫ぶ。


「え、なにあれ怖っ!? なんで重そうな斧を2つも持ちながら、あんな綺麗な姿勢で走れるんだよ!! 」


 こびとんも同様、奴の走り姿にツッコミを入れた。


「おいコバルト! どうなってるんだ!!」


 ケモ丸はコバルトに大声でそう聞くと、コバルトは少しだけスピードを落とし、ケモ丸と並走しながらその問いに答える。


「いや、実はな? 彼奴が目の前まで来た時に、「その図体で追いつけると思うなよ? ダイエットして出直して来い!」などと挑発してみたら彼奴、突然、クラウチングスタートの構えをしやがってな。そしたらあーんな速く走れるようになっちゃって。いやー、彼奴の成長スピードは凄まじいぞ! ふはははははは!!!」

「なるほどつまり……」


 ケモ丸はさっきよりも大きく息を吸い込みーー。


「てめぇのせいじゃねぇかクソ野郎ぉぉぉおおおお!!!!!」


 コバルトの耳元で、それはもうとてつもなく大きな声でそう言った。


「分かった。分かった。我が悪かった。まぁ許せ。な?」

「な? じゃねぇんだよ!! 許すか馬鹿野郎!!!」

「まぁ良いでは無いか!! 楽しいだろう?」

「楽しんでるのはてめぇだけだよクソッタレェェェエエエ!!!」

「それでは、先に失礼する!!」

「おいてめっ、待ちやがれ!!!」

「さらばだ貴様ら!! 先に街で待っておくぞ!!! ふははははははは!!!」


 コバルトは高らかに笑いながら、遥か先へと消えていった。


「くそ……! あんにゃろう、なんであんな足速いんだよ!!」


 ケモ丸のその叫びに答えたのは、こびとんだった。


「魔法使ってたんじゃ……?」

「まじ魔法ずる過ぎだろ!! なんでもありじゃねぇか!!」

「まぁまぁ、ケモ丸。そんなにキレないの。とりあえず今はさ……」


 こびとんはそう優しく言うと、ケモ丸の肩を叩いて後ろを見る。ケモ丸も、それに釣られて後ろを振り向くと、さっきよりも遥かに近い距離にアイツがいた。


「すまぬ、取り乱した。そうだな、とりあえず今は……全力で逃げろぉぉぉお!!!!」


 それからはもう、必死になって、ただひたすらに逃げることを考えていた。

 足の感覚? 疲れ? そんなこと知ったこっちゃない。というかそんなものを感じる余裕なんてなかったと言うべきか。逃げなきゃ間違いなく死ぬんだから、ひたすらに逃げる。ただそれだけ。



 ひたすら走っていると、気づけば森を抜け、広大な草原へと出ていた。

 日も照っており、ふかふかの芝生の上に寝転びたくなるが、残念ながら3人にそんな余裕はない。

 だってアイツ、まだ着いてきてるんだもん。


「どこまで着いて来るんだよこいつ!」

「知るか! そんなことより、街を見つけなきゃだなぁ……ん? あれって……」


 ケモ丸は何かを見つけたのか、真っ直ぐ前の方を見る。

 こびとんとツキミも前の方を見ると、遠くの方に何か巨大な建造物らしきものを見つける。


「……2人とも街だ! もう少し頑張るぞ!!」


 ケモ丸の言葉に、こびとんとツキミは頷く。


「「「うぉぉぉぉぉおおおおお!!!!!!」」」


 3人は最後の力を振り絞るように、声を張り上げながら街の方へとひた走った。


 次第に街の姿が大きくなっていき、その全貌が見えてくる。

 それは高さ30メートル程の巨大な城壁に囲まれており、目の前には街の門らしきものが見える。


 そんな城壁の門から、数人の男の人がこちらに手を振っているのが見えた。

 その内の1人はこちらに向けて大声で叫んでくる。


「おーい!! こっちだーー!! 急げーー!!!」


 その声に3人は安堵しつつも、必死に走る。


 そして遂に、男の人の手前まで走り着くと、ツキミの足は突如言うことを聞かなくなりドサッと地面に転がる。

 どうやら、それはこびとんも同じようで、こびとんはツキミのすぐ隣で転けていた。

 ケモ丸の脚はまだ言うことを聞くらしく、ケモ丸は手を膝にして息を切らしている。


 数人の鎧を着た男の人はこちらに駆け寄ってくると、鎧を着たその男たちの中で恐らく、1番歳を取っていると思われる、熊の獣人のおじさんが声をかけてきた。


「ここまで来ればもう大丈夫だ。よぅ逃げ切ったなぁ」


 優しそうなおじさんの口調は聞いた事のない、独特の訛りがあった。

 そのおじさんは鎧を着た男たちの誰よりもガタイが良く、よく見ると腕や脚には傷跡が残っている。

 その風貌はまさに、歴戦の戦士と言った感じだ。


「あの……アイツは?」

「ほれ、あそこにいるべ」


 おじさんがそう言って指さした先は広大な草原にポツリとある小さな丘。その丘の上に、アイツはこちらを見て立っていた。


「アイツは魂の処刑者ソウル・アンリュゾッドと呼ばれててなぁ。特別災害級Special disaster classにも指定されてるおっかねぇ奴なんだぁ」

「な、なるほど……?」


 ケモ丸は聞きなれない言葉に戸惑いつつも、とりあえずアイツがヤバい奴だということだけは理解出来た。


「まぁ、気になるならギルドにでも行ってよぉ。詳しく調べてみるといいさぁ」


 ケモ丸は再び丘の方を見ると、そこにはもう、アイツの姿はなかった。


「あんたらのことはさっきあそこにいた青髪の兄ちゃんがなぁ……ありゃ? どこいっちまったんだろか?」


 おじさんは門の方を見て、後頭部をポリポリとかきながらそう言う。


 なるほど、儂らのことをコバルトが知らせてくれたのか。

 ケモ丸はフッと笑みを浮かべる。


「けもぉ〜」


 そうケモ丸のことを呼ぶのは、鎧の男たちに肩を貸してもらっているツキミだった。相当疲れたのか、彼の顔は眠そうな表情をしていた。


 街に入ったら宿を見つけなくてはいけんな。ケモ丸はそう思いながら、今度はこびとんの方を見ると、こびとんは1人の兵士におんぶされていた。こう見ると、ただの子供にしか見えない。


「ふっ……」


 ケモ丸は口元を手で隠す。いかんいかん、あれを見ていると笑ってしまいそうになる。だが、ここで体力を使う訳にはいかんのだ。


「すぅ……はぁ……」


 ケモ丸は大きく深呼吸すると、街の門の方を見る。するとそこには、コバルトの姿があった。

 コバルトは口に串肉を咥えており、それを食べながらこちらへと来ると、渦の中から串肉を1本取りだし、それを渡してくる。


「食うか?」

「あぁ、いただこう」


 ケモ丸が串肉を受け取ると、コバルトはツキミとこびとんにも串肉を1本ずつ渡す。


 おじさんはそれを見て、「コホン!」と咳払いをひとつ。

 4人はおじさんに視線を向けると、おじさんはその視線を確認して口を開く。


「旅の方々。遠路遥々、ようこそおいでくださいました。冒険者の手によって作られた、冒険者による、冒険者のための街! 冒険者のアルダムへ!」

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