逃走-1

【魔の帝王】……《Endless Fantasy World》において、ラスボスとして君臨していた存在。この世に存在する全ての魔法の祖であり、その世界に平和と秩序をもたらした存在でもある。ちなみにこの情報は、サービスが終了してから開示された情報である。


 エンワドにはじめてログインした時、まず始めにアバターを制作するのだが、種族は人間以外を選ぶことは出来なかった。

 その時、チュートリアルガイドとして女性の声が聞こえてくるのだが。今思い出すと、その声は、あの不思議な部屋にいた、さっきの女の声に似ているような気がする。

 アバターを作り終えると、チュートリアルガイドはエンワドの世界について説明する。その時に【魔の帝王】について触れられるのだが。チュートリアルガイド曰く、【魔の帝王】というのはこの世界を牛耳る独裁者であり、世界を破滅に導く者らしい。


 そんな、世界にとっての悪の存在。【魔の帝王】を倒すことを目標に、プレイヤー達は皆、頑張った訳だがーー。


 世界を救うためにと戦ってきたはずの自分達が、本当は世界にとっての悪であったと知った時、プレイヤー達はどんな感情を抱いたのだろう。


【魔の帝王】の真の設定を知った時……あの時の俺は、どんな感情を抱いたっけ?


 なんだが申し訳なくなったツキミは、地面を見る。


「なぁ、正義ってなんだろうな」


 ツキミは顔を俯かせたまま、目の前に立つコバルトに問う。


「ふむ……」


 コバルトはしばらく考えると、ツキミの問いに答える。


「自らが正しいと思うのであれば、それは正義だ」

「正義だと、正しいと思ってきたことが、本当は悪だったとしたら?」

「悔いているのか?」

「……まぁ」

「ならば同じ過ちを繰り返すことはなかろう。再び正しいと思う道を行けばよい。もし、同じ過ちを犯してしまったのならば、再び悔やみ、改め、また正しいと思う道を進む。それで良い。まぁ、貴様のことを責める者はいるだろうが? 気にする事はない。なぜなら貴様は、正しいのだから」

「……そう……かな」

「あぁ」

「……そっか。うん、そうだよな。なんかそんな気がしてきた」


 ツキミはコバルトの顔を見る。するとコバルトはふっと笑みを見せた。それに応えるようにツキミも小さく笑う。


 その時、森の方からジャリっと石を踏む音がした。

 ツキミとコバルトは、音のした方向を見ると、ケモ丸が頭を抱えて「よっこらせ」と言いながら立ち上がろうとしていた。


 ケモ丸は頭を抱えていた手をおろして、辺りを見渡すと、近くに熊が倒れていることに気がつく。


 ケモ丸はそれを見ると、今度はツキミの方を向いて指をさす。ツキミは小さく首を横に振った。

 すると、ケモ丸はコバルトを指さした。コバルトは「我だ」と言いながら頷く。


「そうか」


 ケモ丸はそれだけ言うと、熊の目の前まで行き、膝を曲げる。


「コバルト、得物を持ってないか?」

「短いものならあるが」

「それを借してはくれんか?」

「構わん」


 コバルトはそう言うと、黒い渦から15センチ程のナイフを取り出し、それをケモ丸に投げる。

 ケモ丸は投げられたナイフのハンドルをパシッと掴むと、何かをし始めた。


 ツキミはケモ丸が何をしているのか気になって傍まで行くと、ケモ丸は熊の解体をしていた。


「あれ? 熊のこと好きなんじゃ……?」


 その質問にケモ丸は手を止めると、ツキミを見る。


「獣は全般好きだ。愛らしいからな。だが、食えん訳では無い。むしろ、肉はよく食う。それに……」

「……それに?」

「熊肉は臭みがあるが美味いからな」


 ケモ丸はジュるりと口端から垂れた唾を飲み込むと、それはもう、楽しそうに解体を再開しだした。

 それを見てツキミは「ハハッ」と乾いた笑いを浮かべると、そーっとコバルトの元へと戻る。


「顔色が優れない様子だが?」

「ちょっと、グロイのは無理だったっぽい……」

「ぐろい……というのはよく分からんが。機嫌が優れぬのなら、少し休め」

「あ、あぁ、そうさせてもらう……うぷっ」


 ツキミは丸太の上に座る。


「ツキミ、大丈夫?」


 そう後ろから声をかけてきたのは、さっきまで崩れ落ちていた筈のこびとんだった。


「こびとんこそ大丈夫なのか? 精神的ダメージ負ってたっぽいけど」

「あぁ、大丈夫だよ。それどころか、あのクソデカ野郎をぶちのめしたい気分さ」


 こびとんはそう言ってケモ丸の方を見る。

 こびとんの背後からは、ふつふつと炎が燃え上がっているように見えた。


 なんか、やる気充分って感じだな……。まぁ、元気になったならいっか。


「うっぷ……」

「これでも飲んでおけ」


 口元を手で抑えているツキミに、コバルトがティーカップを差し出す。

 ツキミはそこに入っている温かいハーブティーを飲むと、少しだけ吐き気が和らぐ。


「ふぅ……ありがと。少しマシになった」

「やっぱハーブティー有能だね。ねぇコバルト、俺にもくれない?」

「ふむ……」


 コバルトはこびとんをじっと見ると。


「断る」


 そう言った。


「なんでさ!?」

「だって貴様、元気なんだもん」

「いやいやいや、さっきまで精神的ダメージで倒れてたし? 少しくらい……」

「嫌だ」

「えぇ〜、いいじゃんかよぉ〜」


 そんな2人の会話に、コバルトってそんな口調も出来るのか。とか思いつつ、ツキミはハーブティーを飲み干すのだった。



 それからしばらくして、空から星々が姿を消し、明るくなり始めた頃。

 熊の解体を終えたケモ丸が、ナイフを返しにコバルトの元へとやってくる。


「良いナイフだな」


 そう言ってケモ丸が渡してきたナイフをコバルトは受け取ると、黒い渦の中に仕舞いながら言う。


「そこまで良いナイフではないと思うのだが……?」

「あの熊の甲殻が滑らかに切れるほどのナイフがか?」


 ケモ丸のその発言に、ツキミとこびとんは熊がいた方を見ると、熊は部位ごとに綺麗に解体されていた。

 熊の甲殻は、何枚かのプレートようにして重ねられており、その切れ目は滑らかなもので、ナイフの切れ味がどれほど良いのか想像もつかない。


「うむ。そうだが?」


 貴様らは何を言っているんだと。そう言わんばかりの表情を浮かべるコバルトに、ケモ丸は「常識が通用しない」とため息を吐く。


 エンワドの世界だとこれくらい切れ味良くないとやって行けないんだ。ましてや、コバルトはそんな世界のラスボスだから、これがあまり良くないナイフになってしまうのは仕方ないんだ。コバルトに地球での常識は通用しないんだよ、ケモ丸。


 ツキミは、そんなことを心の中で呟いた。


「あ、そうだ。コバルトよ」

「なんだ?」

「あの解体した熊って、お前さんの渦の中に入るか?」

「あの程度なら造作もない」


 コバルトはそう言うと、解体された熊に手を向ける。

 すると、部位ごとに切り分けられた熊の上に、それを包み込めるだけの巨大な黒い渦が現れ、それは熊の部位を全て吸い込んだ。


「魔法って……なんでもありだね」

「復活したばかり故、魔力があまり回復していないが、この魔法は魔力消費が少ないのでな。容易いものだ」

「ほぉ、魔法とは便利なものだな」

「そうでもない。攻撃魔法はデータ量によって魔力消費量が変化する。発動したい魔法のデータ量が膨大であればあるほど、魔力消費量も比例して増大する。つまるところ、魔力に頼りきりということだ」

「そのデータ量ってのはどういう意味なんだ?」

「ん……? あぁ、それは……なんだろうな? 考えたこともなかった」

「なんだそれ」


 コバルトの不可思議な言動に、こびとんはクスッと笑う。


 コバルトが口にしたデータ量とは恐らく、運営がプログラムした魔法の過程や結果、グラフィック等のことなのだろう。と、ツキミは考えた。


 ケモ丸がパチンと手を叩くと、少し大きめの声で言う。


「さてと! お前さんら、腹が減ってるだろう。熊肉も手に入ったことだし、食事にしようじゃないか」

「さんせーい!」


 ケモ丸の食事の提案に、こびとんは手を挙げて賛同する。


 ツキミはコバルトから貰ったクッキーで空腹という訳では無いが、それでも多少腹は減っていた。

 ツキミがクッキーを食べている時、2人は倒れていた為、まだ何も食べ物にありつけていない。相当腹が減っているんだろうなと、ツキミは思う。


「コバルト、収納して早々すまないが肉を出してくれ。あとさっきのナイフも頼む」

「構わんが……」


 そう言って黒い渦を手の上に出現させると、なにか見えているかのように、何処か虚空を見ながらコバルトは言葉を続ける。


「部位はどれだ?」

「脂身、赤身のバランスが良い部位だ」

「部位の名は?」

「ロースだな」

「ふむ……これか」


 コバルトが小さくそう言うと、黒い渦からケモ丸の言っていた通りの、脂身、赤身のバランスが良いブロック肉が出てくる。それと一緒に、先程のナイフも出てきた。

 コバルトはそれらをケモ丸に渡すと、ケモ丸はまるでりんごの皮を剥くかのように、器用に薄く切っていく。


「ツキミ、平たく大きな石を洗って持ってきてくれるか?」

「分かった」


 ツキミはケモ丸の指示通り、暗い視界の中、平たく大きめの石を見つけると、それを川で洗って持ってくる。


「それを、半分だけ空気の通り道を空ける感じで焚き火の上に」

「おーけー」


 ツキミが平たい石を、空気の通り道を気にしつつ、石の半分だけが火に当たるように焚き火の上に置くと、濡れた石は直ぐに乾き、高温に熱せられた石焼プレートへと変わる。


「本当なら溶岩が良いんだが、そんな贅沢を言う訳にもいかんからな」


 ケモ丸はそんなことを言いつつ、切った肉をプレートの上に置いていく。

 切った肉は、熱々の石の上に置かれると、ジュワーっと食欲をそそる音を鳴らして、一回りほど小さくなる。

 肉の焼く匂いが漂い始め、その匂いは空腹感をより一層強いものへと変える。


 こびとんは、口の中に溜まった唾を飲み込むと、今か今かと待ちわびた表情で、石のプレートの上で踊る肉たちを凝視する。


 その匂いと音はどうやら、コバルトも惹き付けたようで、コバルトはゴクリと喉を鳴らす。


 無理もない。コバルトもクッキーを食べたとはいえ、たかが数枚。腹が減らない訳が無い。

 現にツキミも、腹の虫が泣き出しそうなのを感じていた。


「これだけしっかり焼けば問題ないだろう」


 ケモ丸は火傷しないように慎重に素手で肉を手に取り、口の方へと持っていく。



 DOOOM。



 そんな鈍く大きな音が、どこからか聞こえてきた。


 コバルトは腕を組んで音のした方をじっと見る。

 ツキミは胸元から数枚の御札を取り出すと、そこに"何か"の力を込める。すると御札は、ぼんやりとした金色に光り出す。

 こびとんは何かを掴むようにして手を横にすると、そこに様々な色の光の粒が集まると、こびとんの手の内に蔦が絡み合って出来たような弓が出来上がる。


「はぁ……」


 せっかくありつけた飯を目の前に、ケモ丸はクソデカ溜め息を漏らす。

 ケモ丸は手に持っていた肉を口の中に放り込むと、丸太から立ち上がり、音のするほうを見つめた。


 音のした方の木々から体力の鳥たちが、空に向かって一斉に飛び立つのが見えた。



 DOOOM。



 再び鈍い音が聞こえてくると同時に、今度は木が折れる音が聞こえてくる。余程強い力で折られたのか、その音は落雷の音のようにも聞こえる。


 しばらくして、重厚感のある足音らしき物音が聞こえてくる。その足取りは遅いようで、落ちている木の枝を踏みつけながらも、確実にこちらへと近づいてきているのがわかる。


 やがて、その足音の持ち主は、山脈の隙間から顔を出した太陽と共に、森の奥から姿を現した。

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