終わりなき理想の世界

「……だ……ぶか……きみ? ……おい、ツキミ? 」


 ケモ丸が心配そうな顔でこちらを覗いていた。

 ケモ丸の後ろに見える空は、少し煙たいようにも見えるが、そこには間違いなく無数の星が光っていた。右の方からはパチパチと焚き火の音が聞こえてくる。空が煙たく見えるのは、焚き火の煙のせいだろう。


うなされていたが、大丈夫か?」

「……あ、あぁ」


 ゆっくりと上半身を起こし、頭を横に振ってぼやけた意識をふき飛ばす。


「もう、大丈夫」

「多分、慣れないことばっかりだったろうからね。今はゆっくりしときな」


 そう言ってこびとんが白いティーカップを渡してきた。ティーカップからはほんのりと甘い穏やかな香りが漂ってくる。


「あ、いい匂い」

「ハーブティだって。その香りには心を落ち着かせる効果があるんだってさ。そうだよね?」

「あぁ」


 こびとんの声に、そう短く答えたのは、木に体重を任せて立っていたコバルトだった。

 コバルトはこちらに歩いてくると、隣までやってくる。


「その香りは心を落ち着かせる鎮静効果や安眠効果、神経性の不調や消化管系の不調にも効くと言われている」

「このお茶、ちょー有能じゃん」

「本当に効くかは分からん。だがまぁ、気休めにはなるだろう」


 俺は何度か息をふきかけてから、ティーカップを口につける。

 1口飲むと、暖かいハーブティが食堂を通っていくのを感じる。


「ほっ……」

「少しは落ち着いたか?」

「うん、そんな気はする」

「そいつはよかった」

「ところで……」

「ん? なんだ?」


 コバルトは首を傾げる。

 俺は、空中にいる時から気になっていたことを口にした。


「そのティーカップとか紅茶とかハーブティとかどっから出してんの?」


 ケモ丸とこびとんも気になっていたのか、コバルトに視線を向ける。


「あぁ、それはな……」


 コバルトは右の手のひらを上に向けると、手のひらの上に謎の黒い渦が現れる。

 そこから、細かな金の細工が施されたガラス製のティーポットが出てきた。そのティーポットには温かな紅茶が入っている。


「こういう事だ」

「いやどういう事だ」


 コバルトのその答えに、ケモ丸がツッコミを入れる。

 俺はその光景を見て、思ったことをそのまま口にする。


「魔法みたいだな……」

「魔法だからな」

「ですよねぇ」


 何となくそんな気はしてました。ファンタジーな生き物がいる世界ですもの。魔法がない方がおかしい。てことはあれかな? この世界は剣と魔法の世界なのかな?


「魔法か……」

「貴様らの世界にはなかったのか?」


 コバルトの質問に、初めにケモ丸が応える。


「魔法はなかったな。儂は妖術というものが使えるがな」


 なるほど、ケモ丸は妖術が使えるのか。てっきり神社に祀られてるから神様かと思ってたけど、実は妖怪だったり?

 ケモ丸に続いて、こびとんがコバルトの質問に答える。


「俺のは精霊術だね。魔法とは違って、精霊の力を借りるんだ。この世界にも精霊はいるようだし、多分使えると思うよ」

「妖術に精霊術か。聞かぬ名だな。精霊術とはエルフが使う術のようなものか?」

「さぁ、そのえるふってのがどんな術を使ってるのかは分からないからなぁ」

「そうか。して、ツキミだが……お前さんのそれは、神共と似たようなものを感じるな」


 コバルトはこちらをマジマジと、特に胸の辺りを見てそう言った。

 恐らくコバルトは、最初から俺の持ってる"謎の力"に気づいていたんだろう。だけど、神と似たようなもの? 俺が持つこの力は神の力とでも言いたいのだろうか?

 コバルトのその言葉を聞くや否や、ケモ丸は俺の目の前に来る。


「すまん。少し触れるぞ」

「あ、あぁ」


 真剣な顔をしているケモ丸に、俺は少し不安を感じながら頷いた。

 ケモ丸は服の上から心臓がある辺りを触ると、「ふむ……」と小さく呟き、服から手を離す。


「やはり、これは神籠かみかごだな」

「神籠? なんだそれ?」

「神籠とは言わば、人に神の力が宿ることを言う。主に身の危険を感じた時に宿ることが多い。所謂、火事場の馬鹿力と言うやつだ」

「なるほど?」

「だがそれは、その時だけしか神の力は宿らないはずなんだ。神の力は人間には強大すぎる。神の力を数時間も宿していれば身が滅ぶはず。しかしこれは……ツキミ、お前が力を使えるようになったのはどのくらい前だ?」

「4年前……かな」

「うぅむ……どうやら、お前さんの中で儂にも分からん事が起こっているようだ」


 その言葉に一気に不安になった俺は、不安の言葉を零す。


「大丈夫なの?」

「あぁ、 何がどうなっているのかはまるで分からんが、お前さんの身体には一切の負担がないようだ」

「そっか……」


 ケモ丸の答えに、俺は安堵した。


 その時、突如謎の寒気が背中を走った。

 どうやらその違和感に気づいたのは俺だけではないらしく、ケモ丸とこびとんもとある一点の方向をじっと見つめる。

 コバルトもその方向を見ているが、警戒しておらず、呑気に紅茶をすすっている。


「来るぞ……」


 ケモ丸がそう言うと、闇夜の森の奥からそいつはゆっくりと現れた。

 5mはあろうかと思われる巨大な体躯。丸太のように太く、装甲のような赤い甲殻がついた前腕。その先の手にはつるぎような大きく鋭い爪が生えている。頭部から背中にかけて赤い堅殼で守られており、下半身や腹は柔らかそうな黒い毛皮に覆われている。

 その瞳は赤く光っており、開いた口からは鋭利な牙が顔を覗かせていた。


「熊……なのか?」


 ケモ丸の独り言に、コバルトが答える。


「こいつは赤鎧熊せきがいゆう。ベニシュラとも呼ばれる魔獣だ」

「魔獣……つまり獣か!?」

「ん? あぁ、そうなるが……」


 それを聞いたケモ丸は警戒態勢を解くと、両手を広げ、ゆっくりと近づいていく。

 突然、様子を変えたケモ丸をこびとんは呼び止めようとする。


「ちょ、何してんだよ!」

「黙れチビ!」

「なっ……ちび……だと……」


 チビという言葉が余程心に刺さったのか、こびとんはその場に崩れ落ちた。

 ケモ丸は気にせず熊に近づいていく。


「大丈夫、怖くないぞ〜。儂はお前さんの味方だ」


 俺は地面に倒れ伏したこびとんに駆け寄り、ケモ丸の方を見る。

 ケモ丸は、一歩一歩、丁寧に歩みを進めていき、熊の目の前までたどり着く。


「そうだ。いい子だ」


 ケモ丸は熊に優しく声をかけると、熊はその声に応えるようにケモ丸に顔を近づけ始めた。

 すげぇ……。俺は期待の目でケモ丸を見る。


 熊はケモ丸とほぼゼロ距離まで顔を近づけると、ゆっくりと口を開きーー。


「あっ……」


 次の光景に思わず声が出た。

 ケモ丸の頭が、熊の口の中にすっぽりと収まったのだ。


「くっ……くはははははは!! 馬鹿だ! 馬鹿すぎる!! 」


 腹を抱えながらコバルトはそう言った。これには同意せざるを得ない。

 目の前の光景に、俺は思わず苦笑いを浮かべる。


 熊が口を開くと、ケモ丸は頭から血を流しながら、その場にバタリと倒れた。


それからしばらくして、コバルトの笑いが収まる。

熊は一向にその場から動こうとはしない。


「はーっ……笑った笑った」


 コバルトは人差し指で涙を掬うと、「さて……」と小さく呟いた。そして、熊をマジマジと見つめだす。

 しばらくして、コバルトは何かに気づいたのか、少し目を開く。


「もしや……」


 コバルトはそう言うと、熊の方へと歩き始めた。

 熊がその場から1歩も動くことはなく、コバルトは熊のすぐ前まで来る。


「やはりそうか」


 何かを確信した様子のコバルトは、手を熊の頭にかざす。


「今、楽にしてやろう」


 コバルトの手のひらが、ぼんやりと青色に光りだす。


「安らかに眠れ」


 その声に、熊は赤い瞳を閉じ、まるで眠りにつくかのように横に倒れた。

 コバルトは近くに倒れているケモ丸を見て「はぁ」と面倒くさそうにため息を吐くと、肩を貸すようにして引きずり、焚き火のすぐ側に寝かせる。そして、再び謎の黒い渦を具現させると、そこからティーカップを取り出し、焚き火の近くに置いてあった丸太の上に座って紅茶を飲み始めた。


 俺は近くで崩れ落ちている奴のことを思い出し、そいつを見ると、こびとんは下を俯いていた。こびとんは物凄く小さな声で、何かをボソボソと呟いている。


「こ、こびと〜ん?」

「チビ……俺がチビ……俺がチビ……」

「こびとんはチビなんかじゃないさ。少し背が小さいだけで……」

「ははっ、分かってるさ。この中だと俺が1番チビってことくらい」

「え、えーっと……どうしよ」


 俺は困り果てて、紅茶を飲んでいるコバルトに助けを求める。

 コバルトはティーカップを右手に持つ小皿の上にカチャリと置くと、一言だけ口にした。


「放っておけ」

「あ、はい」


 俺はその言葉通りに、その場を離れ、コバルトの隣に座った。


「食うか?」


 コバルトが渡してきたのは、クッキーだった。

 恐らく、あの渦から出したのだろう。


「あ、食べる」


 俺はそれを遠慮なく受け取り、1口かじる。


「うまっ……」

「そうだろう」


 コバルトは少し嬉しそうにそう言った。

 ここで、俺が疑問に思っていたことをコバルトに聞いてみる。


「なぁ、紅茶とかこのクッキーとか、あの渦から出したんだろうけど、どっから調達してきてんの? もしかして思い描いたものなら何でも出せるとか……」

「そんな訳なかろう。あの魔法は物を収納するものだ」

「じゃあこれってどっから持ってきたんだ?」

「あの女がいた部屋からだが?」

「え……いつもの間に」

「あの女が笑っている間に、あの部屋にある菓子や茶はあそこにあるだけ全て取ってきた」

「俺が思うに、多分あの女の人って神様みたいな感じだよな?」

「あぁ、その通りだ」

「つまりあの女の人はこの世界の女神様ってことだろ? その女神様から気づかれずに物取れるって、コバルトって何者なの?」

「気になるか?」


 コバルトはニヤッと笑みを見せる。

 うーん、どうしよ。めっちゃ気になるけど、聞いたら不味いかもだし……いやでも、気になる……!

 俺はゴクリと唾を飲み込んで、コバルトの目を真っ直ぐ見る。


「ちょー気になる」

「……よかろう。教えてやる」

「おぉ!」


 コバルトは1度、紅茶を飲むと、自分のことについて話し始めた。


「ある日、突然この世界は全ての動きを止めたのだ。まるで、命の灯火が消えたようにな。それが起こったのが今から約6000億年ほど前の事だ」

「はぇ?」


 あまりのスケールのでかい話に、思わず間抜けな声が出る。

 約6000億年? まるで実感湧かないんだけど。

 やや混乱気味の俺を無視して、コバルトは話を続ける。


「かつて我は、海で起こった出来事を、陸で起こった出来事を、空で起こった出来事を、この世界の全てを知っていた。全てを知っていたからこそ言えることがある。どうやら今のこの世界は、我が生きていた世界とは少し違うようだ」


 コバルトは帽子の鍔を握りながら、夜空を見上げる。


「星の位置は、今も昔も変わらんな。果たしてこの世界がどう変わっているのやら……」


 何処か楽しげに、コバルトはそう言った。


「おっと、そう言えば我が何者かについてだったな」


 コバルトは話の本題を思い出すと、こちらを向くようにしてその場に立ち上がる。

 1度、深く帽子を被り直すと、焚き火を後ろにして、大きく両手を広げた。


「我が名はコバルト。世界の支配者であり、【魔の帝王】と呼ばれし存在ものである。ようこそ、異世界からの来訪者たち。歓迎しよう」


 コバルトは今、自分のことを【魔の帝王】と。確かに、そう呼んだ。エンワドをプレイしていたものならば誰もが聞いたことあるその言葉。



【魔の帝王】。その言葉を彼の口から聞いて、天音は確信した。この世界は、『Endless Fantasy World』の世界なのだと。

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