目を開くと、ぼやけた視界に白い天井が広がっていた。背中にベッドの温もりを感じる。

 身体を包んでいる毛布を退かし、背伸びをすると、ベッドから降りて時刻を確認する。壁にかけられた時計の短針は6時を、長針は27分を指し示していた。


 大きく背伸びをしてからベッドを降り、机の上に置いていた眼鏡を耳にかける。


 クローゼットを開けて中学校の夏の制服を取り出し、欠伸をしながらそれを着ると、机の横に置いてある肩掛けカバンを手に取って自室を後にする。

 廊下に出ると、隣の部屋から女の子が出てきた。

 ボサボサの黒髪に着崩したパジャマ姿のその子は俺に気づくと、しばらく寝ぼけた顔でこちらを見てくる。


「……あ、おはよぉ。お兄ちゃん」

「おはよう」


 妹とのいつものやり取りを済ませると、1階から俺たちを呼ぶ声が聞こえてくる。


「2人ともー! 起きなさーい!」


 その声に俺は、手すりから顔を覗かせると、階段の下にエプロン姿の母がいた。

 母は俺の姿を確認すると、「あら……」と声を漏らす。


「朝ごはん出来てるから、顔洗ってきなさい」

「分かってるよ」


 母は俺の返事を聞くと、「そう」とだけ言うとリビングへと向かった。

 俺は母の姿が見えなくなってから、後ろにいる妹の方に振り向く。


「ほら、顔洗うよ」

「ん……」


 と妹は、目を擦りながら小さく返事をした。俺は妹の手を掴むと、ゆっくりと階段を降りる。

 1階に着くと、俺は妹の手を引っ張りながら洗面台へと向かった。


 洗面台の蛇口を捻り、先に妹に顔を洗わせる。

 妹は何度か顔を洗い、タオルで強めに顔を拭くと、先程までの眠そうな顔ではなく、スッキリとした顔が鏡に写る。


「目ぇ覚めたか?」

「うん! バッチリ!」


 妹は元気よくそう言うと、リビングへと向かった。


「あんた、制服は?」

「ん? あっ……」


 俺が顔を洗おうとすると、そんな母と妹の会話が聞こえてきた。その後すぐ、誰かがドタドタと忙しなく階段を上っていく音が聞こえてくる。

 俺はふふっと笑いつつ、冷たい水を顔に押し当てた。


 タオルで顔を吹いてリビングに行くと、机の上に4人分の朝食が並べられており、スーツ姿の父が一足先に食事をとっていた。

 父は部屋に入ってきた俺に気づくと、よぅ。と片手を上げる。


「おはよう。天音」

「おはよ」


 父との朝の挨拶を交わし、俺は床に鞄を置き、決まった席に着く。


「いただきます」


 手を合わせてそう言ってから、朝食に口をつけた。。


 しばらくして、部屋の向こうから忙しなく階段をおりる音がしたかと思うと、小学校の制服を雑に着こなした妹がリビングに入ってくる。

 そんな慌てた様子の妹に、台所にいた母がエプロンで手を拭きながら声をかける。


「そんなに急いでどうしたの?」

「え、だってもうすぐ7時……あ……」


 妹はリビングにある時計を見る。その時計は7時ではなく、6時43分を指していた。

 妹は大きく息を吐くと、何も言わずに俺の隣の椅子に座る。


「部屋の時計、そう言えば10分早めてたんだった」

「いい事じゃないか」

「あはは……過去の自分のおかげで遅刻は無くなりそうだよ」


 妹はそう言って手を合わせると、小さく「いただきます」と言って朝食を食べ始めた。母も、エプロンを椅子の背もたれにかけてから座ると、いただきますをしてから朝食をとる。


 朝のニュースを耳に入れつつ食べ進めていると、父が1番に食べ終わった。そを見た母は、台所に向かう。


「ご馳走様でした。それじゃ、行ってきます」

「いってら」

「行ってらっしゃ〜い」


 俺と妹がそう言うと、父は椅子の横に置いていた黒いカバンを取り、リビングを出た。

 そのあとを追うようにして、母が弁当を両手に持って玄関へと向かう。


「あなた、これ」

「ありがとう。行ってきます」

「気をつけてね」


 そんな短い会話が、リビングの扉の向こうから聞こえてきた。

 玄関が閉じる音がすると、母がリビングに戻ってくる。


 それから10分くらいかけてご飯を食べ終わると、食べ終わった皿を台所に持っていく。

 床に置いておいた鞄を肩に掛け、リビングを出ようとすると、妹が声をかけてくる。


「あ、お兄ちゃん」

「ん?」

「早く食べるから、ちょっと待ってて?」

「わかった」

「えへへ。ありがと」


 俺は妹のその言葉を聞いてから、リビングを出た。


 五分ほど経っただろうか。しばらく玄関で待っていると、ランドセルを背負った妹がやってくる。


「お待たせしました!」

「まったく……調子の良い奴め!」


 ビシッと敬礼する妹に、俺はデコピンという制裁を与える。


「あぅ!」


 おでこを抑える妹を見て小さく笑うと、学校指定の白い靴を履く。


「ほら、行くぞ」

「うん!」


 そう元気よく返事をした妹は、靴のマジックテープをビリビリと剥がしだす。

 妹が靴を履き終わるのを待っていると、リビングから母が出てくる。


「車には気をつけるのよ?」

「分かってるよ」

「はーい!」


 妹が靴を履き終えて、立ち上がるを見てから、俺は玄関を開ける。


「じゃ、いってきます」

「いってきま〜す!」

「はい、行ってらっしゃい」


 母の見送りの言葉を耳に、俺は妹と共に家を後にした。


 小学校と中学校はそれぞれ別の場所にあるのだが、途中にある交差点まで道が同じため、俺と妹は毎日こうして一緒に登校している。


 昨日の学校での出来事や、教師の愚痴やら、他愛のない話をしながら通学路を歩くこと20分。別れ道の交差点のすぐ近くまで来ていた。


「ーーでさ、その先生がね? ほんといただけなくて……あっ」

「ん? どうした?」

「そう言えば今日、日直だった」

「時間大丈夫か?」

「走れば間に合うと思う! それじゃお兄ちゃん、また帰りに!」


 そう言って妹は、交差点へと走り始めた。

 俺は交差点の信号を見る。小学校へと続く横断歩道の信号は青になったばかりだった。


「おい、いきなり走ったら……」


 飛び出しを注意しようとすると、妹は既に横断歩道を渡り始めていた。

 やれやれと言わんばかりに息を吐いたとき、俺は妹の右側から猛スピードで突っ込んでくるトラックに気づいた。

 妹を見ると、トラックには気づいてない様子だ。


 妹を呼び止めるよりも先に、俺の身体は動き始めていた。

 体育祭の短距離走とは比べ物にならないほど無我夢中に走る。その時、視界で動く光景は全てスローモーションのように映し出されていた。


 妹は突っ込んでくるトラックに気づいたのか、右側を見ると、その場に転けてしまう。


 まずい!


 俺はさらに必死になって走った。

 トラックが来るよりも先に、俺は妹の元にたどり着く。


「ほら、急いで!」


 俺は妹を立たせようと妹の手を引っ張りあげるが、妹は腰を抜かしてしまったのか、妹は立ち上がろうとしない。


 クソっ! このままじゃ、妹を助けるどころか、俺も死んじまう!


 俺はこの状況を打開する策を脳をフル回転させて考えるが、そんな策は何ひとつとして思い浮かばない。


 せめて妹だけでも……。


 俺は妹を見る。

 妹は俺の制服の裾を掴んで、涙を浮かべながらこちらを見て小さく言った。


「……お兄ちゃん……」


 その表情は、俺に「逃げて」と、そう言いたげだった。

 あぁ、そんな顔されたら、お兄ちゃん余計に助けたくなっちゃうじゃないか。俺だって死にたくない。かと言って、妹が死ぬのを目の前で見届けられるほど、俺は強くない。


 欲張りなのは分かってる……。でも、それでも俺は、俺と妹が助かる未来に生きたい……!


 その時、唐突に心臓に猛烈な痛みが走った。

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