第7話 地下アジト潜入~虫の息~

 洗脳を解かれたマーシャの瞬間移動で、俺たちは聖令都市オルセートの大聖堂から宿屋に移動していた。

 だが、すぐに歓楽都市カディノの宿屋へと飛び立った──マーシャの意向で。


「はぁ、はぁ……!」

「おい大丈夫かマーシャ。めちゃくちゃ泣いてるぞ」

 たいして魔力も残っていない状態で連続して長距離移動したせいか、マーシャはボロボロ涙を流している。

「さ、さすがに無茶しすぎたみたいね……。でも──」


 呼吸を整えたマーシャは、涙で濡れたマフラーに顔を埋める。

「なるべく今日のうちにアジトへ近づいておくべきよ。明日使う魔力は少ないに越したことはないもの」


 何かを警戒している様子だ。


「アジトは明日、もぬけの殻になるんじゃないのか?」

「留守番がいるのよ。《むし使い》のペトラ、気を付けたほうが良いわ」


 それだけ告げると、マーシャは部屋に入って行った。「今日は限界……」と付け足して。


「クラウスさん……」

 クレアがローブのそでを引っ張ってくる。一瞬ヒヤッとして振り返ると、表情をくもらせていた。どうやら「お任せ下さい!」と意気込んでみたものの、今になって不安になってきたらしい。


 ──マーシャと行動することに対して。


 洗脳が解かれて危険性がなくなったとはいえ、身体に刻まれた恐怖を忘れられないのだろう。俺は選択肢を間違えないよう慎重に、クレアの肩を叩いた。


「設置式ワーナー・ドレイン、なるべく強力なやつを仕掛けておこう。おまじないみたいなものだが、無いよりは幾分いくぶんかマシだろう。今度はうっかり触らないようにする」


 もしも再びマーシャが洗脳されて襲ってきたとしても、クレアを殺すようなことは無いはず。本気でやろうとすれば、あの時簡単に殺せたはずなのだから。何かしてくるなら、それはやはり人質として利用すること。


 その時にこの罠は効いてくる。


「ありがとうございます……! 何となく、気持ちの半分くらいは優しさでできているような魔法ですね。やっぱり、ダークプリーストのわりに優しいです」


 クレアはうつむいたまま、何かを決意したかのようにぎゅっと拳を握りしめた。残りの半分の気持ちって何だよ……。

「じゃあ、俺たちも早めに休むか」



 部屋で一人、横になった俺は考えた。もしもマーシャが再び洗脳されて。さらに凶悪になって見境なくクレアを殺そうとしたら、その時は。


 マーシャを殺す。


 ……?


 なぜ俺は、ありもしない妄想を膨らませているのか。なぜクレアのことを気にかけているのか。

 出会った頃は封印されないかと警戒していたはず。思っていたよりもか弱いプリーストだと分かったからか?


 いや、違うな。彼女がいなくなっては平和な冒険者ライフを維持できないからだ。公に認められた守護聖徒との協力関係、失うわけにはいかない。俺のためにも、クレアは死なせない。

 『洗脳』……嫌な言葉だ。





 ──翌日。


「準備は良い? 行くわよ、つかまってて!」

「あ……」


 俺たちはマーシャの瞬間移動でアジトへ向かおうとしていたのだが。マーシャに触れていないと一緒に飛べないらしい。当たり前か。

 俺はクレアに仕掛けていたワーナー・ドレインを解除した。危うく、かなめのマーシャが再起不能になるところだった。


「? どうしたの?」

「いや、何でもない。早く行こう」


 気を取り直してマーシャの肩に掴まると、俺たちは宿屋から姿を消した。





 ──暗い空間。

 むき出しの岩肌で囲まれたこの場所は、怪しい教団のアジトと呼ぶにふさわしい雰囲気を匂わせている。


 忘れずにクレアにドレインを仕掛けつつ、暗がりに目を慣らして奥のほうを見やると。

 どんよりとした黒髪の少女。両目にかかるほど前髪を伸ばした少女が立っていた。


 《むし使い》のペトラ、聞いていた通りの風貌だ。前髪の奥からのぞかせる灰色の瞳は、思っていたよりもはるかにすさんでいる。


「何なの? どういうつもり──」

「ごめん! 事情が変わっちゃって」


 申し訳なさそうに手を合わせたマーシャは、次の瞬間。


「ね」


 先手必勝とばかりにペトラの背後に回り込み、ナイフを突き立てる。一緒に移動した俺もドレインを忍ばせた手で掴みかかる。


 ──が、俺たちの攻撃は黒い壁にはばまれた。壁というよりこれは、羽虫の大群だ。


 とっさに後ろへ下がったところで、羽虫が一斉に襲いかかってきた。全身にまとわりついてくる。これはなかなかいやらしい攻撃だ。


 とはいえ、俺とは相性が悪かったようだ。軽く力を込めてドレインを発動させると、一匹残らず地面へ落下した。数は多くとも、一匹あたりの魔力量は少ない。多少のドレインで簡単に吸い尽くせる。


 これなら、たとえクレアに取り付かれてもワーナー・ドレインだけで充分に対処可能だ。


「次はこちらの番だな」


 俺が足を踏み出した、その時。


 ネチャッ。


 何だ、この不快な感覚は?


「《死後粘着》」


 しまった、罠か! 足が動かない。


「《針の蟲露むしろ》」


 四方から蜂の大群が集まってくる。他の虫も操れるのか……!

 小さな羽虫はフェイクどころか、次の手へ繋ぐ足掛かり……こいつ、手練れだ。戦い慣れている!


「させない!」


 マーシャが体当たりで突っ込んでくると同時に、クレアの目の前へ瞬間移動してくれた。


「守護せよ──《プロテクト・シェル》!」


 追ってきた蜂の大群の前に、クレアの光の障壁が立ちはだかる。球状の障壁はあっという間に蜂で埋め尽くされた。ぶぶぶ……と嫌な羽音が四方八方から鳴り響く。

 逃げ道なし。これは絶望的な状況だろう──普通なら。


「お願いします、クラウスさん!」

「《サーワル・ドレイン》──壁渡り──」


 光の障壁越しにドレインを放つと、全ての蜂が魔力を失って障壁から滑り落ちた。勝負を急いだのがあだとなったな。せめて半分くらいは手元に残しておくべきだっただろうに。


 不快な羽音はもう聞こえない。アジトに静寂せいじゃくが訪れ、戦いの終わりを告げている。あとは本体のペトラだけ。と、クレアが光の障壁を解除したところで。


「ひぃっ……⁉︎」


 マーシャが口元をマフラーで押さえ、顔を引きつらせた。

 何だ、あの▪︎▪︎は……?


 ペトラは、服をまくり上げていた。腹部に模様が浮かんでいる。

 四つの黒い丸、サイの目状に並んだその模様が、線で結ばれていく。

 みるみるうちに、黒いひし形が完成した。


「──刻印解放《腹のむし》──」

「これが、私の使命。刺し違えてでも、あんたたちをここで殺す!」


 魔力を失って倒れていた虫たちに、魔力が注がれる。浮かび上がり、凝集していく虫たちはやがて一体の巨大な蟲へと変貌した。

 何だこれは……膨大な魔力を感じる。禍々まがまがしい気配、さすがにヤバそうだ。


 俺のドレインで吸い尽くせるだろうか。いや、その前に反撃を喰らうに違いない。マーシャの瞬間移動でかわせたとしても、防戦一方の未来は避けられない。



「──《メル・トジコ》──彼の者を、封印せよ!!」


 しかし、唐突に放たれた強烈な光の登場により。


 巨大な蟲は埋葬された。


 そうか、封印魔法は複数相手には弱いが、相手が一体なら。どれだけ強くても関係ない。ジャルメラの時とは反対だ。


「今度こそ、私が守ると決めたんです」


 凛とした表情でペトラとの距離を詰めるクレア。今日のクレアは何だか輝いている。


「な、なんで守護聖徒がこんなところに……」

 封印魔法は想定外だったのか、戸惑うペトラ。

慈悲じひ深き我らがしゅよ。願わくば、恒久こうきゅうの平穏を与えたまえ──残念ですが、平和な世界にあなたは不要です」


「ま、待ちなさい、おね──」

 魔力を使い切ったペトラは無念の表情を浮かべながら、静かに封印された。



「手強い相手だったが、おかげで助かった。ありがとう、クレア」

 今日はクレアの背中が大きく見える。俺はゆっくりと近づき、肩を──危うく叩きそうになった。おっと、罠はまだ健在だ。


 ……?


「クレア……?」


 そうか、封印には反動があるんだったな。ちょっとした吐き気をもよおすらしい。


「げほっ、うぅ……う……」


「〜〜ぉ〜〜え……ぇ……」




 クレアは▪︎▪︎▪︎吐いてしまった。額に汗を浮かべ、見たこともないほどの顔色の悪さで。


〝あともう少しで▪︎▪︎なんです〟


 俺は不吉な言葉を思い出した。


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