第8話 悲劇の全包囲

 教団のじゃ教徒《むし使い》のペトラを封印したクレアは、ついに嘔吐おうとしてしまった。


 今までは多少の吐き気をもよおす程度だったのに……。

〝あともう少しで▪︎▪︎なんです〟


 まさか、百人目を封印した代償だとでも……?


 いや、待て。


 今回は人ならざる者も封印した。巨大な蟲。あの蟲が悪さしているのだとしたら。

 封印してはいけなかった……? あるいは、何らかの罠という可能性もあるかもしれない。



「うふ。うふふふふ」


 突如、岩肌に囲まれた暗い空間に響き渡る声。



 不敵な笑みを浮かべていたのは、マーシャだった。

 寒気がする。

 まるで黒と白を混ぜたら何故か紫色が生まれたかのような不気味さを、彼女の表情から垣間かいま見た。



「何を……笑っている?」


「どうかしら?」





▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎冒険者を、封印してしまった気分は?」



 な、何……?


 なんて言った?



「ペトラは、蛇教徒なんだろ……?」


「私の黒い瞳、綺麗でしょう? ▪︎▪︎なの」


「は?」


「──つなぐ視野《へび》──」


「教祖ベルモンド様がご覧になった景色を、私もることができる」


「たとえば、私が留守の間にこの地下アジトへ冒険者たちが乗り込んできた様子とか」


「たとえば、ベルモンド様や他のメンバーの力で、彼らをおもてなしした様子とか」


「たとえば、最後の一人。ペトラだけをこの《開かずの間》に閉じ込めたこととか」


「そして、ベルモンド様が彼女の名前を書き残されたこととか」


「全て、はっきりと。えていたの」


 なんだと……。


「あれから丸一日、ペトラもお腹を空かせていたでしょうに。封印しちゃうなんて、血も涙もないのかしら、ね?」


「あぁ……ああぁああ、ぁあああ!」

 取り乱したクレアがペトラの墓にしがみつくと、内側がけて見えた。中の少女は目の端に涙を浮かべている。


 くそ、マーシャを意識しすぎていた。留守番だというペトラの話。疑ってはいたが、聞いた話と目にした光景があまりにも合致しているものだから信じてしまった。


 こいつ……!

 いや、落ち着け。


 俺まで取り乱したら終わりだ。よく見ればこの空間、ご丁寧なことに出入り口が無い。《開かずの間》というのは本当なのだろう。


 普通に脱出するならマーシャが必要。しかし、この様子からすると──


「『再び洗脳されているのだろう』、かしら? 黙りこんで考えていることは」


「昨日の夜、か?」


「洗脳されていたのは、果たしてどちらでしょうね?」


「何……?」


「瞬間移動の発動条件。私がドレインのトラップに掛かった時に気付いたのでしょう?」


「『瞬間移動ができるなら、たとえ手が吸い寄せられていても逃げられるはず。逃げられなかったのは、〝手を叩く〟という発動条件を満たせなかったからではないか』、と」



 手を広げて熱弁を振るっていた彼女が。


「ごめんなさいね」


 次の瞬間には。


「本当は通れるの、ほんの少しの魔力で」


 いつの間にかクレアの頬に手を触れている。

 そして、ドレインの罠が発動するその刹那せつなに。


「見えない〝みち〟を、一瞬で──」

「ね?」


 俺の背後からささやいていた。



「嘘、だろ……それじゃまるで──」


「捕まえてほしかったの、あ・な・た・に」


「っ……!」

 振り向きざまに放ったサーワル・ドレインは空を切る。すでに彼女との距離は開いていた。


「──瞬間潜行せんこう《蛇のみち》──」


「目で見たほうへ忍び寄る力。正しくは、〝眼〟に焼き付いた景色へ移動する力。つまり──」


「あなた達が私を大聖堂に連れていってくれたおかげで。私に素敵な景色を見せてくれたおかげで。〝眼〟を持つ他のメンバーもできたの」

早かったけど、あの後すぐに」


 は……?


「大司教へのの様子、知りたくない?」


 目の色ひとつ変えずにのたまうコイツは……。


「わ、わわ、私のせいで……私の、せいで……私の……」


 懸命なクレアをもてあそんだコイツは……。


 魔族よりも……はるかに魔族だ……!



「そういえば、ちゃんと名乗っていなかったわね?

 私はマーシャ・フルーゲル。逆目さかめ円蛇えんじゃナンバー2、〝みち〟を極めし《蛇道じゃどう》のフルーゲル」


「あなたたちはもう道を踏み外してしまった。善良な冒険者を手にかけた者同士、これから仲良くしましょう? さんたち」


 悪魔のようなコイツを、生かしておいてはいけない。


「お前を──殺す」


「あら、できるかしら? 逃げ場のないこの状況で、あなたに?」


「っ……!」


「お友達になれるかと思ったのに、残念だわ」

「このアジトも見つかっちゃったみたいだし、お別れしないとね。またここでお茶会でもしましょう?


 ──生きていれば、ね」



 パチン、とマーシャが指を鳴らした途端。


 岩で築き上げられた空間。

 その天井が、一斉にガラガラと崩れ始めた。


 馬鹿な、そこまでするのか⁉︎ 簡単にアジトを……。

 マーシャはすでにいない。残されたのは俺と打ちひしがれたクレアのみ。


 考えろ、時間がない。


 このままでは終わりだ。抜け出すためには……いや、しかし。どうすれば良い。何が正解だ? クレアは今、拳を握りしめて震えている。どのみち俺がやらなければ。


 ん? 拳を握りしめて……?


「守護、せよ! 《プロテクト・シェル》!!」


 響き渡る詠唱は、崩落の轟音を押し返すかのようにはっきりと聞こえた。さっきまで項垂うなだれていたプリーストが、今は天を見上げている。


「私は……守っているつもりで、何も守れていなかった……けど! 今は守る人がいる……目の前に、守るべき人がいる! 守護聖徒として……あなただけは、必ず守ります!!」


 目に涙を浮かべているとは思えないほどの、頼もしい言葉。


 強い子だ。


 こんな状況でも人として、人間として、尊厳を守ろうとしている。魔族とは大違いだ。守護聖徒とはいえまだ二十年も生きていないその小さな背中で。一体どれほどの重荷を背負ってきたのか、想像もつかない。


 だが、落石の勢いが強すぎる。無数の岩石が球状の障壁を打ち破るべく次々と降り注ぐ。このままでは……。


「くっ、うっ、魔力が……!」


 俺も応えなければならない。

 もう──賭けるしかない!


「魔力供給《アッタエル・ドレイン》!!」


 なりふり構っていられない。できるだけの魔力をクレアに注ぎ込む。仕掛けていた設置式のドレインが、魔力の架け橋を加速させる。




 …………。


 ……。


 岩雪崩なだれは収まった。


 光の障壁は最後まで俺たちを守り切った。

 

 障壁なき今、ペトラの墓から発せられる青白い光だけが、狭い岩のドーム内を照らしている。


「や、やった……やりましたよ、クラウスさん!」


 ペトラの墓の後ろから、クレアの声が聞こえてくる。墓が次第に小さくなっていく。クレアが手をかざしたのだろう。小さくともなお輝きを放つ石。

 天然石のペンダントはさぞかし似合うのだろうが、しばらくそのままにして欲しかった。


 その顔は見たくなかった。


 賭けは──▪︎▪︎に終わっていた。


「はっ⁉︎ ……えっ……え……? クラウス、さん?」


 彼女が驚いたのは、俺が倒れていることなどではなく。


 立ち上がる黒い瘴気しょうき

 目をおおいたくなるほどの、▪︎▪︎の証。

 ほの暗い空間を煮詰めるほどの絶望だった。


〝正気を失うと瘴気が発生し、魔族へと変貌する〟


 あの日のクレアの言葉を思い出す。


「どうして……何で……?」

 戸惑いを隠せないクレア。


「は、《ハイメルト・ヒール》……!」

 意味のない回復魔法をかけてくる。


「はぁ、はぁ……!」


「どうして……私の、せい……? どうすれば……」


「……魔族になったら、手遅れ……」


「……やだ……」


「じ、慈悲じひ深き我らが主よ。

 願わくば……うっ……うぅ……。





 ……助けて……」



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