第12話 地下都市の“王”Ⅰ



 § 1 §



 式典から数か月後、アースガルド軍に所属する新人兵士は、上司からの命令により、式典を騒がせた2人の暴徒の調査を行うこととなった。

 1人は、あろうことかバルドル様に偽装した少年。もう1人は、その少年の共犯と思われる男。その後者の方は、シグトゥナでは有名な人物であったため、名前は思いの外すぐに割れた。


 男の名前は、ニド。シグトゥナの裏街道で主に活動している男で、この街の住民たちから彼についての話を聞き、その身辺調査を始めた。


 しかし、


・証言1 証言者『とある娼館の店主』

「ニド? 確かにうちの常連だけど、普段どこにいるかはわからないねぇ」


・証言2 証言者『馴染みの娼館の娼婦』

「知ってるわよ、ニド。でもあの人、自分のことはなーんにも話さないから。ねぇ、それより、今からアタシと遊ばない?」


・証言3 証言者『荒くれ者たちのリーダーの男』

「ニドだぁ!? 奴の居場所なら、オレ様の方が知りてーよ!!」


・証言4 証言者『情報屋の青年』

「知らないよ。アイツの行動範囲はこの辺だったけど、たぶん拠点はシグトゥナじゃないと思うよ。…別に、どうでもいいけど」



 結果、この“ニド”という男は、シグトゥナという街を歩き回りながらも、誰も彼のことを知らなかった。故に彼の素性どころか、拠点すらも把握には至らなかった。


 ニドという男は、身元すら不明なバルドル似の少年なんかより、余程気味の悪い人物であるという印象を受けて、調査は終わった。最後に、新兵は報告には書かなかった自分の感情を思い浮かべた。



 新人兵は、言い知れぬ恐怖を感じていたのだった。



 § 2 §



 太陽の光が届かないユグドラシルの太い根に覆われ、隠された地下都市の朝は、とても清々しいとは言えなかった。

 そんな地下で5度目の朝を迎えた白金色の髪プラチナブロンドの少年は、常人よりも早い回復力で身体の方は完治に近い状態まで戻り、ベッドから起きて外を自由に歩けるくらいにはなっていた。

 少年は、世話になっている“シフカ”という女性の家の傍の岩の上に座り、人差し指を振っている。ただ指を振っているというわけではなく、少年は空中に“ルーン文字”を描いては、それが消えていくのを繰り返していた。


「…やはり、魔術式自体が使えない。恐らく、体内のルーンの“”が欠損してるせいか」


 少年の言う、ルーン増幅器官というものは、術式を使う魔術師にとって、なくてはならない大切な臓器である。


 ルーンとは、ユグドラシルの根が地中深くに潜り込み、地上へと吹き上げている、目には見えないエネルギー物質のこと。これを使って“文字”を描き、魔術式を構築する者のことを『魔術師』と呼ぶ。しかし、魔術師は空中に漂うルーンを自由には使えない。そこで必要となってくるのが、ユグドラシル出現後に生まれた人間の中で、先天的に備わっていた新しい臓器。心臓の一部が変化して付随したその器官こそ、『ル

ーン増幅器官』である。これを先天的に持っているかどうかで、魔術師になれるかなれないかが決まる。

 増幅器官は、酸素と一緒に体内に入ってきたルーンを貯め込み、使用する際に術師が使えるように変換し、主に指先からペンのインクのように放出される。普段、空中を漂うルーンは細かすぎるため、そのまま“文字”を描くことはできないが、器官内で液体のように変換することで、人間はルーンの術式を使えるようになる。

 故に、増幅器官を持たない者は、生まれつき術式を使うことができない。


 そして、今の少年にも、その増幅器官は存在しない。

 少年の身体は、オーディンの弟で科学者の双子―“ウィリ”と“ヴェーイ”によって、バルドルの遺伝子とエプレ細胞をもとに造られたもの。本物オリジナルであるバルドルには、もちろん増幅器官が備わっていた。それが再現されていない、ということは、ということである。

 これにより、少年は酒場でのラウドとのやり取りの中で生まれた疑問を一つ、解明することができた。


「だからあの時、ルーン魔術が発動しなかったのか」


 以前、自分に危害を加えたラウドに対し、攻撃系術式を発動しようとしたが、それは発動しなかった。その原因は、そもそも術式に必要な器官がなかったことにあった。

 自身の中で納得し、諦めて岩から降りると、1人で地下の町をリハビリがてら散策し始めた。


 目覚めてから3日は、まともにベッドから起き上がることもできなかったため、この町の中を見ることはなかった。4日目の昨日も、まだ辛うじて歩けるだけで、シフカの家の周りを少し歩くだけに留めていた。

 そして今日、初めてこの町を歩く。

 太陽の光が届かない薄暗くジメジメとした町の中は、町の人々が建てた民家がポツリ、ポツリ、と間隔をとって並び、路上の隅で質の悪そうな野菜や果物を売る露店がいくつかあるのみで、店と呼べるような場所はない。

 その町の中心には、この地下で唯一。そして、そこには誰かの石碑が立っている。これが誰のものかは、少年はよく知らない。

 それをなんとなしに見つめていると、後ろから軽く肩を叩かれ、振り向くと少年の知っている男の子が立っていた。


「ここにいたんだね! 探したよ」

「“フレード”。なにか用?」


 “フレード”は、少年が世話になっているシフカの息子である。年齢は10才くらい。無愛想で素性のわからない少年に対しても、フレードはこうして人懐っこく接してくるのだ。


「もう1人で歩けるんだね。元気になったら、ここからでていくの?」

「いや。まだそこまで決めてない。どうして?」


 少年の今後を異様に気にしているフレードは、気恥ずかしそうにモジモジしながら小さな声で本音を漏らした。


「だ、だって、お兄ちゃんがいれば、ニドもずっといてくれるもん」


 あぁ、そういうことか、と少年は納得した。

 フレードは、自分の家に居候するニドのことを殊更慕っている。それは口に出さずとも、見ているだけで一目瞭然。そのニドは一度地上に稼ぎを求めて出掛けると、半年帰ってこないことなどザラにあると、シフカが愚痴を零していた。

 そんなニドが連れてきた少年がここにいる限り、下手に少年を置いて、地上に出ることはないだろう。そうであると、フレードは思ったのだろうが、それは大きな勘違いである。

 何故なら、ニドと少年は何の接点もない、“ただの他人”なのだから。

 フレードの誤った認識を正すため、口を開こうとした少年を遮って、2人のもとに1人の住民の男が駆け寄ってきた。


「おい、フレード!」

「あれ、おじちゃん。どうしたの?」


 その男は、フレードの近所に住んでいる元犯罪者の闇医者の男であったと、少年は記憶していた。男は慌てて走ってきたのか、激しく息切れしており、息が整うのも待たずに話し始める。


「ニド。ニドを、見てないか?」

「ニド? そういえば、ご飯のあとは見てないなぁ」


 少年もフレードと共に、今日のニドを思い出してみたが、朝食をシフカたちと4人で食べた後からは、その姿を見ていなかった。


「ニドが、どうかしたの?」

「実は、“外”からやって来た奴が、を無視して暴れてるんだ!」


 そう告げた男の背後で、派手な爆発音が響き渡った。



 § 3 §



 地下街のシフカの家の近くには人だかりができており、その中には仁王立ちしたシフカが、爆発音を響かせた張本人と向かい合っていた。

 主犯の男は、懐にはまだ点火していないダイナマイトを何本も隠して持っており、手に持ったライターと共にそれを使って、住民たちを脅迫していた。


「次はテメーらの家を粉々にしてやる! わかったら、さっさと金目のモンを出しやがれ!!」


 想像通りの男の脅し文句に、シフカは逆に呆れを含んだ深い溜め息をついた。そこにいる周りの住人たちも、同様の反応を示した。


「はぁ。誰だい? こんなチンピラ、町に入れたの」

「話によると、“スリのじいさん”が、お人好しを発揮したらしく…」

「あの人か…」


 住人たちが思い出したのは、同じくこの町に住みついているお人好しなスリの老人の姿だった。この老人は決して性根から悪い人間ではないのだが、他人に対してお人好し過ぎて、困っている人物を見つけるとすぐにここに連れてきてしまう、があった。

 脅迫を半分無視して話し込んでいる住人たちの態度に、男は立腹し更に声を荒げた。


「おい! なに無視してんだ!? さっさとしねーと、ホントに火ィ点けんぞ!?」

「黙りな。アンタが何しにここに来たかは知らないけど、ここにいる限りはを守りな」


 シフカの一喝に、優勢であるはずの男は一瞬怯んだ。しかし、一見して無防備のシフカに対し、鼻で笑い飛ばした。


「ハッ。なにが“ルール”だ。こんなトコにそんなモンがあったって、誰も守るわけねーだろ!!」


 男がライターを持っていない方の左手で、目の前のシフカの胸倉に掴みかかろうとした、その時。

 男のその腕を到着した少年が掴んで止めた。その隣にいたフレードが、母シフカに駆け寄った。


「お母さん! 大丈夫?」

「フレード。大丈夫だから、下がってなさい」


 一方で少年に掴まれた腕を振り払おうと男は藻掻くが、細身で非力に見える少年は、意外と力が強く、拘束を解くことはできなかった。


「くそっ! このガキ、離しやがれ!!」

「この女性ひとには恩がある。手を出すなら、容赦しない」


 グッと掴んだ手に力を込めたが、力んだせいで塞がりかけていた左肩の傷が疼き、その様子に勘付いた男は少年の手を振り払い、ついにダイナマイトを手に取った。


「テメーらっ、もう許さねーからな!!」


 そう叫んだ男の横に、1人の人影がスッと現れて一言。


「―――ぎゃーぎゃー騒ぐな、ボケ」


 ライターの火がダイナマイトの雷管に触れる、その一歩手前で、男の左頬にブーツの底が勢いよくめり込んだ。その反動でライターは地面に落ち、男の身体も横に蹴り飛ばされて倒れた。

 落ちたライターを拾い、唇に挟んだタバコに火を点け、倒れた男の背中に容赦なくドッカリと座り込んだのは、先程闇医者の男が必死に捜していた、ニドであった。


「はぁ。ったくよォ、静かに一服してンのに、邪魔すンじゃねェよ」

「テメーこそ邪魔すんな!!」


 ニドの尻に敷かれても尚、強気な態度の男に、追い打ちをかけるように、ニドの踵落としが脳天に軽く落とされた。意識を失わない程度に痛めつけられた男は、ついに口を閉ざした。

 紫煙を吐き出してひと息つくと、ニドは男にシフカの言っていた“ルール”について説明する。


「この町は、80年前にとある酔狂な医者が、どこにも居場所なんてねェ、外れ者たちを集めたのが始まりだ。だから今でも、地上じゃ犯罪者扱いの連中がゴロゴロすみ着いてる」


 80年前に町をつくった医者。それが今、町の中心部に置かれた石碑の人物である。随分と酔狂な思想の持ち主だったというが、その人柄は当時の住民に好感を持たれていたようで、その証拠にあの石碑には傷一つ付けられたことがない。


「そんな町だからこそ、ゴロツキたちが唯一休息できる場所として、たった一つの“ルール”をつくった」


 ニドは短くなった吸い殻をブーツの靴裏で消し、黙って聞いている男を睨みつけた。鋭利な眼光で脅し、言い聞かせるように。


「“この町の中での犯罪行為、あらゆる揉め事を禁ず” これさえ守れば、テメェがどこで何してようが、オレたちは何も言わねェ。わかるか?」


「ニドー、それくらいにしてあげたら?」


 その場が沈黙している中、突然群衆の中からひょっこり、と顔を出して、ニドの名前を呼んで近寄る栗色ショートヘアの少女が1人、現れる。その姿を見て、ニドは心底嫌そうに顔を顰めた。対する少女の方は、しかめっ面に構わず笑顔を向けている。


「げっ。ラスタ」

「失礼な態度ね。話があるから、そろそろいいかな?」


 少女―ラスタの乱入で、ニドは仕方ねェな、と男の上から立ち上がると、ニドを捜し回っていた闇医者が、動けない男を自分の診療所に引きずって行った。

 騒ぎが落ち着き、群がっていた人々も少しずつ散り散りになり、その場に残ったのは、シフカ、フレード、ニド、ラスタ、そして少年だけ。


「で、何の用だよ」

「うーん。ニドにも用はあるんだけど、ま・ず・は、」


 意味深な笑みを浮かべてラスタはその場で踵を返し、輪から少し離れた少年の方に近付くと、戸惑う少年の目の前で好意的にニコリ、と笑ってみせた。

 どうやら、初めに用があるのは少年に対してだったようだ。


「君がニドの連れてきた子? アタシは、ラスタ。ニドの頼れるよ!」

「アホかっ」


 冗談まじりに自己紹介するラスタの頭を、ニドが後ろから軽くはたく。そのやり取りを見る限り、2人が仲の良いことが伺えた。

 少年はそんなラスタに無邪気な声で、「名前は?」と尋ねられるが、言葉に詰まってしまう。


 “バルドル” と答えるのは、何か違う気がして、しかし、“バルドル”以外の名前を、少年は持っていなかった。


「えっと…。 好きに呼んで」


 視線を泳がせながら答えに濁した少年は、ラスタから一歩身を引くと、気まずさからどこかへ歩き出して行ってしまった。

 その背中を見送りながら、ラスタが同じように気まずさを隠しきれていないニドの方をゆらり、と振り返り、先程までの陽気な雰囲気とは裏腹に、最大限に低い声でニドを叱責した。


「ニド。なに、あれ? アタシ言ったよね? “拾ってきたなら、責任とってしろ” って…」

「…ほっとけよ。今のアイツに必要なのは、“動く為の目的”じゃなくて、“生き続ける為の目的”なんだからよ」


 こればっかりはどうしようもない、とごちるニドは、まるでひとりぼっちの迷子のように頼りない少年の背中を、ただ黙って見送った。

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