第13話 地下都市の“王”Ⅱ
§ 1 §
“バルドル”として生きる意味を持たない人形。それは、僕のことだ。
あの時、ホヅルに言った。“バルドルを必要としない世界に宣戦布告する” と。しかし、実際にそれを行えるかどうかは正直わからない。それが本当に正しいのか、それを“バルドル”が喜ぶのか、少年にはわからなかった。
正直、自分の正体を思い出しても尚、少年は何も持っていなかった。
行き先もなく重い足取りで歩いている少年を、道端の老人が突然呼び止めた。
「…そこの坊主」
「だれ…?」
振り向くと、道端の地面に座り込み、その腕にぼろ布で包まれた大剣を大事そうに抱えた老人がいた。突然呼び止められ、表情から不信感を滲ませる少年に、老人は伸びっぱなしのヒゲの中で笑った。
「別に怪しいモンじゃないさ。坊主、暇なら儂の話し相手になってはくれぬか?」
咄嗟に、暇じゃない、と言おうと思ったが、今の状況ではそれは一目瞭然であったため、少年は仕方なく老人の話に付き合ってあげることにした。
老人の前の地べたに座り込み、話って何? と聞けば、老人は嬉しそうに語り始めた。
「まず、儂の名は“ヘグニ”。 数十年前まで、戦場で“殺戮王ヘグニ”の名を聞かぬことはなかったほどの戦士であった」
老人は自慢げに語るが、生憎少年はその名にまったく聞き覚えはなかった。「ごめん全然知らない」と首を横に振ると、老人は少し残念そうに眉を八の字にした。
「儂の国は、ミッドガルドの南方にあってな。“王族”共の支配を拒む国民たちの総意を一身に背負い、長きに渡ってアースガルド軍と戦い続けた」
「そんな国の英雄が、どうしてこんなところにいるの?」
少年の最もな疑問に、老人は自虐的な笑みで答えた。
「長きに渡る戦いで、民の心が疲弊していき、民の総意が変わってしまったのだ」
「…つまり、あなたを裏切ったのは、あなたの守るべき民だった、と」
オブラートに包むことを知らない少年の直球な物言いに、老人は耳が痛いな、と言いつつも、それでも笑っていた。
「戦いを終わらせたくなった民と、儂の息子が密かに王族と約定を結び、儂は玉座を追われ、命からがら、ここに辿り着いた」
「あなたは、自分を見捨てた民たちを恨んでいるの?」
少年の問いに、老人――ヘグニはゆっくりとした動作で首を横に振った。
「儂にとって、民は守るべき存在であり、儂が王であり続けた理由。彼らを恨むということは、儂の今までの人生を否定することとなるからな」
ヘグニのその言葉が、少年の心に深く刺さって食い込んだ。
少年の心の中、その奥底には、今は亡きバルドルの記憶が死ぬその寸前まで鮮明に残っている。死の直前、バルドルの記憶に最期に残ったのは、“ロキ”の顔であった。ロキは、バルドルにとって唯一の友人であり、彼が世界に執着する理由である。死して尚、バルドルは彼を大事にしている。
しかし、少年にとってロキは、
少年は、ロキを恨んでいた。しかしそれは、“バルドルの生きた理由”を否定することと同じである、と少年は気づかされた。
明らかに動揺する少年の様子に、ヘグニは直感する。
「坊主。お前もこの世界の“歪み”に、大切なものを奪われたクチか?」
「“歪み”?」
「そう。オーディンによって世界を支配され、それによって生じた“歪み”が人間の歴史を阻害している。奴がいなければ、起こらなかった悲劇がある。そうだろう」
ヘグニの言うと通り、この世界の争いや悲劇の中心には、必ずと言っていいほど、その男の名前があった。
この老人が恨み、今も憎しみ続けているのは、“オーディン”という存在に他ならない。そして、その憎しみを少年も溢れ出んばかりに抱えている。
「お前さんを儂と同じ“敵”を持つ者と見込んで、頼みがある」
ヘグニは、もう言うことの聞かなくなりつつある老体を身じろぎし、杖代わりにして大事に抱えていた大剣を、目の前の少年に差し出した。その行動の意図が掴めず、少年はただ首を傾げる。
「…この大剣は、儂が殺戮王と呼ばれていた頃から、儂の身を守ってくれた。共に生きてきた、大切な相棒だ。ただ、
「やり残したこと?」
「オーディンの血を吸わせること、だ」
その大剣を差し出すヘグニの手は、震えていた。その震えは、ただの衰えのせいなのか、それともオーディンへの怒りなのか。それとも、両方なのかもしれない。
今にもその手から零れ落ちそうな大剣を、少年はそっと手を添えて、恭しく受け取った。大剣を無事渡すことができたヘグニは、笑みを浮かべて手を引いた。
「
少年は初めて手にした、術式とはまた別に、人間の強い負の感情、“呪い”のまとわりついたその大剣を握り締め、呼吸の浅いヘグニの前に跪いた。それはまるで、玉座に座する王と、その王に忠節を誓う騎士のような光景であった。
そして、“騎士”は“王”に告げる。
「…確かに引き継ぎました。必ず、オーディンをこの手で葬ります。ですから、どうかもう、安らかにお休みくださいませ。“陛下”」
少年が、自分の意思を引き継いでくれた。
それを確信したヘグニはゆっくりと脱力し、柔らかなまなざしの瞳がゆっくりと閉ざされた。
もう鼓動することのない老人に、少年は心の底から慰霊の言葉を送った。
「…王の務め、ご苦労様でございました。ヘグニ陛下」
そして、少年は決意する。
§ 2 §
再び逃げ出した男は、過去に『爆弾魔』として指名手配されていた。幼い頃に両親と暮らしていた国が滅亡してから、共に失った親の言い付け通り、どんなことをしてでも生き延びてきた。
盗み、殺し、世に犯罪と呼ばれることはすべてやってきた。そしていつの間にか、爆弾を使った破壊に、一種の生きた心地のようなものを感じるようになった。
そうして、あらゆるものを爆破しているうちに、世の中での男の通り名は『爆弾魔』となっていた。それにより、男は表の世界で生き続けることが難しくなっていった。
そんな男の前に現れたのは、ずる賢いスリの老人だった。悪知恵ばかり働く小悪党だったが、老人の言葉に男はのった。老人の世迷い言のようだったが、もし、この老人の言う『犯罪者の休息地』があるとするならば、男にとってこれほど都合の良い隠れ家が他にあるだろうか。
老人に連れられ、ミッドガルドとアースガルドの間、太いユグドラシルの根の隙間につくられた洞窟をくぐり、長い通路をひらすら歩けば、その先には人工的に開けた“町”があった。
周囲は土で盛られた壁がそびえ、天井にはユグドラシルの根が密集して屋根のようになっていた。太陽の光は唯一、町の中心の一ヶ所に短い間しか差し込まない地下だが、男が想像していたより、そこには人がたくさん暮らしていた。
ここでなら、男は身の危険を感じることなく、ゆっくりと眠れる。うまくいけば、この町の住民からも金品を強奪できるかもしれない。
そう思った矢先、男はこの町の“王”のような青年によって、無様にも地面に這いつくばることとなった。青年に対して、拭いきれない怒りもあるが、それより何より、男の興味を強く惹いたのは、“とある
その顔に、男は朧げな記憶の中で、嫌というほど見覚えがあった。
「動くな!」
そう叫んだ男の利き手にはナイフ。そして腕の中に拘束しているのは、可哀想なほど震えている、フレードだった。
フレードを人質に脅しをかける男の姿を、ニド、ラスタ、そして母シフカが、殺意と憐みを込めて見据える。
「…あんたも懲りないね。ウチの子を人質に、何をしようってんだ?」
呆れた様子のシフカに、男は自分の昔話を語り始めた。
「…俺の国は、ミッドガルドの南にかつてあった“グレシス”というところだ。聞き覚えはないか?」
“グレシス” その名を聞いたシフカの顔色が明らかに一変した。その名に覚えがあるのは、この場ではフレードも同様であり、自分を拘束する男を密かに見上げた。
「…驚いたよ。あんた、グレシス王国の出身か」
「そうだ! お前が、お前らの見捨てた国さ! シフカ王妃、フレード王太子」
男が怒りを込めて叫んだ呼称に、シフカは眉を顰め、今まで動じることのなかった表情を歪めた。また、そう呼ばれることがあるとは、2人は思っていなかった。
シフカとフレード。この2人の故郷もまた、“グレシス王国”であった。その頃のシフカはグレシス王国最後の国王となる、“ヘイドレク”の妾であり、そしてフレードは国王唯一の跡取りであった。
ここにいるニドとラスタも、周知の事実である。
「懐かしいわ、そう呼ばれるのは。で、これは言うなれば、私たちへの復讐か?」
「あぁそうさ! 戦時中、お前らが王を見捨てたせいで、自暴自棄になった王は、自らの城に火をつけ、国を焼き払った。その火によって、俺の両親は死に、国も侵略された!」
男の悲痛な叫びに、彼に刃物を突きつけられたフレードも、同情せざるを得なかった。
しかし、一方でシフカの態度は一片も揺らがなかった。
「
淡々とした口調で男に自身の言葉を語り、シフカは堂々とした姿でゆっくりと近づいた。
「あの国は、王に頼り過ぎたせいで戦争が始まり、王に“器量”がなかったせいで、あの国は滅んだ。私とフレードはあの国を見捨てたのではなく、見限る選択をしたんだ。君や君の両親、あの国の民も、そうすべきだったんだ」
そして、シフカは目と鼻の先まで男に近付いた。決して物怖じしない彼女の態度に、距離を詰められた男の方が怖気づいた。
その恐怖から、男は腕に拘束していたフレードの身体を投げ出すと、手に持ったナイフをシフカに向かって振り下ろそうと動いた。
しかし、それは少年の手によって阻止された。
横から現れた少年の手は、まさかの素手でナイフを受け止め、血まみれの手に握り込まれたナイフは、その尋常ならざる握力によって、ビクともしなかった。
この話になんの関係もない少年の行動に、男は疑問を投げかける。
「な、なぜ!?」
「…この人は、我が子が国の為に犠牲となる前に、それを救った。その代償として、決して消えない
やがて、少年の手はその握力によって、ナイフを粉々に粉砕した。その光景に、男は勿論、シフカ、ニド、ラスタ、フレードのこの場にいる全員が驚愕した。
少年への得体の知れない恐怖から腰を抜かし、立ち上がることのできない男に対して、少年はしゃがみ込んで目線を合致させ、語り掛ける。
「お前が恨むべきは、お前たちの国を追い込んだ元凶。戦いを誘発した人物こそ、お前たち国民の仇だ」
グレシス王国滅亡。その原因となった戦い、それを指揮していた敵軍の将は、“オーディン”である。そして、少年は知っていた。グレシス王国やヘグニ王の国への侵攻が、南方の巨神族への侵攻ルートを確保するための作戦であったことを。
少年は、決意と闘志に満ちた真っ直ぐな瞳で男を見つめ、そしてその場にいる彼ら、この場にはもういない老人や人々に、誓った。
「世界の仇、この世の“歪み”の元凶であるオーディンは、“バルドルの意志”を継いだ僕が、必ず討つ」
§ 3 §
「ほんとにいいのかい?」
「はい。思いっきり、やっちゃってください」
そう言われ、シフカは浮かない顔で手に持ったハサミを、美しい金糸の髪に差し入れ、二枚の刃を交わらせた。
シャキン、 シャキン、
刃の擦れる音と共に、ひと房、またひと房と、少年の髪が地面に落ちていく。地に落とすには勿体ないほど見事な
「ねぇ。この髪、いらないなら貰ってもいい?」
「いいけど、何に使うの?」
「“カツラ”にして売るの。これだけキレイな髪なら、結構な高値で売れるよ!」
そう言って嬉しそうに髪の毛を拾うラスタの姿に、ニドが売上に関して物申した。
「おいおい。元はソイツのなんだから、こっちにも半分は寄越せよ!」
「えー。じゃあ、売上の三分の一ね」
「少なッ!?」
ラスタは思ったよりがめつい。少年は一つ、彼女について知った。
そんな2人の他愛のない会話に、あまり笑うことのなかった少年が、珍しく微笑みを浮かべた。
すると、ラスタが少年を見て、ある事を思い出した。
「そうだ! そろそろ、君の名前を付けようよ!」
「名前?」
「うん。いつまでも名無しじゃ、不便でしょ」
ラスタに指摘され、髪を切られながら自分の名称について考え始める。しかし、少年一人では、中々に難航した。
「“バルドル”は、名乗れない。あれはこの世で唯一ただ1人しか、名乗っちゃいけないものだ」
「えー、じゃあ、別に考えなきゃ。… バルドル、バル、ドル、ルドル? いや、バルド?」
ラスタと少年が2人、頭を抱えているのを傍観していたニドが、痺れを切らして重い腰を上げた。
「あーあー、まどろっこしいなァ! じゃあ、間を取って “ルル” な!」
自信満々に命名するニドに、少年以外の6つの冷やかな視線が浴びせられた。
一瞬の沈黙ののち、先に切り出したのは、ラスタである。
「ニド、あんたってホント、ネーミングセンスが皆無ね」
「はァ!?」
ラスタの聞き捨てならない言葉に反論しようとしたニドだったが、シフカとフレードに追い打ちをかけられる。
「ニド。今回ばかりは、アタシもフォローできないね」
「なっ」
「ニド。さすがにそれが変な名前だってことは、ボクにもわかるよ」
「ぐっ」
賛同意見が一つも得られない中、ネーミングセンスの無さを責められ続けるニドの姿を呆然と見つめ、やがて少年は小さく吹き出した。
「ふふ。いいじゃないか、僕はニドの案に一票」
「えぇ! ホントにいいの!?」
当事者である少年の思いもよらない賛成意見に、3人が激しく動揺する中、唯一の清き一票を得たニドは目を輝かせ、だろ? と誇らしげな顔を見せた。
少年は微笑み、4人に自分の意思を伝えた。
「僕は“バルドルの代わり”にこの世界を滅ぼす存在。だから、ただの刃である僕の名前は、ただの“記号”で“個別認識する為”のものでいい」
散髪が終わり、少年は肩に残った髪の毛を払い、椅子から立ち上がった。
「今日から、僕の名前は “ルル” だ」
この日、
異説神話 ラグナロク狂想曲 瑠璃茉莉 すず @itomugiamu
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