第3話 テンシガールとホンミョウナンダッケボーイ
「だああっ! 時間がねぇえええ!!」
人がひしめく街中を猛ダッシュ。スーパーを出たところで、無情にも腕時計は待ち合わせ時刻を指していた。本当に時間がないのだ。もう母性をくすぐる可能性を見出していくしかない。
待ち合わせ場所である駅前に着いたのは、待ち合わせ時間をなんと30分も過ぎた後だった。……道中で道に迷いました、はい。
「カルナ! ごっ……ごめっ、ごめんなッ、さいぃ……」
彼女の前で膝に手をつけ、肩で息をする。髪は風でぐちゃぐちゃになって、ワイルドの象徴である半袖は、目つき悪男に却下されてしまった。こんな俺に母性がくすぐられるのだろうか。否、天使だって蹴り飛ばすと思う。しかし、俺の彼女は天使以上に天使だった。
「大丈夫だよ。しょう君が元気で良かった」
カルナがかわいい声で慰めてくれる。ゆっくりと顔を上げると、小さく微笑んでくれた。かわいい。しかも花柄のワンピース姿だ。かわいい。怪人を言い訳にしようとしていた邪な気持ちが浄化されていく。
「さ、行こ?」
春風に
**
『無限の未来を創造する! PK2!』
笑顔でピースサインをする芸能人の映像が、ビルに埋め込まれた液晶パネルからでかでかと飛び出す。待ちゆく人々そのCMに
かく言う俺は、カルナとはぐれないために、手を繋いでいる。手を繋いでいるのだ。カルナの手は寒空の下でもほんのりと温かかった。それが彼女のおおらかさを表しているようで、心臓が高鳴った。
「もうちょっと人が少ないとこに行こっか」
「そうだね。私、あのおっきなスーパー行きたいな」
「……それもいいけど、さっきあそこで怪人が出たらしくてさ。多分まだ入れないかもしれん」
「そうなんだ! 物騒な世の中だねぇ」
「だよなぁ」
そんなやりとりをしつつも、足は
死に物狂いで走った道を、まったり話しながらなぞっていく。しかし、スーパーまで100メートルほどのところで足止めをくらった。
「あ、やっぱり封鎖されてるね。しょう君の言うとおりだ」
「いや……あれ?」
大通りが通行止めとなり、規制線のすぐ内側には等間隔で討伐隊員が並んでいる。手にはさっき額に押し付けられたのと同じ種類の銃が収められている。
被害が拡大しないようにと、周辺が一時的に封鎖されるのはよくあることだ。しかし、ロリ爺さんは既に討伐済みのはずだ。なんで今もこんな厳戒態勢が敷かれているのだろうか。
一番近くにいた隊員に聞いてみることにした。
「何かあったんですか?」
「はい。先ほど近辺でアロイクラスの怪人が現れました。只今戦闘部隊が捜索しておりますが、あなた方もお気を付けください」
「アロイ、クラスですか……」
隊員の説明を受けて、カルナが声を詰まらせながら呟く。
怪人は、大きく3つに分類される。「アロイクラス」は真ん中の強さだが、最弱の「モノクラス」とは一線を画す力を持つ――らしい。ロリ爺さん含め、「モノクラス」としか対峙したことがないから詳しいことは分からない。
ただ、アロイクラスの怪人が出たとなれば、この厳重な警備にも合点がいく。
「ありがとうございました。お仕事頑張ってください!」
「はい、皆さんの安全のために命を賭して守ります!」
「っ! だめですよ!」
ほのぼのとしたやり取りかと思われたが、カルナが唐突に声のトーンを変えて叫ぶ。ずいっと身を乗り出した。その際に規制線に足が引っかかってよろけたので、咄嗟に体に手を回してしまった。ほぼ全体重が腕にのしかかったが、拍子抜けするほどに軽い。
「命は賭けちゃだめです! 危険な時は皆さん自身の命を最優先してください!」
「いえ、我々は皆さまの安全を守るために存在しています。命を賭してお守りします!」
「だめですっ! 皆さんにも帰りを待っている家族が居るはずです! その人達を悲しませては……!」
「はい、ストップ! ちょっと落ち着いて!」
芯を持った優しさと正義感がぶつかり合って火花を散らす。このままでは埒が明かないので仲裁に入ったが、カルナは依然として鼻を鳴らしている。
「でも隊員さんが……」
「大丈夫! 隊員さんは強いし、格上の相手とは無理に戦わないよ。ね? 隊員さん」
「いえ、皆さまが危険にさらされるときは格上でも……」
「ありがとうございました! お仕事頑張ってください!」
無理やり話を遮り、カルナの手を引いてその場を離れる。柔軟性の欠片もない隊員の思考に若干不安になったが、ここら一帯の安全性は相当高そうだ。
次はどこに行こうか、映画館なんてどうだろう。歩きながら行く当てを決めていると、突然、天を仰いだカルナがポツリと呟いた。
「……あ」
それと同時に、俺の肩にパチャンと音を立てて何かが落ちてきた。脳が情報を処理しきる前に、俺は走り出した。もちろん、カルナの手を引いて。水を含んだ軽い音が、あらゆる方向から少しずつ、しかし確実に数を増して聞こえてくる。
息も絶え絶えに屋根付き路地に逃げ込む。服に付着したプラスチックをそれぞれ払い始めた。
「さっきまで、晴れてたのにな」
「……そう、ですね」
マイクロプラスチックが侵した領域は、何も海に限った話ではない。大気の流れに乗って漂う大量のプラスチックは、雨によって地中に降り注ぐ。大抵の場合はただ痛いだけで済むのだが、地面に跳ね返ったものが目に当たって失明するといった事例もあるので油断は出来ない。
「なんかごめんな。せっかくのデートなのに」
鉛色の空から濡れたプラスチックが降り注ぐ。それが地面で跳ねてペチペチとズボンを叩く。
「大丈夫、だよ」
俯きながらカルナが呟く。
「しょう君と一緒なら、ここだってすごく楽しい」
俺は腕を引っ張られ、カルナと向き合う形になった。俺よりも頭1つ分小さい彼女は、上目遣いでこちらを見つめる。美しい曲線を描く睫毛がきらめいていた。
「あ、あれ……おれ、あれ?」
思いがけずいい雰囲気になり、うまく言葉が出てこない。ワイルドを心掛けていた俺は、破れた半袖と共に去って行ったようだ。
終了時刻が未定の心の準備は手付かずのまま、ゆっくりと、だけど確実にカルナの顔が近づいてきた。
人生で初めて、雨音が祝福の拍手に聞こえた。落とし穴に落ちた先がゴールだったような気分になる。必要最低限の荷物だけポケットに詰め込んで、大人の階段を登る心の準備を終わらせた。
おじさん。大人の階段って、険しく脆く幻想的で、そして、突拍子もないものなんだね。
意を決して、目を閉じて。
幸福の絶頂に上り詰めようとしていた俺は、その一歩手前で、地獄の産声を聞いた。
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