27話 バックス

 バックスと名乗る宝剣の担い手が俺達の前に現れた。


「おィ、何縮こまってんだよ、クリスちゃんよォ? もっと嬉しそうにしろっての?」

「お、お久しぶりです……バックス先輩……」


 ここは迷宮ギルドの受付前。

 急にやって来たバックスという男が図々しくクリスの肩に腕を回している。


 男は軽薄そうに見える格好をしていた。

 色付き眼鏡を掛け、顔に入れ墨を彫っている。耳にはピアスを掛け、首に手首にジャラジャラとしたアクセサリーを身に着けている。


 簡単に言うと、チャラそうな身なりをしていた。

 人は見た目で判断して良いものではないが、何ともウザそうな男であった。


「……何しに来たのかしら、バックス君?」


 迷宮ギルドの受付のノエルさんがバックスという男に声を掛ける。

 先程まで彼女はにこにこ穏やかという感じであったのに、今はその顔から笑みを消し、冷たい声色を発している。


 バックスがにやりと笑った。


「おーおー、ノエルちゃんよォ。お前は相変わらず別嬪さんだなァ。ひーひー鳴かせてヤリてぇよ」

「……用が無いのなら帰って頂戴。ここは暇人が暇を潰しに来る場所じゃないの」

「バカになっちゃったか、ノエルちゃんよォ。クエスト完了報告に来たに決まってんじェねーか」

「ならムダに私の弟に絡まないで頂戴。迷惑しているわ」


 バックスがシェアリーの窓を表示させ、それをノエルさんへと提示する。

 それが迷宮ギルドの発注するクエストの完了報告となるのだろう。ノエルさんが嫌そうな顔をしながら、てきぱきと事務作業を続けていた。


「迷惑じゃねぇよなァー!? クリスちゃんよォー!? 俺たち仲良しだもんなァー!?」

「え、えっと……その……」


 クリスの顔は明らかに強張っていた。

 絶対に仲良しではない。クリスは彼のことを先輩と呼んでいたし、相手し辛い関係なのだろう。


「はい、手続きは完了致しました。報酬のマニーポイントのお振込みも完了しています。どうぞお帰り下さいませ」

「つれねえなァ、ノエルちゃんよォ? ゆっくりお喋りでもしようやァ?」

「仕事の邪魔よ」


 ノエルさんがそう冷たく言い放つが、バックスは帰るような気配を見せなかった。


「今日はちょっと確認をしに来たんだァ」

「確認……?」

「クリスちゃんよォ? おめぇ、そろそろ宝剣の勇者になる時期だったじゃねーかと思ってなァ?」

「うっ……」


 クリスの顔が別の意味で強張る。


「確か、18歳の誕生日に宝剣を授かる予定だったなァ、と思ってなァ。どうだ? おとーちゃんからもう宝剣は貰ったのかァ?」

「はは……いえ、まだ……」


 彼の宝剣はもう破壊されている。俺に。

 でも、そんなこと話せるはずも無かった。


「いやな? 宝剣貰ったら、いっちょ俺と決闘しないかと思ってなァ? 宝剣の勇者の先輩として、優しく指導してやるぜェ?」

「いえ、その……ちょっと……」


 クリスの目が泳ぐ。

 こんな迷惑そうな男となんか決闘したくない……というより、そもそも既に自分の宝剣は壊されていて決闘なんか出来ない、みたいな戸惑いが如実に表れている。


「…………」


 その時、どうしてだろう。

 俺とバックスの目が合った。


「…………」

「……?」


 たまたま目が合った、という感じではない。

 俺のことを、なんだろう? 値踏みしている?


「明らかな初心者狩りは止めなさい、バックス君。倫理にもとるわ」


 ノエルさんが苦言を呈す。


「あかるさまにやり過ぎたら『闇人対抗戦線委員会』から警告を受けるわよ」

「ハーッ! この程度で『闇人対抗戦線委員会』が口を出すかよ! 『宝剣祭』は基本的にルール無用の殺し合いなんだからよォ!」


 闇人対抗戦線委員会……?

 なんだ、また知らない単語が出てきた。


 しかしその説明が無いまま、バックスの関心がノエルさんの方に移る。


「ノエルよォ、お前はいつ俺の女になるんだろうなァ? 学園生時代から声は掛けているじゃねーかァ?」

「冗談言わないで。誰があなたなんかと恋人になりますか」


 彼がノエルさんの体を舐めまわすように見つめる。

 クリスが横から声を上げた。


「ちょ、ちょっと待ってください! ノエル姉様には婚約者がいるんですよ!? バックス先輩がノエル姉様とお付き合いするのは不可能です……!」

「ハーッ! 何くらだねェこと言ってんだよ! 宝剣の戦いで上位になれば、地位も名誉も金も女も思いがままになるんだよォ! それこそ、気に入った女の婚約なんか簡単にチャラに出来ちまう!」

「うっ……!」


 バックスが乱暴な主張をする。

 しかし、それは的外れな意見ではないのだろう。クリスが顔を顰めさせ、言葉を詰まらせる。


 それだけこの世界にとって『宝剣祭』というものは重要な戦いなのだ。


「宝剣祭で勝ち抜けば、何もかもが俺の物になるんだァ! 何もかも! 何もかもだァ!」

「…………」

「今に見てろォ! ノエルも俺の物だァ! 俺の物にしてやるッ……! ハハハ! ハハハハハッ……!」


 彼が高笑いを上げる。


「…………」


 なんというか、下品な奴だった。彼のことを何も知らない俺でさえ思わず眉に皺が寄る。フィアなんか露骨に嫌な顔をしている。


 ……宝剣の担い手になったらこんなのとも戦わなければいけないのか。

 やっぱり、御免だな。


「……で? こいつらは一体何なんだ、クリス? 荷物持ちでも雇ったのか?」

「ん?」


 そんなことを考えていると、バックスの気がこちらに向いてしまった。

 明らかに新顔である俺とフィアのことを言っているが……荷物持ち?


「見ねえ顔だ。駄目だぜ、クリス。ちゃんと友達は選ばねえとなァ。こんなつまらなそうな人間と一緒にいたら、お前までつまらねー人間になっちまう」

「え、えと……?」

「荷物持ちを雇うにしても、大事なものは自分でちゃんと持ってなきゃいけねェよなァ? 人任せにしちゃいけねェぜ?」

「……?」


 バックスは何を言っているのだろう?

 なんで俺達が荷物持ちであるという前提で話が進んでいるのか。クリスもよく分かっていないようで、明らかにきょとんとしている。


 貴族の人間であるクリスが小間使いでも雇ったと思っているのだろうか。


 …………。


「……まぁ、いいや」


 バックスがやっとクリスの肩から腕を放す。

 そしてそのまま踵を返して、出口の方へと向かっていった。


「近い内にまた会おうぜー、クリスちゃーん。近いうちになー」

「…………」

「行くぞ! リンド!」

「へ、へぃ! 旦那ぁ……!」


 出口付近には召使いのような人が控えており、バックスがその人に声を掛ける。

 一応お付きの人間が付いていたようだ。


 バックスが迷宮ギルドの扉を荒々しく開き、そこから姿を消す。

 嵐のようにやって来て、嵐のように去って行った。


「……はぁ」


 彼が去り、クリスが重々しいため息を一つ吐いた。


「……お疲れ様、クーちゃん。ごめんね、何も出来なくって」

「姉様の方こそお疲れ様です。あんな男に言い寄られて、ほんと嫌でしょう……」


 姉弟二人が項垂れていた。


「……誰、あの嫌な奴」

「僕の学園の先輩。バックス・オグスト伯爵。面倒なことに、二年前の首席卒業者」


 フィアの質問にクリスが答える。


「傍若無人な人柄で皆煙たがっているんだけど、実力も成績も確かだったから彼のことを非難できる人が少なくて……。家柄もちゃんとしてるしねぇ……」

「クリスの尊敬している先輩、とか本人言ってたけど」

「してないよっ! あいつが勝手に言ってるだけだって……!」


 クリスが手をぶんぶんと振る。

 本当に嫌そうだった。


「卒業後は宝剣の勇者になって、冒険者として活動してるわー。ほんと厄介なことに、実力だけは確かだから期待の新人として扱われてるのー。はぁぁ、全くー……」


 仕事上顔を合わせたりもするのだろう。

 ノエルさんがげんなりとした顔で説明をしていた。


「大丈夫なのですか? あいつ、ノエルさんのこと狙っているようでしたけど」

「普通は大丈夫。うちの方が家の格も高いし、そんな乱暴なこと出来ないわー」

「じゃああいつの戯言なんですね」

「でもね、そうでもないわ。あいつの言う通り、宝剣の戦いで勝ち抜けば勝ち抜くほど地位も名誉も高まっていく。それは事実なの。気付いたら私と彼の立場が逆転しているかもしれないわ」


 彼女の説明を聞き、思わず口がへの字になる。

 勝った者は何をしても許されてしまう。それだけの力が得られてしまう。

 嫌な戦いだ。


 フィアが前に言っていた通り、悪人に勝たせてはいけない戦いなのだろう、これは。


「ぼ、僕がそんなことさせませんっ……!」

「……クリスはもう宝剣失ってるでしょ」

「そうだったああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ……!」


 フィアの厳しいツッコミに、クリスが頭を抱えて崩れ落ちた。


「ありがとー、クーちゃん。気持ちだけでも嬉しいわー。あなたは私の自慢の妹よー」

「お姉様! 僕は弟ですっ……!」

「でもね、クーちゃん。あいつと面と向かって戦っちゃいけないわ。実力だけは確かなの。今のクーちゃんだと返り討ちよ?」

「うっ……」


 ノエルさんにはっきりとそう言われ、クリスの顔が歪む。

男の子のプライドが傷付いていた。


「レーイチロー君とフィアちゃんもよ? 今宝剣を持っているのはあなた達なんだから、あいつには十分気を付けること。決闘を挑まれても、絶対受けちゃダメよ?」

「……はい」

「それに、さっき冒険者登録の時に確認したんだけど、レーイチロー君のレベルはたった5なんだから。絶対にあいつと関わらないこと。いいわね?」

「え……!? レイイチローのレベルって5なのっ!?」


 クリスが心底驚いたような顔をしていた。

 やっぱり、Lv.5って低いんだな……。


「……僕はLv.5の相手に負けたのか」

「気にするな。《アリジゴク》のスキルが強過ぎた」

「でもー、でもー。うぅー……」


 ジタバタしながら顔を真っ赤にしている。

 かわいい。男なのに……。


「なんにしてもー」


 ノエルさんが話をまとめに掛かる。


「バックスのレベルは20を越えているらしいし、風の噂では宝剣レベルも3までいっているらしいわ。三人に勝ち目は無いから、まともに相手にしないこと」

「ほ、宝剣レベルが3……!? バックス先輩って、宝剣を所持してからまだ一年ほどって聞いていますけど……!?」


 クリスが驚きの声を発する。

 宝剣レベルが3って、その凄さはよく分からないけど、10段階中3っていうのは一年ちょっとでは凄いことのようだ。


 ……ちょっと待て。

 宝剣祭が始まってから、最低でももう一年以上経っているのか?

 最近始まった戦いってわけじゃないのか?


「そういうわけで、三人ともあいつには気を付けて。わたしのことはわたしでなんとかするから。変にあいつと関わっちゃダメよ?」

「…………」


 ノエルさんの忠告に、何だか悲しい気持ちになる。


 勝った者が多くを手に入れ、何でもできるようになってしまう戦い。

 勝てば勝つほど、傍若無人な行いが許されるようになってしまう。


 そういうのはなんだか嫌いだな、と俺は思うのであった。

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