ノゾミノゾメド
「起っきろーーー!!」
「がはっ……」
大音響がまだ眠っている耳をつんざき、同時に下腹部に鋭い痛みが走る。脳が一瞬で目覚めた。
「痛いわ!ボケ!!」
「おはようございます♪」
「……」
「清新な休日の朝に爽やかな目覚めを。提供は不肖『愛』でお送り致しました♪」
「えっと……」
「おはようございます」
先ほどの乱行など丸で無かったかのように、澄み切った微笑みで繰り返す。
「おはよう……」
仕方なく呟くように応える。
「で、優しく美しいお姉さまの典雅な目覚ましのおかげで
今日も素晴らしい一日がすごせそうです」
目尻が一層下がる。
「とか言うと思ったかーーー!!」
一気に体を引き起こし、ベッドの上に仁王立ちになるが、姉にひるんだ様子は見えない。
あれ?少しは驚くと思ったんだけどな……?
「『お兄ちゃん、朝ご飯冷めちゃうよ~』の方が良かった?」
それは無理があるだろ……。
ん……?
愛ねぇとはもう18年以上の付き合いだ。楽しい時の笑顔と怒りを隠している時の笑顔の区別くらいはつく。なんか良いことあったのか?
「今日の予定は?」
姉は心底楽しそうに質問してきた。
予定と言われても特に思いつかない。休日はなるべく勉学とは距離を置くように心がけてるから、ゲームでもするか、溜まった小説や漫画を片づけようかと思ってたが……。
「あえて言うなら積ん読崩し?」
「つんどく、くず、し?」
愛ねぇにあのアニメを見せて”わっちわっち”言わせるのも楽しそうだな。間違っても波に乗る方は見せないようにしなければ…。
「ああ、読もうと思って積み上げてる本の山を、崩そうかなと思ってる」
「予定は無いのね」
「日本語通じてるか?」
「もちろん」
もしかして波に乗る方見たことあるのか……?
「予定はある」
「はぁ?耕ちゃんは暇つぶしの事を予定って言うの?」
……。
「わかった。で、予定がなければどうするんだ?」
「耕ちゃんに会いたいって人がいるの。会社の若い子の従妹でね、小説家を目指しているんだって」
「何で俺なんだ?主人公が浪人生だったりするのか?」
「うん。でも浪人生って忙しいでしょ?なかなか取材させてくれる人がいないんだって」
「俺も忙しいんだが……」
「ご指名なんだからつべこべ言わない。9時ごろ出発するから準備しておいてね」
言い終わらないうちに、くるりと一回転しながら部屋を出て行ってしまった。
最後はそう締めたか。
「ふう」
まあいい。本を読むのはまた今度でもできる。
……会社の若い子の従妹って言ってたな。愛ねぇよりちょっと下くらいか?かわいい子だったらいいなぁ。
「おはよう」
日課の父と母への挨拶をすませ、冷蔵庫の中をのぞき込む。
今日の気分はオレンジジュース。
そういえばマクドナルドでバイトしてた友人が、『マックではOJって略すんだぜ』って言ってたっけ。
目覚めてすぐは味をほとんど感じないが、かすかに感じる酸味が心地いい。
時刻は8時12分。
のんびり着替えて、のんびり飯食ったらちょうど9時ごろかな?俺が女なら慌てて着替え始めてるか?甘いわ!世の女どもめ羨むがいい。あはははははは……。
「アホか?」
後ろを振り返ると姉の冷たい視線が突き刺さった。
「心を、心を読んだのかっ!」
「口に出てたわよ。女なら支度にかかる時間分早く起きるのよ。ご飯冷めちゃうから、早く降りてきなさい」
うぅ。また弱みを握られてしまった。恵には言うなよ。
一階に降り、ダイニングの扉を開くと、丁度ご飯を口の中に入れようとする妹と目があった。
「ほはひょ~」
「おはよう。口の中に物を入れてしゃべらない」
……咀嚼している。
「おはよう。だって挨拶したくて」
「別に逃げるわけじゃなし。挨拶なんて飲み込んだ後でも出来るだろ?」
「最近、お兄ちゃん私のこと避けてるし」
「避けてないよ。たまたま入れ違いになることが多かっただけだ」
「『たまたま』、『入れ違い』。へぇ~」
横から愛ねぇが口を挟む。
「私には避けてるようにみえたけどなぁ~」
「お兄ちゃん絶対私のこと避けてたよ」
いかん。これはマズい。本能がそう告げている。
「悪かった。これからはもっと絡むようにする。許してくれ」
「うん。ありがとう」
「はぁ?あんた何様?妹に絡んでどうするのよ?」
よし。片方落とした。あとは恵に任せよう。
「恵、説明頼む」
「うん。お姉ちゃん、絡むって言うのはね…」
「絡むくらい知っとるわ!待て、耕作!」
「どうどう。」
妹が立ち上がりかけた姉を押さえ込む。
「お姉ちゃんは、”まとわりつく”、”難題を言う”って意味にとったんだろうけど、最近、”相手する”って意味が加わったの……」
さすが我が妹。ここは任せたぞ!
両手で十字を切り、食事に取りかかった。
あらかた食べ終わり、鍋の中から鱧を漁っていると、ポケットからダースベイダーのテーマが聞こえてきた。
愛ねぇ、ありがとう。今日ばかりは君に感謝している。
今の二人の立場を考えると顔を合わせづらい
画面を見ると半年前まで毎日目にした”咲羅百(はげむ)”の文字。
「もしもし。今日は予定が入っている」
先手必勝。
「ひさしぶり。まぁ、そう話を急ぐな」
「卒業以来か。元気にやってるか?」
「ああ。こっちは相変わらずだ。そっちも元気そうだな」
「ああ。で、何の用だ?おまえは声が聞きたくて電話してくるような奴じゃないよな」
「ははは。おまえに『どうしても会いたい』っていう14才の女の子がいるんだが」
「浪人中にモテ期突入か?残念だが先約がある。」
姉の目が獲物を捉えた鷹の目に変わる。他人の電話に聞き耳を立てるな。
「5分でいいそうだ。時間を作ってくれないか。」
「ちょっと待ってくれ」
姉の方に向き直り、聞いてみる。
「俺に会いたい人がいるそうなんだが、用事終わった後5分くらい待って貰っていいか?」
「いいよ。待ち合わせは駅前だし、服でも見てるから」
再び携帯を耳に当て、返事する。
「大丈夫そうだ。で、その子の名前は?」
「ノゾミ、ランガネノゾミだ」
「ランガネノゾ・・・」
「はぁ?何でそこで希ちゃんがでてくるの?ちょっと貸しなさい!」
「希ちゃんと話してるの?」
姉と妹の声が重なる。しかるのちに愛染妙王と化した姉に携帯を奪い取られた。
「おはよう。久しぶり、ハゲムくんね。耕作がお世話になってます。ところであなた希ちゃんとはどういう関係なの?」
早口で一気にまくし立てる。
「うん……。ええ。はい……。ああ……。じゃあ、おつき合いしてるとかいうのじゃないのね」
ーはははははー
受話口の向こうから笑い声が漏れてくる。大爆笑してるな。
「ならいいの。じゃあ9時30分頃に南大松駅まで行けばいいのね」
完全に人間に戻ってくれた。
「はい、また後であいましょう」
言って終話ボタンを押す。……切りやがった。
「おっけー?」
「はぁ。おっけーおっけー」
時間は8時53分。南大松駅までは車なら7、8分でたどり着く。
妹が何か言いたそうにソワソワしているが、口を開く気配はない。まあ、言いたくなったら言ってくれ。俺は部屋で準備してくるぞ。
財布とスマホをポケットにイン。準備完了。
……暇だ。妄想でもしていよう。
14才。性別♀。真っ先に思い浮かんだのは『あんたバカぁ?』だった。……浪人生として、いや人として終わってるかもしれない。
ドイツ語で話しかけられてもわからないし、日本人であることを祈ろう。あ、でも日本語しゃべれるハーフまでなら許す。むしろいい。
あと、美少女であることは必須。顔だけじゃなく性格も可愛ければなおよし。間違ってもヤンデレとツンツンはいらない。ツンデレはデレが10%を越えていれば許可…。
「準備できたー?」
「ほいほいっと」
才色兼備の中学生女子像を思い浮かべながら階段を下る。顔も自然にほころぶってもんだ。
しかし大きな期待はたいてい裏切られるもんだ。小説家志望の女子中学生を想像し、予想に幅を持たせておこう。
「いいのか?こっち出して……」
「いいに決まってるでしょ。家のことは全部任されてるんだから。」
俺たちが座ったのは、いつものアルトではなく、612スカリエッティの赤紅と真紅のツートンシートだった。男子の心を高ぶらせるエンジン音が響いてくる。
「希ちゃんが見たいって言ってたからね」
「ふぅん。小説家らしく何にでも興味があるんだな」
「”小説家”じゃなくて”小説家志望”。本人に言ったら怒るからね」
「どっちが?」
「あたしが怒ってどうするのよ?希ちゃんに決まってるでしょ」
「まだ中学生なのに謙虚なんだな」
「ふふふふふ。ただの中学生だと思って会ったら火傷するわよ。精神年齢は耕ちゃんより上だから」
「へぇ~」
しばらくたわいも無い話を続けていると駅の前に到着していた。
名物たぬき像の前に二つの人影が見える。
二人はこちらに気が付いたのか、歩み寄ってきた。
懐かしい顔が近づいてくる。それはいいのだが……。
「外国人?」
連れは金髪のツインテールで、心なしか目も青いような気がする……。
愛ねぇはニヤニヤしながら、こちらを観察していた。
百が姉の方に向かい挨拶する。
「おはようございます」
外国人の方はこちらを覗き込む。
「How do you do? I am Nozomi Rangane. I'm glad to make your acquaintance.」
流暢な英語で挨拶された。名前らしき部分しか聞き取れなかった。どうしよう……。
……。
「ハジメマシーテ」
左から爆笑が聞こえ、友人は大笑いし、初対面の外国人は吹き出した。
「普通の日本語で大丈夫ですよ。初めまして、蘭鐘希と申します。本日はお忙しい中お時間を割いて頂きありがとうございます」
「ここは日本だ。日本語が分かるなら、日本語で話してくれないか?」
仕返しの意味も込めて、少し強い口調で返してみる。
「申し訳ございません。英語を理解できる方なら母国語でご挨拶した方が気持ちが伝わると思ったものですから」
言葉に少し悪意が混ざった。こめかみがヒクヒクしている。その握りしめた拳は何だ?
「詰めが甘いな」
ーパシンー
ツインテールの片方が正確に俺の鼻に叩きつけられた。「は?」
今、髪の毛が有り得ない動きしたんだが……。
姉と目を会わせようとしたが逃げる。百はあからさまに下を向いて笑いを堪えている。蘭鐘希の空色の両眼だけがしっかりとこちらを見据えている。
”青き眼(あをきまなこ)”か……。
「悪かった。初めまして、来栖耕作だ。よろしく」
「ギリギリ及第点ね。まぁいいわ、ここじゃ何だからどこか喫茶店でも入りましょう。愛さん、車をどこかに停めてきて頂けるかしら」
「はーい」
「あとで少し乗せて下さいね」
「まかせろ」
親指を立て、愛ねぇは駐車場へと向かっていった。
駅前の喫茶店”ドッグ愛”にはいると4人掛けのテーブルに通された。
3人の視線が青い瞳に集まる。店内中の視線を集めているような気もするが、意識しすぎなのだろう。
蘭鐘希は臆することもなく切り出した。
「改めて自己紹介いたします。蘭鐘希、14才、紫学園中等部2年C組です。趣味はお話を考えること、特技はお話を書くこと、将来の夢はもちろん小説家です。母がアメリカ人のハーフで去年の9月まで向こうで暮らしていました。目下のところ日本語の猛勉強中です。耕作さんとは末永くおつき合いしたいと思っています。よろしくお願いいたします」
言って一礼したあと、愛ねぇと目を合わせ小首を傾げる。
「上出来上出来。あえて言うなら”おつき合い”はやめた方がいいわね。それだと男性は勘違いしちゃうんじゃないかな?」
「違う言い回しを考えておきます」
言い終わると俺にまっすぐな眼差しを向けてきた。
「来栖耕作18才、浪人生だ。趣味は姉をからかうこと、特技は妹と遊ぶこと……最近遊んでなかったが。将来の夢は高校教師。生徒と恋愛するつもりは無いけどな。以上」
年下に主導権を握られてる。こういう時は完全に握らせてみるのも一つの手だ。
「主導権握られてるなぁ。ところで主導権って英語でなんて言ったっけ?」
「leadershipもしくはinitiativeでしょうか。この場合initiativeが近いと思われます。そんな様子で来年の試験は大丈夫なのですか?」
「おれもイニシアティブが近いと思った。さすがネイティブは発音が違うなぁ」
「はぁ…。そろそろ本題に移らせていただいてもよろしいでしょうか?」
「うんうん」
「耕作さんは高校を卒業してからどのような生活を送ってらっしゃるのでしょうか?」
考えるまでもない。
「高校時代と変わらないよ。平日6時間勉強して日曜は休む。変わったのは先生がいない事くらいかな」
「そう、ですか」
「まぁ一度教わってることだから、昔を思い出しながら高校時代のノート開いてのんびりやってる」
「なるほど。では、休日はどのようにお過ごしですか?」
「本を読んだり、ゲームをしたり、友人と遊んだりかな。最近読んだのでおすすめの本はアルビン・トフラーの”第三の波”だ」
「ありがとうございます。だいたい知りたかった事はわかりました。ですが、おすすめの本は聞いていません」
うん、聞かれてない。
「楽しかったよ。こちらこそありがとう。じゃ」
立ち上がりかけて希ちゃんと目が合う。
「もう一つだけお伺いしたいことがあるのですが」
「なに?」
「もしかして、クルセイダーズオンラインってご存じですか?」
「ああ、やってるよ。それがどうかしたの?」
「いえ、ここから先は他の方がいらっしゃっては都合が悪いので、また次の機会にお伺いします」
姉の視線が痛い。
百が希ちゃんと目を合わせ、小さく頷いた。
「えーと、この近くに知り合いの経営しているカラオケボックスがあって、2部屋予約してるんだけど、そっちに移りませんか?」
ほうほう、手回しのいいことで……。
「2部屋って希ちゃんと耕作を二人きりにさせるって事?ぜーったいダメ!」
言って手を斜めに大きく交差させる。予想通りの方角から反対意見が飛んできた。
関羽・持井百。
「隣同士の部屋なので、何かあったらすぐに駆けつけられますよ」
劉備・蘭鐘希。
「監視カメラも付いていますし、耕作さんはそんな方じゃありませんよ」
張飛・俺。
「自分の弟が信用できないって言うのか?」
呂布・愛ねぇ。
「うぅ~」
虎牢関の戦い、終結。これで帰ってしまったら、まさに呂布だな。
南の空に aco @Superacos
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