Epilogue

眠る容子を部屋に残し、薫子は1人、眩い光を放つ夜の街をタクシーの中から眺めていた。

完全自動型のタクシーに、空席の運転席があるのは、緊急時に人が運転する為のものだろう。

厳重なロックシステムに守られたその席を奪おうとする輩は後を絶たない。が、高度なハッキングも物理的な行使も、その牙城を崩せたという報告はない。密度を増す窓ガラス、傷一つつかない後部座席と前座席を仕切るアクリル板、そしてハッカー達を退ける高度な防御プログラム。

『お客様、そろそろ目的地です』

「ええ」

淀みのない自然な発音のアナウンスで車は進む。高度な技術で守られた要塞。その技術の多くを提供しているはfusion社という一般企業だ。神無重工が衰退した空席を埋めるように台当してきた企業だが、神無のカモフラージュ会社ではないかという疑う者もいる。似た技術を持つ2社は果たしてライバルか、カモフラージュか。この街に疑念は尽きない。

やがてタクシーは、シンプルながらも高級感漂うシティホテルの玄関前へと滑り込んだ。

『ご利用ありがとうございました』

そう言い残して、無人のタクシーは去っていく。そのテールランプを見送って、薫子はホテルのエレベーターへと乗り込む。赤いビロードの絨毯に、足が僅かに沈む。目的の階のボタンを押すと、身体に僅かな重力を感じた。壁に設置された鏡で直した化粧と身だしなみをチェックする。目的の部屋は高層階のスイートルーム。エレベーターを降りて、さらに毛足を伸ばした絨毯を踏みしめながら部屋のチャイムを押す。ほどなくして、一人の男が扉を開いた。

「やぁ、急に呼び出してすまないね」

「いいえ、構いません」

薫子の言葉に男は微笑むと、扉を開き中へと招き入れた。柔らかな細い髪、優しげな目元。細身の身体を包んでいるのは、濃紺のスーツ。

「どういったご要件でしょうか、警視正」

「硬い呼び名はやめてくれよ、薫子。透で構わないよ、昔みたいにね」

しなやかな手が自然な流れで薫子の腰を抱き寄せる。

「もしかして怒ってるのかい?それとも」

端正な顔が薫子に迫る。

「僕が怒ってると思っているのかな?」

優しげな目元が鋭い光を帯びる。

「ZZZの検挙について、ですか?」

唇が触れ合いそうな程近づいていた顔が離れ、男は薫子から手を離した。

「環境大臣が大慌てさ。どこかの誰かが消されたはずの情報を復元したらしくてね」

「それは大事ですね」

「そうだろう?バレると不味いよね。麻薬カルテルとも繋がりがある犯罪集団に政治家が力を貸してたなんてさ」

「麻薬カルテルからの献金目的でしょうか」

「組織のトップが幼馴染らしい」

「そうですか」

「しかも大臣殿は警視監の親戚ときてる」

政治とマフィアと警察との癒着。今さら明かされても聞き飽きたつまらない話の一つに過ぎない。

「そこで君の出番だ。薫子」

「見返りは」

「相変わらず欲張りだね、君は」

ガラス越しに街を見下ろしていた男が振り向く。

「警視庁特別警備捜査班係を1課ではなく独立組織とする。まぁ、公安程自由には動けないだろうが、今よりは良くなるはずだ。勿論君の階級も上がる」

「あなたの階級もね」

「はは、それは仕方ないさ。君の正体を知ってるのはもう、僕だけだからね」

再び近寄ってくる唇が、薫子の唇と重なる。

「僕たちは世界を変える共犯者。だろ?」

「その割には長い間、私の存在を忘れてたみたいだけど」

「君が飼い猫に構いっぱなしだからさ」

「よく言うわ」

一度離れた唇が再び、触れ合う。

部屋の明かりが消え、白い天井を街の灯りが仄かに照らし出す。

空を覆う星々の明かりは遠く、街の光の洪水に呑まれて何も見えない。

あるのは、光の渦の中に点在する暗闇だけ。

大災害がもたらした闇は、街だけでなく、人の心の中にも確かにその闇を投げかけている。

「愛してるよ、薫子」

「つまらない嘘ね」

重なり合う温もりさえ、嘘。

世界は、欺瞞に満ちている。

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INTIKAM spiral sisters 雨音亨 @maywxo

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